茶の湯覚書歳時記

先生によって見解の違いがあることがあります。それぞれ先生の教えにそってください。

日記

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雲錦模様

雲錦模様

満開の桜と紅葉とを配した、
色絵模様のことで 
雲錦の雲は白雲で桜花を、
錦は錦織で紅葉を表現したものなんだそうです。 


■名の由来 
京都の言葉遊び
 「吉野山の桜は雲かとぞ見え、
 竜田川の紅葉は錦の如し」 
からとられたもののようで、
幕末の京焼の陶工
「仁阿弥道八(高橋道八)」が考案したそうです。

■少々詳しく見ると
平安時代前期の、
勅撰和歌集『古今和歌集』の仮名序に 
 「いにしへよりかく伝はるうちにも
 奈良の御時よりぞ広まりにける。 
 かの御代や歌の心を知ろしめしたりけむ。 
 かの御時に、
 正三位柿本人麿なむ歌の聖なりける。 
 これは君も人も身をあはせたりといふなるべし。 
 秋の夕べ竜田川に流るるもみぢをば、
 帝の御目に錦と見たまひ、 
 春のあした吉野の山のさくらは
 人麿が心には雲かとのみなむおぼえける。」 
とあるそうで、 
「竜田川 もみぢ乱れて 流るめり 
 渡らば錦 中や絶えなむ」(古今和歌集 読人知らず) 
と 
「桜花 さきにけらしな あしひきの 
 山のかひより 見ゆる 白雲」(古今和歌集 紀貫之) 
が該当してくるみたいです。 

吉野山の桜の雲、竜田川の紅葉の錦。 
「春・秋」「山・川」「花・木」
「桜色・紅葉色」「雲・錦」の対比が綺麗です。 

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色絵桜紅葉文大鉢(雲錦手) 仁阿弥道八  京都国立博物館
底に「道八」の刻銘あり
高 15.2 cm 底径 16.5 cm

仁阿弥道八は奥田頴川の門下で、幕末の京焼の名工の一人とされる。
「吉野山の桜は雲かとぞ見え、竜田川の紅葉は錦の如し」の意を踏まえ、
桜と紅葉を描いた色絵を雲錦手と呼んでいるが、これは道八が得意とした意匠である。




武野紹鴎

武野紹鴎
文亀2年(1502年) - 弘治元年閏10月29日(1555年12月12日))


武野紹鴎は堺の町衆です。通称は新五郎、名は仲材、大黒庵と号しました。
堺では屋号を皮屋といい、おそらく武具甲冑などに関係する商家であったと思われます。
武野家は堺では最も富裕な家でしたが、紹鴎は若き日に京都にのぼり連歌に没頭しました。
当時、歌学の権威であった三条西実隆について古典を勉強し、『詠歌大概』を授けられました。
おそらくこうした連歌の素養が、紹鴎の茶の湯に大きな影響を与えたと思われます。
堺に戻ってからは、南宗寺に住した禅僧大林宗套に参禅し、
茶の湯に開眼すると同時に茶禅一味のわび茶を深めることができました。

紹鴎は名物といわれる道具を60種も所有する一方、白木の釣瓶を水指に見立てたり、
竹を削って自ら茶杓をつくったり、あるいは青竹を切って蓋置にするなど、
清浄な白木の美を茶の湯に加えることに成功しました。
こうした創造的な茶の見方が紹鴎の弟子千利休に伝えられ、茶の湯は大成されることになります。



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村田珠光

村田珠光  1423〜1502


村田珠光は、わび茶の祖といわれます。確かな伝記はわかりませんが、
奈良の出身で、はじめ僧侶であったとも伝えます。
しかし、後には京都に住み、町衆として財をなしたようです。
村田珠光がわび茶の祖とされるのは、「心の文 」という重要な文章を残したからです。
「心の文」は茶の湯が人間の成長をもたらす心の道であるということを示唆しています。
そのなかには宗教的な、特に禅宗の影響があると思われますが、おそらく一休宗純との親交があり、
一休から「圜悟の墨跡」を受けたという伝承もまた珠光の禅的背景を語るものといえます。
珠光の「心の文」には、「和漢のさかいをまぎらかす」という言葉があって、
それまでの唐物中心の茶の湯の道具に対して、和物(国産品)をどのように唐物と調和させて
新しい美をつくるかというところに珠光の関心がありました。
また珠光は「月も雲間のなきは嫌にて候」という文章を残していて、
満月の皓々(こうこう)と輝く月よりも雲の間に見え隠れする月の方が美しいと述べています。
こうした不足の美を楽しむ心に珠光の創造したわび茶の主張がありました。



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一径入林丘

一径入林丘


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晩山幽靄の裏、一径林丘に入る。
僧去って松戸鎖し、寥々として筧水流る。(石川丈山)


石川丈山(いしかわ じょうざん、天正11年(1583年) - 寛文12年5月23日(1672年6月18日)
江戸前期の漢詩人・隠士。三河生。
名は凹、別号に六々山人・四明山人・凹凸窩等。
徳川家康に仕えたが薙髪して京都に閑居、
儒学を藤原惺窩の門に遊び、林羅山・堀杏庵と交わる。
寛永18年(1641)一乗寺に詩仙堂を築く。寛文12年(1672)歿、90才。

下記参考

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