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梅雨の合間の晴れた日に、夕焼けの空を撮ったら、 UFOが2機(3機?)写ってました。( 写真の右上の方です。) ・・・と、「バカ言ってんじゃないぞ」な話で、多分、雲だと思いますが、 それにしては、なんで空のそこだけにポツンと小さく浮いていたのかな?と思います。 念のため、 私は「宇宙人の乗り物」といった意味での「UFO」は信じません。 宇宙のどこかには生命体が存在するだろうとは思いますが、 人類が生存している期間(≒天文学的には一瞬)と、その(それらの)生命体の生存期間が重なる確率は低いのかも知れない(「一瞬の時間」×「宇宙の広大さ」=?)と思いますし、そもそも「生命体」や「有機体」という定義自体が怪しい気がします。 「知的生命体」という言葉に至っては、全然「知的」ではないと思える「人間」のカテゴライズですから、ワケが分からないな、とも思いますし、人は往々にして「見よう(見たい)」と思う(思った)ようにしか「ものを見ない(ものが見えない)」とも言えると思っています。つまり、「認識」というのも極めて「恣意的」なもので、「客観性」ということの足場はいつも揺らいでいるのではないか、と。。。 ただ、あの冷戦時代、米ソ(この略語も今は昔...)が、宇宙開発(という名の、巨費を投じたプロジェクト)にしのぎを削っていた頃、その宇宙映像にはワクワクドキドキしたものでした。 その頃、「なぜ、そんなにお金をかけて宇宙を目指す必要があるのか」という素朴な疑問(米国内の一部の論調)に対して、「未知なるものへの探求心を失ったら、文明は滅びる」的な反論(開発側の一つの開発根拠)があったように思いますが(& それは「一面の真理」かも知れませんが)、ちょっとナイーブに過ぎる(or はぐらかし気味の論法な)気がしたものでした。と言うのも、「未知なるもの」という対象なら他にいくらでもあるでしょうし、そのプロジェクトが軍需産業といかに緊密に結びついていたかを隠蔽してしまうような拙さもあったからですが、「いつの時代も、戦争が技術を格段に進歩させて来た」という論調の「知的」さにも、私は大いに疑問を感じます。 そういうのは、「受験戦争が学力の向上につながる」みたいな浅薄な論調とほとんど同レベルの気がします。 ・・・ここでも「学力とは何か」という定義(概念)上の問題がありますが、それはまた別の機会に。 |

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