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「なよ竹の 風にまかする 身なからも たわまぬ節は ありとこそきけ」 |
辞世の句
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「なよ竹の 風にまかする 身なからも たわまぬ節は ありとこそきけ」 |
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幕末期の会津藩の家老、西郷 頼母(さいごう たのも)の妻の辞世の句。戊辰戦争で兵力で勝る新政府軍は会津・鶴ヶ城攻撃に殺到、城下は包囲されてしまう。
この時、籠城を知らせる早鐘が城内より聞こえてくる。しかし、西郷頼母邸では、家を守る母と妻千重子が子女に向かって「私達もお城に入り殿様に従いたいとは思いますが、女子共が押しかけていったのでは、かえって足手まといになりましょう、むしろ自刃して藩に殉じる道を選びたいと思います。私たちの死すべきは今日この時です。いたずらに生をぬすんで後世に恥を残してはなりません」と伝え、夫を戦場へ、11歳の息子をお城へ送り出した後、残った女達は、全員が千重子の言葉に従った。
この時千重子は34歳。共に自刃したのは、母・律子(54歳)、妹の眉寿子(26歳)と由布子(23歳)、長女・細布子(16歳)、次女・瀑布子(13歳)の5名。他に、田鶴子(9歳)、常盤子(4歳)、季子(2歳)の幼い娘達が、母の手によって命を奪われた。
2008/2/28(木) 午後 6:04 [ e_dream21 ]
この日、土佐藩の中島信行は、城からの狙撃を避けるため、城の前に建つ立派な屋敷に入り込んだ。屋敷には人気がなく、奥の間に足を踏み入れた中島は、多くの女達が死んでいる光景に目を見張った。呆然と立ち尽くしていると、そのうちの1人が、わずかに身を起こした。「…そなたは敵か味方か・・。」近寄ってみると、若く美しい娘だった。すでに虫の息で目も見えないらしい。
藩士は少女のけなげな叫びに、「味方です!味方の兵です!」迷わず答えた。娘はかすかに微笑して身辺をさぐり、短刀を取り出して中島に手渡した。中島が介錯してやったのは、長女の細布子だった。この時に千重子が残した辞世がこの「なよ竹…」です。千重子 享年34。
困難な時代にも、成すべき使命の自覚に生きた、会津の女性の姿でした。
2008/2/28(木) 午後 6:05 [ e_dream21 ]
ん〜いろいろな事を考えさせられます。ありがとうございました(^0^)σポチ
2008/3/8(土) 午後 2:18
本当の強さとは、猛々しさではなく
どのような激しい風や流れにさらされて、それに身をまかせつつも
決して折れることのない、竹や葦のようなものかもしれませんね。
どんな時代であっても
2009/9/15(火) 午前 0:23
このやうな精神がある限り、日本は不滅です。
2011/11/15(火) 午前 3:14 [ koreyjp ]