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東方閃電
東方閃電|全能神は、主イエスの再来です。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば、神が現れられたのを見ることができます。

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全能者のため息

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全能者のため息
 あなたの心の中には非常に大きな秘密がある。あなたはそのことにまだ気がついていない。なぜなら光のない世界でずっと生きてきたからである。あなたの心と霊はあの悪い者に取上げられてしまった。あなたの目は暗闇のせいで見えなくなり、空の太陽も夜のきらめく星も見ることができない。あなたの耳は欺瞞的な言葉で塞がれ、ヤーウェのとどろきわたる声も玉座から流れる水の音も聞こえない。あなたは正当にあなたのものであるすべて、全能者があなたに与えたものすべてを失った。あなたは終わりのない苦しみの海に入った。救出する力もなく、生き残る希望もなく、ただもがき駆け回ることしかできず…。その瞬間から、あなたはあの悪い者に苦しめられるように運命づけられ、全能者の祝福から遠く離れ、全能者の施しの届かないところにおり、後戻りできない道を歩いている。百万回の呼び声もあなたの心と霊を奮い起こす見込みはない。あなたはあの悪い者の手の中で深い眠りについている。悪い者は境界も、方向も、道しるべもない広大な領域へとあなたを誘惑した。それ以来、あなたは本来の純粋さと無邪気さを失い、全能者の気づかいを避けるようになった。あなたの心の中では、あの悪い者があらゆることにおいてあなたを操縦し、あなたのいのちになった。あなたはもはや悪い者を恐れることも、避けることも、疑うこともしない。代わりにあなたは悪い者を心の中で神として扱う。あなたは悪い者を祀り、礼拝するようになる。あなたと彼は物体とその影のように切り離せなくなり、生においても死においても互いに委ねあっている。あなたは自分がどこから来て、なぜ生まれ、なぜ死ぬのか全く知らない。あなたは全能者を見知らぬ人として見る。あなたは全能者の起源を知らず、ましてあなたのために全能者が行った全てのことなど知るよしもない。全能者から来るあらゆることがあなたにとって憎むべきものになった。あなたはそれを大事にしないし、その価値も知らない。全能者からあなたが施しを受けた日から、あなたはあの悪い者とともに歩いている。あなたは悪い者とともに何千年もの風雨を耐え抜いてきて、悪い者とともにあなたのいのちの源であった神に立ち向かう。あなたは悔い改めを一切知らず、ましてや自分が滅亡の淵に達したことなど知りもしない。あなたは悪い者があなたを誘惑し苦しめてきたことを忘れてしまった。あなたは自分の起源を忘れてしまった。そのようにしてきょうこの日まで、一歩一歩悪い者はあなたに害を与えてきた。あなたの心と霊は麻痺し、腐敗してしまった。あなたはもはや人の世の苦悩について不満を言うこともなく、世の中が不公平であるとは信じない。まして、全能者が存在するかどうかなど気にかけることもない。このようになったのは、あなたが随分前に悪い者を真の父と思うようになり、もはや彼から離れることはできないからである。これがあなたの心の中の秘密である。

 夜明けが到来すると、明けの明星が東に輝きだす。それは以前にはそこになかった星で、静寂な星空を照らし、人々の心の中で消された光を再び燃え立たせる。人々はこの光のおかげでもはや孤独ではない。この光はあなたも他人も同様に照らす。しかし、あなただけが暗夜に眠りについたままである。あなたには音も聞こえず光も見えない。あなたは新天新地、新しい時代の到来にも気付かない。なぜなら、あなたの父が、「我が子よ、起きなくてよい。まだ早い。外は寒い。外に出るな。剣や槍があなたの目を射抜かないように」とあなたに言うからである。あなたは自分の父の忠告だけを信じる。なぜなら父はあなたより年を取っており、あなたを心から愛しているので、父だけが正しいと信じているからである。そのような忠告と愛があるために、あなたはもはや世界には光があるという言い伝えを信じなくなり、世界にまだ真理があるかどうかを気にかけなくなる。あなたはもはや全能者からの救済を望むなどということはしない。あなたは現状に満足していて、もはや光の到来を期待しないし、言い伝えられる全能者の出現に注意することもない。あなたに関する限り、あらゆる美しいものは復活させることができず、存在することもできない。あなたの目には、人類の明日、人類の未来は消滅し、跡形もなくなっている。あなたは父の衣に必死になってしがみつき、共に苦しむことを気にせず、あなたの旅の友、長旅の方角を失うことを恐れている。広大でもやの掛かった人の世があなたがたの多くを作り上げ、この世の様々な役割を満たすことにひるまず屈せず立ち向かうようにさせた。それにより、死を全く恐れない多くの「戦士」が作り出された。さらには、自らの創造の目的さえ知らない無感覚で麻痺した人間の群れが次々に生まれた。全能者の目はこの苛酷な苦しみにある人類の一人ひとりを眺めている。全能者に聞こえるのは苦しむ人々の泣き叫ぶ声であり、全能者に見えるのは苦しめられた人々の恥知らずな有様であり、全能者が感じるのは救いの恩恵を失った人類の無力と不安である。人類は全能者の配慮を拒絶し、自らの道を歩くことを選び、全能者の目による詮索を避けようとする。彼らはむしろ深海の苦さを、最後の一滴まで、かの敵とともに味わう方を好む。全能者のため息は人類にはもはや聞こえない。全能者の手はもはやこの悲劇的な人類に進んで優しく触れることはない。全能者は何度も何度も奪還し、何度も何度も失う。このように全能者の働きは繰り返される。その瞬間から全能者は疲れ、うんざり感じ始め、その掌中にある働きを止め、人々の間をさまよい歩くのを止める…。人間はこのような変化の一切、このような全能者の行き来にも、全能者の悲しみと憂いにもまったく気づかない。

 この世界にあるすべてが、全能者の思いによって、全能者の目の下で、急激に変化している。人類が一度も聞いたことのない事が、突然到来する一方、人類が常に所有してきたものが、知らないうちに消え去ってしまう。誰も全能者の所在を推し量ることはできないし、まして全能者の生命力の超越性や偉大さを感じることなど到底できない。人には知覚できない事を知覚できるゆえに全能者は超越的である。人類によって捨てられたにもかかわらず人類を救う方であるゆえに全能者は偉大である。彼は生と死の意義を知っている。それだけでなく、自身が創造した人類の存在を司るのに適した法則を知っている。彼は人類の存在の基礎であり、人類を復活させる贖い主である。彼は幸せな心に悲しみという重荷を負わせ、悲しむ心を幸福で引き上げる。これらは全て彼の働きのためであり、彼の計画のためである。

 全能者のいのちの供給から離れた人類は、存在の目的を知らないが、それでも死を恐れている。支えもなく援助もないが、人類は依然として目を閉じようとせず、自らの魂を感じることもない肉の塊として頑なにこの世における下劣な存在を引きずっている。あなたはこのように何の希望もなく生き、他人も何の目的もなく生きている。伝説のあの聖なる者だけが、苦しみにうめきながら彼の到来を待ち焦がれる人たちを救う。この信念は知覚のない人々においてはまだ実現していない。しかし人々はまだそれを切望している。全能者は深い苦しみの中にあったこのような人々に慈しみを抱く。同時に、全能者は何の知覚もないこのような人々にうんざりしている。なぜなら、人間から答えを得るのに、あまりにも長く待たねばならなかったからである。全能者は探したい、あなたの心と霊を探し、あなたに水と食料を施したい、あなたを目覚めさせたいと思っている。それにより、もはやあなたが渇きと飢えを感じないようにである。あなたが疲れているとき、この世の荒廃のようなものを感じはじめるとき、途方に暮れてはならない、泣いてはならない。全能神という、見守る者がいつでもあなたが来るのを抱擁して迎えるからである。彼はあなたのそばで見守り、あなたが立ち返るのを待っている。あなたが記憶を突然回復する日を待っている。すなわち、あなたが神から来たのであり、いつであったかは不明だが道に迷い、いつであったかは不明だが路上で気を失い、いつであったかは不明だが「父」ができたことに気づく日を。さらに、全能者がずっと見守ってきたということ、とても長い間あなたが帰ってくることを待っていたということに気づく日を。全能者は切実な思いで見守り、そして答えのない応答を待っている。全能者の見守りはきわめて貴重であり、それは人間の心と霊のためである。この見守りは無期限かもしれないし、それは終わりの段階にあるのかもしれない。しかし、あなたは自らの心と霊がたった今どこにあるのかを正確に知らなくてはならない。

2003年5月28日

三つの忠告

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三つの忠告
 神を信じる者として、あなたがたは、あらゆることにおいて他ならぬ神一人に忠実で、あらゆる物事について、神の心に沿わなければならない。だが、皆がこの教えを理解していても、無知・不条理・堕落といった人間の中にある厄介なものがその原因で人間にとって最も明らかで基本的なこの真理を十分に皆の中で具現化されているのを見ることはできない。したがって、あなたがたの最終的な結末が決定される前に、まず、あなたがたにとって最も重要なことをいくつか話しておかなければならない。その前に、まず、次のことを理解しておきなさい。わたしの語る言葉は、特定の人や特定の種類の人に対するものではなく、すべての人に向かって示す真理である。だから、真理という観点からわたしの言葉を受け取ることにただ集中しなさい、そして集中心と誠意を常に持ち続けなさい。わたしの語る言葉、また語る真理のひとつでも無視したり、軽蔑したりしてはいけない。わたしはあなたがたが日々の生活の中で、真理と無関係なことを数多く行っていることを分かっている。だから、わたしはあなたがたにはっきりとお願いしておきたい。真理のしもべとなり、邪悪さや醜さの奴隷となることがないように。真理を踏みにじって、神の家の片隅でも汚すことのないようにしなさい。これが、あなたがたへの忠告である。さて、主題に移ろう。

 第一に、あなたがたの運命のため、神に認められることを求めなさい。それはつまり、神の家の一員であることを自覚しているのなら、あらゆる物事において神の心に安らぎと満足とをもたらすようでなければならない。つまり、自らの行いを律し、真理に適うような者でなければいけないということである。もしそれが到底できないというのであれば、神に嫌われ、見捨てられ、みなから拒まれることになってしまう。そんな状態になったのでは、神の家の一員とはいえない。それは神の承認を受ける者ではないということである。


 第二に、神は正直な人を喜ぶということを知っておきなさい。神は本質的に信実で、その言葉は常に信頼できる。さらに、神の業には誤りも疑問の余地もない。だから神は、自分に対して完全に正直な者を愛すのである。正直であるということは、神に心を捧げるということである──何事にも神を偽らないこと、あらゆることについて、神に率直であること、事実を隠そうとしないこと、上の者に対して偽りなく、下の者を惑わすことがないこと、そして、神に取り入る為だけに物事をするようなことが決してないこと。つまり、正直であるということは、言行において不純でないことであり、神をも人をも欺かないということである。わたしの言っていることはまことに単純なことだが、あなたがたにとっては二重に困難なことである。言行において正直であるよりは、地獄に落とされたほうがましだと思う人は多いだろう。当然ながら、不正直な人々のために別の処遇が用意されている。もちろん、あなたがたが正直な人間であるために直面する大きな困難は、わたしも分かっている。あなたがたはとても賢く、自分の観点から他人を裁くのに巧みだ。それだからわたしの仕事はずっと簡単だ。あなたがたは、それぞれ心に秘密を抱いている。それでは、あなたがた一人一人に火の「試練」を下し、わたしの言葉への信仰に心から従うよう、仕向けよう。最後に、あなたがたの口から「神は信実な御方である」という言葉をねじり取ろう。そうすれば、あなたがたは自分の胸をたたいて、「人間の心は曲がっている」と嘆くことになる。そうなると、あなたがたの心はどういう状態になるだろう。今のように自尊心にまかせて行動することはなくなるだろう。今のように「自分は深遠すぎて理解されない」と言っているわけにはいかなくなるだろう。神の前ではきちんと振る舞い、とりわけ「礼儀正しい」けれど、霊の前では反抗的で放埒な行いをする者もいる。そのような人をあなたがたなら正直な者の数に入れるだろうか。もしあなたが偽善者で「社交」上手であるなら、あなたは神を軽んじていると断言しよう。もしあなたの言葉が言い訳と無価値な正当化だらけだとしたら、あなたには、真理を行おうという気持ちがないのだ。もしあなたが他人に言うことのできない秘密を多数抱え込んでいながら、光明を求めて自分の秘密──自分の中にあるやっかいな部分──を他人に打ち明けないでいるとしたら、あなたが救いを受けることは難しく、闇から抜け出すことも容易ではない。もしあなたが真理の道を求めることに喜びを感じるのなら、あなたはしばしば光の中に生きている。神の家で効力者であることを喜ぶ人で、人に知られなくとも勤勉に、良心的な仕事をし、決して何かを得ようとせず、常に与える者であるのなら、その人は忠実な聖徒だと言おう。報いを求めず、ただ正直であるのだから。率直であろうとし、すべてを与える心があり、神のために命を犠牲にして証しすることができるのなら、正直で、神が喜ぶことだけを願い、自分のことは考えず、自分のためには何も求めようとしないなら、そのような人は光に養われ、神の国で永遠に生きるのである。真の信仰と真の忠実さとが内にあるかどうか、神のために苦難を受けたことがあるかどうか、神に心から従っているかどうか、自分の心に尋ねればわかるだろう。もし、そうしたものが欠けているのなら、あなたの心の内には、不服従、欺き、貪り、不満が残っている。心が正直でないから、神に認められたこともなく、光の中で生きたこともない。人間が最後にどうなるかは、その人が正直で神への強い想いがあるか、清い魂の持ち主かどうかにかかっている。極めて不正直で、悪意に満ち、汚れた魂をもっているなら、その人の終着点は人が罰せられる場所だ。もしあなたが、自分は極めて正直だと言いながら、真理に適う行いをすることも、真実を語ることもしないとしたら、それでも神があなたを報いてくれると期待するだろうか。それでも神が、あなたをこの上もなく慈しんでくれると期待するだろうか。そんな考えは非常識ではないだろうか。あらゆることで神を欺いていながら、どうしてあなたのように手の汚れた者を神の家が受け入れることができようか。


 第三の忠告だが、まず神を信じる者はみな、これまでたどってきた道のどこかで神に逆らい、神を欺いたことがある。過ちの中には、不正として記録する必要のないものもあるが、赦されないものもある。その多くは行政に背くものであり、神の性質に逆らうものだからである。自分の運命を心配する多くの人々は、それはどういう行いかと尋ねるだろう。あなたがたは、自分が本来、傲慢で尊大であり、事実を受け入れることを望んでいないということを知らなければならない。だから、まずあなたがたが自らを省みた後、少しずつ教えていこう。行政の内容をよく理解し、神の性質を知るようにしなさい。そうでなければ、唇を閉じていることができず、いつまでも偉そうなことをまくしたてるだろうから。無意識の中に神の性質に逆らい、闇に落ち、聖霊と光とを失うことになる。あなたがたは、行いにおいて無原則だからだ。してはいけないことをし、言ってはいけないことを言うなら、相応の罰を受けることになる。あなたは言葉と行いにおいて無原則であっても、神はそのいずれにおいても、まことに原則がある。あなたが罰を受けるのは、人にではなく、神に背いたからだ。もし、あなたの人生で神の性質に背くようなことを幾度もしたのであれば、あなたは地獄の子ということになる。人間の目には、真理に沿わないことを少ししただけのことと見えるだろう。しかしながら、神の目からすると、あなたのためには、もう罪を贖う捧げ物がないのだということは、わかっているだろうか。あなたは行政に何度も背いていながら、悔い改めようとしなかった。そのため、地獄に落とされ、神の懲罰を受けるしかないのだ。神に従ってきた僅かな人達は、原則に背く行いをしたけれども後に取り扱われ、導きを受け、徐々に自らの堕落を知り、現実の正しい道を歩み、今も正しい基礎の上にしっかりと立っている。そうした人々は、最後までその道から外れることはないだろう。わたしは正直な人を求めている。もしあなたが正直で、正しい行いをするのなら、あなたは神の心を知ることができる。行いにおいて神の性質に背かず、神の意志を求め、神を敬う心を持つなら、あなたの信仰は基準に達している。神を崇め、震えるほど神を恐れる心がない者は、容易に神の行政に背いてしまうだろう。多くの人が感情に基づいて神に仕え、神の行政をも知らず、ましてや神の言葉の深い意味など分からずにいる。そして良いことをしているつもりが、神の計画を妨げているようなことがしばしばある。深刻な妨げをする者は見捨てられ、もはや神に従う機会は与えられない──彼らは地獄に投げ込まれ、神の家とは何の関係もなくなる。そうした人は、神の家で無知な善意をもって働き、結果、神の怒りを引き起こしてしまう。人々は、役人や主君に仕えるやり方を神の家に持ち込み、そういうやり方がここで通用すると、無益に思い込んでいる。彼らには、神は羊ではなく、獅子の性質を持っているとは、思いもつかない。そのため、初めて神と関わった者は、神と交わることができない。神の心は人間のそれとは異なっているのだから。多くの真理を理解して初めて、いつでも神を知っていられるようになる。この認識は文字や教義ではなく、神の心を知る宝、神があなたを喜んでいる証となるものである。真の認識を欠き、真理を自らのものとしていないのなら、あなたの感情に基づいた奉仕は神に嫌われ、憎まれるだけである。このように、あなたは、神を信じることが、単に神学を学ぶことではないということを理解できるだろう。


 わたしの忠告は短いものではあるが、これらはみな、あなたがたに最も欠けているものだ。今、話をしていることは、人間の中での最後の働きのためであり、人間の結末がどうなるかを決定するものなのだ。これ以上、無意味なことは、もうしたくない。枯れ木のようにどうしようもない人々、ましてや邪悪な意図をもつ人々を導き続けることも、したくない。おそらく、いつの日か、わたしの言葉に込められた心からなる願いと、わたしが人類のために行ったことが、あなたがたに理解されることだろう。おそらくいつか、あなたがたが自分の最終的な運命を決定する原理をはっきりと理解する日が来ることだろう。

朗読 主イエス・キリストの再臨の御言葉 「神の性質と神の業の結果を知る方法  」 その4
神の姿勢を理解し、神に関する誤解を全て解消すること
人間の結末を決定するのは誰か
人間には経験に基づいて神を定義する傾向がある
神の業の最中に逃げ出す者に対する神の姿勢
神の業の最中に立ち去る者は、真の道を捨てる者である
『言葉は肉において現れる』より

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『言葉は肉において現れる』より

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『言葉は肉において現れる』より

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