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以前、風景の見え方がいつの頃からか変わった... といったようなことを書きましたが、 去年の秋に田舎(実家のある山形)に帰省したときに、その逆の経験をしました。 風景が生っぽく、目に沁み入るようでした。 ということは、「視力が落ちたから」とか「裸眼ではないので」ということで見え方が変わってしまう(〜しまった)のではなくて、 認識の仕方というかモードがシフトするんだろうな、と思ったのでした。 多分、視覚的情報が過多だと・・・いや、違いますね、情報はいつも過多(豊穣?)ですから、 「処理(≒取捨選択)を要する」情報が多過ぎると、どこかに蓋をして(≒何かのスイッチをoffにして≒なんらかのフィルターがかかって)、 処理のほうを優先させてしまうのではないか、と。 簡単に言うと、「見る必要のないものは見ない」ようになる・・・そういうことかな、と。 で、「処理を要する情報」とか「見る必要のないもの」とは一体何なのか。。。何を以て要/不要というような選別が要るのか。 その答えは簡単で、人間の脳ミソのキャパシティには限りがある、ということなのだろうと思います。 過多〜余剰〜豊穣をまるごと(≒そのまま)受け容れることができない。。。そして、多くのものを捨てる。捨てざるを得ない。(つづく) |

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