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今日は土との格闘だ。 二年前から借りている山の田んぼは、山沿いからの水が田んぼに流れ込み、田んぼはプールの様になってしまった。
水を田んぼから出す為に田んぼの淵に額縁(がくぶち)と言われる溝を掘る。そうしないと雨が降る度にぬかるみになって機械を入れて作業し難くなるのだ。
水が浸み込み、粘土の様になった泥は重たく、スコップ(シャベル)の端に体重をかけ、ぐいっと力を入れ、一杯 一杯 腰砕けにならない様に背中を真っ直ぐから少し内側に曲げて、溝を掘る。何度かやってるとあっと言う間に腕の筋肉が張って、背中の筋肉も突っ張ってくる。背中が突っ張ると、かえって、ぎっくり腰になるという話をあるジムのオーナーから聞いてから、力の入れ具合を自然に力の入るやり方に意識して変える様にした。
〜土とは何だろう?〜
長靴がすっぽりと泥に入り抜けなくなる様な粘土質の泥土と格闘したり、土の匂いを嗅いだり握ったりして考える。
今自分は 水田 約10ヘクタール、50枚程の圃場を管理しているが、その50枚一つ一つの土の条件が違う。平地の田んぼは、川から300メートル離れていて用水を一枚隔てて、砂地の田んぼとそうでない田んぼがある。
山の田んぼは、粘土質だが、スコップを指すとさらさらな赤土もある。
砂地の田んぼの土はガラス瓶の中の水れて混ぜてみると、水の中に溶けてしまって何も残らない様にも見える。
「土とな何からできているのですか?」 と農業大学出の専門家に聞いてみるた事がある。
その答えは、ミネラルがイオン結合した物と、バクテリアと有機物の混合 という事だが、余りはっきりしない答えだった。と言うのは、科学的見地においては、同じ状況や状態を再生できるという事が条件で、土を作る事が科学的に出来ていないからだろう。
じつは我々が排泄する大便の半分は、バクテリアで成り立ち、その大便を分析するとその人の健康状態が判るようだ。どの位の善玉菌があり、どの位の悪玉菌があるかとかの割合を調べる様だ。人間の体の中にある100兆個以上の菌によって我々は ”生かされている”事を、普段誰も意識をしないだろう。
そしてまた面白い事に、山の表土は、約10cmという一定の厚さで、その厚さは増減しないそうだ。それは、木々から落ちた葉っぱが土着菌によって分解されるが、その菌の量は、餌(葉っぱ)によって自己調節されるからだろう。人間は菌を人工的に作る事も出来ない。ただ自然の営みに頼るだけである。
僕は、田んぼの土を手で掴みながら、その塊の中にひっそりとうごめく何億もの菌の事を想像してみるのだ。
三年程前に、ある人の薦めで、高い金を払い、シアノバクテリアと言う菌を他から入手して田んぼに撒いたりしてみた。
水が田んぼから流れ出る度に、菌=金 が流れ出る様に思え、水を流さない様にしたら、今年の様に今度は水温が高くなりすぎて、米が原白と言われる米の真ん中が白くなる現象が起きてしまう。だから、外気温に合わせて水をかけ流しにして水温を高くならない様に調節しなければならないのだが、水温が低すぎると、今度は稲が風邪をひく様に弱くなり、稲の葉が最近にやられ赤くなる ”いもち病”という病気にかかってしまう。だから稲作にとって水管理はとても大事なのだ。
シアノバクテリアは藍藻、緑の藻で、これが太古の地球の創世記において酸素を作り、酸素を吸う生命体が誕生したらしいのだが、酸素を嫌う嫌気性の菌も土の中に存在する。では、好気性の菌は植物にとって良いのか? はたまた悪いのか?
土着菌と言われる、元々その土の中にあった菌と、投入した菌はどうなるのだろうか? 上手く共生するのだろうか? それとも強い菌が弱い菌を食べてしまうのだろうか?
和歌山の白浜町にある 南方熊楠(みなかた くまくす)記念館に行った事がある。博覧強記であった彼が死ぬまで追い続けたのは菌の研究で、そこには彼が観察した菌のスケッチが沢山並べてある。菌は生命体の基本であり、全ての生命を支えている目に見えない最も重要な存在なのだ。彼は、あらゆる学問の中で生命の起源のヒントとなる菌の研究によって人間の存在の意義の確認をしたかったのかもしれない。
あるいは、作曲家?のジョン・ケージの様に、きのこの菌そのものによる意識の覚醒効果を調べていたのだろうか? マッシュルームはどの様な音楽を奏でるのだろうか?
藻類と菌の研究は、多くの学者が研究して来ているが、農業への応用は最近やっと始まったばかりだ。アメリカで最も大きい農業研究所の一つがモンサント社で、この会社は、農作物に除草剤をかけても、雑草のみを枯らし、農産物は除草剤を無効化するという驚くべき大豆やトウモロコシの種を、バクテリアのDNAの組み合わで作り出した。
ところが、雑草も雑草魂を出し、それに負けじと今度は除草剤をかけても枯れない耐性を組織の中に作り始めた。それがいわゆるスーパー雑草と言われるもので、大豆畑のそのモンスターの茎は野球のバット位の太さになり、大豆を刈るコンバインの機械が壊れてしまう。もうそんなのがわやわや生えてくると手で一本一本 鍬でなぎ倒すしかない。
菌を増やす事は土壌を豊かにする事なのだ。だが、菌を無理に増やそうとするのでは無く、菌が何を好んで食べるのか? を研究して、土壌に良い菌を自然に増やす方法が経済的だろう。だから、僕は、菌の住処となる、表面に無数の孔が開いている炭や、発酵した米ぬかを使っている。
砂漠に泥が殆ど無く、砂地なのは、温度が高く、食べ物と水分が無いから菌が仮眠しているからだ。ブッダやキリストが生きていた時に出来たハスの種が二千年以上の時間を経て、再び花が咲く様に、活動出来ない環境に居る菌も数千年仮死状態でずっと活動の時を待っている。
秋田の白神山地で見つかった菌は、パン酵母の発酵を促進する働きを持っている。
まだ人間が見知らぬ菌達は、その発見を待っているのだ。
〜水とは何だろう?〜
夏の暑い日喉が乾いたら山の田んぼに流れ込む水を少し飲む。
冷たくて美味しい山の田んぼの水は生活排水が一切無く、飲んでも全く差支えない。
水の美味しさとは、温度とミネラルの含有割合だと思うが、ミネラルが多すぎても不味く、ミネラルが全く無い蒸留水や純粋も不味い。硬水と軟水の定義はミネラル(カルシウムとナトリウム)の含有量が100mg以下が軟水で、200mg 以上が硬水とされいる。
日本の水は軟水で、これは胃腸に優しく、生で飲んでも中毒は起こさないが、ヨーロッパの水は硬水が多く、硬い水は料理には直接使えない。これがヨーロッパでシチューやスープが発展した理由だろう。でも日本人はコンビニでヨーロッパからのペットボトルに入っている水を喜んで飲む。私にはその行為は理解不能だ。ガソリンが高いと文句を言いながら、ガソリンより高いその水を飲む事がファッションだと思っているのだろうか?
ペットボトルの中身よりもペットボトルそのものの方がコストが掛っている。中東の石油産出国では、水の方がガソリンよりも高いが、水源が豊富な国に住む日本人がペットボトルの水を買うは、中東の人々と同じ様な行為だ。せっせと集められるペットボトルのリサイクル率など半分もいかず、残りは埋められるか焼却されている。だからペットボトルは環境に非常に良く無いのだ。
水は科学法的式では H2O 水素原子二つが酸素と104.5度の角度でくっついているのだが、この角度が大気の中の水滴が、プリズムとなり、光のスペクトラムの中の104.5度を通るのが青なので空が青く見える。地球と同じ様に水を持つ惑星は宇宙から見ると、青く見えるはずだ。
何故、水素と酸素の結合角度が104.5度なのか? 多分、それは水素原子を廻る電子と酸素原子を廻る電子の力(エネルギー)のバランスに依るものだろう。ところが、水の中にも自由に動き回る水素があり、それらが酸素原子と三つくっついたりもして、それが重水素と呼ばれる。水素と酸素の結合条件によって18種類もの水があるそうだ。
そして、水素や酸素の原子などの原子核の、中身は99.999%空っぽなのだ。そこにはエネルギーしか存在しない。
まさに ”空即是色、色即是空”なのだ。これはつまり、物はエネルギーそのものと言う事だ。水もエネルギーの塊と言え、その膨大なエネルギーを効率良く引き出す事が出来たら、もちろんエネルギー資源としての石油の必要性は無くなる。
僕は子供の頃、裏の田んぼにUFOが降り立つ夢を見たが、そのUFOの中の存在は水をエネルギーとして飛び、地球には水の燃料を補給しに来ると言った記憶がある。そして、火星は昔は水が豊富だったのだが、水という資源を使い果たした結果、今の様なドライな表土になったのだと。
水は油と混ぜる事が出来、その混合をエマルションと呼び、水の入った燃料で車を動かす事が出来る。今は盛んに電気自動車の開発や促進が進められているが、それが走るには大型のバッテリーが必要で、そのバッテリーのリサイクルは完璧では無い。バッテリー溶液の間にある電極に溶液のカスが溜まるサルフュージョンという現象が起き、電極が腐食するからだ。農機具では数多くのバッテリーを使うから、そのサルフュージョン除去装置なるものを使ってみたが、一度死んだバッテリーは蘇らなかった。だから、電気自動車は、燃料が電気で安いと思っていても、バッテリー寿命が来た時にその交換に一機に高くつく。では、ガソリンエンジンの技術を流用出来る水素で走る車が一番良いのかと言うと、今度は水素をどこから得るかという問題が出てくる。
一般的なのが天然ガスに含まれるメタンと水を反応させ、水素を採る方法だが、天然ガスを掘ると、地下に閉じ込められていた二酸化炭素が地上に放出される事となる。天然ガスは、石油や石炭と比較し、二酸化酸素の放出量が少ないから良いという人が多いが、実際には、液体と違い空中に放出されやすいから、エネルギー交換効率が下がり、結局は全体的に二酸化炭素の削減とならない。エコへの取り組みは多くの場合、短絡的な視点しか持たない人間のエゴであって、問題の解決策が、順繰りに先送りされているいるだけで、結局は根本的な解決には成っていないのだ。
結局 最後には、自然が長年かけて完成してきたエネルギー・リサイクルの仕組みを人間が研究し、応用する方法しか残らなくなるのだ。それらは、例えば光合成をする藻で二酸化炭素を減らし、ある菌の働きによって水素を作り、あるいは、藻そのものを燃料とする方法などだ。
水は地球の約70%の表面を覆い、新生児の体内の水の割合は80%で、それが成人になると60%となり、肥満や老人になるにつれ、その割合が減ってくる。その数値が地球と人間の相関関係を示しているかどうかは、様々な側面からの研究が必要かもしれないが、水は我々の生命の源である事は間違いない。
水の循環は地球のエネルギーの循環を目に見える形として捉える事ができる。
単細胞が、水の中で藻となり、その藻やシアノバクテリアが酸素を作り、酸素と有害なガスがくっつき空気が混沌とした有害ガスの状態から酸素を吸う生命体が住める場所となった。水は地球が誕生してから数百億年かけて、人間の住処を整えたのだ。
その地球創生の頃からリサイクルされてきた空気中の、水素、酸素、窒素を含む空気、今僕らが吸っている空気は、5000年前エジプトのファラオが吸っていた空気かもしれないし、2000年前にキリストが吸っていた空気なのだ。
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私の取引先の方の会社で、平地、中間産地、山地 の4箇所より稲を刈り、そのサンプルより放射線量を測定しました。
結果は全て 検出せず となりました。
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今日も山間の中の畔シート張り。100メール足して、その上に緑のポールを挿して行く。
来週電線が届き次第、電線を張り始める予定。
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今日は中国人4人と一緒にイノシシの電気柵を張る為の下地のシートを一番山奥の田んぼに張りました。
その山の田んぼは、時には立っていられない程の風が吹く場所にあって、その強風で倒れない様な強い稲を育てなければなりません。そしてイノシシ対策。
なかなか根気が必要な田んぼです。
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久しぶりの日記です。今年も駆け足で一年が経ちました。農業関係での大きな出来事は、圃場(田んぼ)の規模が三倍の7.5町歩(7.5ヘクタール)となった事。そしてその規模に合う農業機械を全部一通り入れ替えた事です。 |



