いちさんまるZのブログ

当方世俗的人間ゆえ、品行方正な記事ネタばかりじゃございませぬ。思考が四角四面なお堅い方、ヲタな方は苦手にて候。

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幕末の写真家に脱帽

最近は忙しくてなかなかblogインできなかった。
blogの事もしばらく念頭になかったので、いざ投稿、の時調子が戻らないな。




歴史がらみで、またも写真ネタ。


現代は写真を撮るなんて、誰にでもごく普通にできる簡単な作業だ。
スマホに搭載されているカメラでさえ本格的なパフォーマンスを誇る。

中学生の写真部に在籍した頃に研究したのだが、日本に写真なるものが西洋からやってきて、普及しだしたのは幕末あたりからと思われる。
とはいっても、大名や武家階級などまだ一部の上流階級の間のみだった様だ。



ウンチクを少し述べさせてもらうと、
西洋からの技術で日本人が初めて写された最古の写真は、「ダゲレオタイプ」の「銀板写真」といわれるもので、ネガとしてではなく、ダイレクトに銀板に映像を写すものだ。




イメージ 1

安政元年(1854年)ペリー来航の従軍写真家E・ブラウン・ジュニア撮影


ピンホールの映像の原理で、上と下、右と左が反対、すなわち鏡に映し出された映像のイメージとなる。
日本には、ペリー来航の折に撮影されたものが3点残っているという事らしい。

そのうちの1枚で程度が良好なものがこれで、主人は意識して着物を逆にしたため写真として正常だが、従者たちはそのまま撮影に臨んだため、着物の着付けが反対で写ってしまっている。

ダゲレオタイプの原理は、銀板にヨードの蒸気をあて表面をヨード銀化し、感光性をもたせて原板とし、カメラで撮影後水銀蒸気で現像をするもので、露出時間は約15分、繊細な美しい画像だそうだ。

日本では薩摩藩や福岡藩他がこのダゲレオタイプの研究に取り組んだらしいが、日本人による銀板写真は全く残っていないそうで、成功には至らなかったという事らしい。



その後日本人により実用に成功し、普及をしたのは「湿板写真」からで、幕末の志士達が写って残っている写真は全て湿板写真という事である。




イメージ 2

島津斉彬肖像
これが日本人の撮影による最古の人物写真で、鹿児島の照国神社に祀られていたが、戦災で焼失





イメージ 3

斉彬自身の撮影による、斉彬の3人の姫の写真
この写真が現存する最古の湿板写真



湿板写真は、コロジオンを塗布したガラス板を硝酸銀に浸して感光性を与え、濡れているうちにカメラで撮影し現像しなければならないが、露出時間は数十秒〜数分と短く、美しい調子の写真ができる。
これはイギリスのスコット・アーチャーが1851年に発明したものであるが、以来急速にダゲレオタイプに代わって流行し、長崎に安政の初めに伝わり、俗にぬれ板、ガラス写真と呼ばれたものである。明治の半ばに乾板が輸入されるまで湿板写真が使われていた。



長くなるし、もうあまり覚えていないからウンチクはここらで割愛するが、自分としては、このガラス板にネガを作り出すというところに非常に興味をそそられたわけである。

湿板写真のガラス板原板は、髪の毛などの黒い部分は透けて、肌や白い部分は銀色となるらしく、表面に黒い紙を当ててひっくり返してみるとポジティブ画像として見る事ができるという。


なんか魅力的!
よし、実験して作ってみよう!
と思い立った。



専用カメラは製作するのは至難なので、安易な考えとして、フィルムネガから白黒写真を現像する手法で行う事にした。

すなわち、フィルムネガの投影機からの映像を、作製した湿板に当てて白黒写真を現像する様なイメージだ。


早速、学校の化学の先生に頼んで手に入れる事が可能なものを仕入れてもらった。
個人的研究のため、費用は全て自腹。
結構出費がかさんだ実験となってしまった。


せっかくの湿板写真作製、やはり画像としては幕末の志士みたく着物姿と日本刀でしょう。

イメージ 4


イメージ 5


イメージ 6


イメージ 7





剣道着をまとい、趣味で持っている模造刀を手に、椅子に座ってポーズをとってそれらしい格好でカラーフィルムで写真を撮った。



イメージ 8

この人の真似のポーズで写した

この時のフィルムネガは探せば出てくると思う。


写真部の暗室で、投影機にセットしてガラス板にピントを合わせると、なかなかいい感じだ。

硝酸銀溶液にコロジオン塗布済みのガラス板を浸して、露光させる。

でも…






画像が全然出ない…!



やはり、そう簡単にはいかないものである。

薬品も、果たしてこれでだけでいいのかなど不確定要素がいっぱいなので、資料不足と資金不足でとりあえず断念した。



その後高校の図書館にて古い戦前の湿板写真に関する化学本を見つけ、読んでみると、青酸カリやらアンモニアやら、なんか大変な薬品が必要な事がわかったのであった。


ダゲレオタイプにしても湿板写真にしても、かなりデンジャー過ぎて、個人研究はまず絶対不可能だな。

しかし、安易に考え行動する若さは、いま思うとあの頃に帰りたい気もする(笑)


それにしても、幕末の写真家はすごい化学者だった事を、改めて感じてしまった次第だった。





あと、この湿板写真に関する挿話をひとつ。


昭和34年、皇女和宮の墓所改葬の際。

イメージ 9




一枚の湿板写真が遺体のそばから発見された。
和宮が静かに抱いていたその湿板写真は、実は烏帽子・直垂の夫君徳川家茂の肖像。

イメージ 10




発見当日は確実に画像が写っており、関係学者が若き将軍像のスケッチまでしたそうだが、翌日になると画像はすっかり消滅して素通しガラスになっていたという事である。
一瞬の幻の様な写真だったわけだ。

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閉じる コメント(4)

おはようございます

歴史を重ねると非常に興味が湧いてきます。
写真も今では簡単で希薄なものですが、当時は貴重で同じ読み方ですが気迫とも思えます。
そう言えば10代の頃って失敗なんて考えなかったかも(°_°)
歳を重ねるってのは、自分を守ることも重ねているのかもしれませんね。

2014/12/14(日) 午前 5:23 [ まんじろう ] 返信する

> まんじろうさん
こんにちは。

おお、日曜日なのにお早いお目覚めですね!(°°)

そーですね、なんか若い時ってフットワークが軽かったというか目標ができたら何でもまっしぐらでした。
写真の実験も、危険薬品の入手OKなどあの時代だからできたと思います。

まあ年取ると、いろいろ思慮分別が入ってダメですね。

2014/12/14(日) 午後 2:23 [ いちさんまるZ ] 返信する

higonohitoさん
こんにちは。

ご拝読とナイス有り難うございました!

2014/12/14(日) 午後 2:26 [ いちさんまるZ ] 返信する

たまさん
こんばんは、初めまして!

ご訪問ご拝読とナイス、いつも有り難うございますm(__)m

2014/12/15(月) 午後 6:58 [ いちさんまるZ ] 返信する

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