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まじめな話です。社会を切るのではなく、そう到った思考を辿りたい。
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原発は危険?


お久しぶりです。

何年ぶりだろ…。
まだ20代の頃にやっていたのに、もう30代。時間が怖い。

最近、原発の問題がとても気にかかる。原発の問題が示したのは…

1、高度な耐震性
→あれだけの地震でも津波でもまったく建物は崩れなかった。

2、意外な安全性
→観測された放射線量は、ほとんどの地域で人体の許容範囲内だった。

3、代替性のないエネルギー源
→風力や太陽光のニュースから、原発の代わりにはならないことが明らかになった。

結論から言えば、原発はかなり高い安全性を有していた、になるだろう。

もちろん事故は事故である。結局、電力が止まって冷却装置が稼働しなかったのも事実である。だから、今後は冷却装置が止まらないような仕組みを、専門家・技術者がしっかり考えていけばいい。原発はより安全になるだろう。

ところが…

1、チェルノブイリと同じという洗脳
→レベル6でからレベル7にすることで、福島=チェルノブイリという情報操作を行った。格納容器がないチェルノブイリの事故と同じなわけがない。今後建設される原発にも格納容器は不要とでも言うのだろうか。

2、空中線量=被曝量という誤操作で洗脳
→だいたい人間は20時間は室内にいるわけで、空中線量の半分くらいが被曝量であるにもかかわらず、空中線量だけで恐怖をあおった。

3、年間20mmシーベルトは危険?
→年間180mmを浴びている宇宙飛行士は皆、ガンになるのだろうか。

4、強制移住
「空中線量」が「年間20mmシーベルト以上」の地域の住民を強制的に移住させ、福島=汚染された、というイメージを作り出した。後述するが、住民への被害も確定させた。

5、浜岡原発を止めた
福島の原発も地震で「緊急停止」していたわけだから、浜岡原発を止めたことに何ら意味はない。先にも書いたが電気が止まったことが福島原発の事故の原因である。

民主党が「日本列島は日本だけのものではない」(鳩山)の言葉にあるように、反日政権であることはよく知られているが、今回の原発に関しても「反日性」はかくも堂々と発揮された。

1、電力不足で日本中を苦しめたい
→原発がなかったら電力は絶対に足りない。

2、電気代を爆上げさせたい
→足りないでは済まされないので、いろいろ頑張るなか、我々に負担が回る。ただ値段が上がるだけで結局足りない。

3、日本経済を停滞させたい
→安い電気代は国際競争力の源泉であり、電気代を上げて、製造業にダメージを与えたい。実際、既に浜岡を止めたことで、東海地方では生産がストップしたり、遅れたりしていた。

そもそも、思うのは、左翼は大企業が嫌いなので

東電

もその延長線上でツケを払わされている感がある。例えば、土壌汚染にしたって「どれくらい汚染されているか」がわかっていない。安全かもしれないし、危険かもしれない。故に東大は今年も作物を育てるべきだ(データを収集すべきだ)と提言している。にもかかわらず、強制移住で一定の損害を発生・確定させて、さぁ、賠償しろと言うのだから筋が通らない。

「危険神話」とも言われるこの現象だが、菅直人が仕掛けた壮大な罠から、みんなが目覚めてほしいと切に願う。

『白夜行』を読んで ケータイ投稿記事

大きな志を持って書かれた実験的な小説である。同時にまだ「こっち側」という印象もある。20年近くを経た壮大な物語における、2人の主人公の書かれ方はほぼ完璧だったと言える。読者にはわかるように、登場人物たちにはわからないように書かれた。反語で言えば、読者には論証的にはわからないように、登場人物には論証的にはわかるように書かれた。

こっち側というのは、2人が共謀を図った動機や結末が書かれたことである。そこは要らなくないか? ある種の未解決事件として終わらせた方が、言い訳がましくなくて良い気もする。なんとなく作者の達成感から、結末が緩んでしまった印象を受ける。ここまでチャレンジしておいて、最後は置きにいったか…という感じだ。

もちろん傑作には違いない。今回読んでいて思ったのは宮部みゆきの『火車』に似ているな、ということだ。もちろんこれも傑作である。読者に渡す情報の選択が大きな志に基づいており、練りに練られたというインパクトを持った。ただラストで言えば『火車』に軍配があがる。

反対に『白夜行』の終わり方では、なんでわざわざそんな書き方をしたのかが問われて来るのではないか。その結末だったら、そんなに大きな志はこの作品じゃなくても良かったはずである。そういう意味でも実験性の高い小説だ。とりあえずこの小説で試したのだろう。完成度より志にプライオリティを置いたのだ。

昨日、浦沢直樹も語っていたが「人間の闇を表現する」という言葉に違和感を感じる。今回でも共謀の動機が書かれた時点で、その動機じゃ弱いと思うだろう。正確には「闇のある人間の闇を表現する」のはずである。心の闇という文学的な文脈なら桐原も雪穂もやっぱり切り捨てて良かったはずだ。それこそ『MONSTER』のヨハンくらいに。

前に読んだ『容疑者xの献身』もそうだったけど、東野圭吾は「愛」の解釈がデカい。たぶんわざとやってるんだろうけど、「極論、愛していたから」では「愛ゆえの犯罪への行動力促進」は書けても、やっぱり程度問題になるし、いやいや愛でそこまでは…という読了感は出てくるはずだ。

わざとというのは「人を本気で愛せば、これくらいは…」という啓蒙も入っているという意味だ。まさに人間の闇である。そこに魅せられる程、俺は若くないのかもしれない。きっと『白夜行』が好きな人はミスチルがなんだかんだ好きだ!

たとえリアリティはないのかもしれないけど、やはり俺にはボリスが間宮中尉に銃を撃たせるシーンの方がリアルだ。愛や環境に動機を持たせる必要はない。文学的な文脈においてリアリティは訴追されない。「想像しないことだ」とボリスは言った。そうだと思う。

野球の醍醐味 ケータイ投稿記事

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ボストンレッドソックスが約60億円で松坂との交渉権を獲得した。これはイチローの4倍強の数字であり、もちろんポスティングシステム史上最高の金額だ。ボストンは松坂への期待を露骨に表明したと言える。

ボストンは今季、投手陣が崩壊して地区3位に終わった。だから投手力の建て直しが急務であったのだが、そういう個別の事情抜きで基本的にメジャーは日本投手陣に好意的だ。欲しい人材なんて数え上げればキリがないだろう。

原因はメジャーにある。現在メジャーリーグは30弱の球団で運営されている。これが多すぎるのだ。仮に15球団に絞れば、下半分のピッチャーは不要になる。そういう意味でメジャーのレベルは我々が想像しているより低い。野手の球を打っているようなものだ。

これがサッカーや他のスポーツだと一概には言えない。オールスター戦のレベルが必ずしも高いわけではないし。ただ、野球のピッチャーとなれば話は別である。あれは個人技なのだ。以下の説明で十分かな?

★先発ローテ

斉藤/SB
黒田/広島
松坂/西武
川上/中日
清水/ロッテ
井川/阪神

なら打者が楽天でもリーグ1位通過は間違いない。1試合平均3点取れば勝てる。野球とはそういうスポーツである。

ボストンは松坂大輔で年間15〜18勝を買ったつもりでいるはずだ。松坂は球団数が15でも5でも2でもピッチャーであり、15球団になったら消える半数のピッチャーとは格が違う。ヒットばかり打つ打者とも違う。

そんなわけでイチローだけど、松坂がメジャーで対戦したいのはイチローだそうだ。松坂は一年目のときイチローから3三振を奪い、ヒーローインタビューで「自信が確信に変わった」と言った。そこまでは有名な話だが、実はその後イチローにめちゃくちゃ打たれている。

西武にすれば、エースがオリックスのバッターにヒットをコツコツ打たれても、なんら痛痒はない。次を抑えてくれれば良いのだ。メジャー球団もそういう扱いだ。イチローだってマリナーズが最下位ではなかったら、安打記録も塗り替えられなかったと思う。

ところが当の松坂はそれを良しとしない。相手が誰であろうと、自分がカモられたなんて許せない。そもそも、自分の投げたボールが打たれるということに、まったく納得がいかないのだ。ピッチャーとはそういう人種である。

「昭和の怪物くん」こと江川卓はプロになって最初の登板で、投げた球をファールにされて愕然としたそうである。「俺の球をバットに当てやがった…」。ホームランでもヒットでもない、ただのファールで。一流のピッチャーはマウンドから強烈なプライドを投げ込んでいる。

もちろん松坂は完投型のピッチャーであり、常に全力で投げるわけにはいかない。ただイチローなり中村ノリには全力だった。プライドをかけて挑む。そしてバッターもその球を打つのである。清原も野茂や伊良部のベストピッチをスタンドに運んでいった。

野球とはそういう意地がぶつかるゲームである。最近ではハンカチ王子が大阪桐蔭の中田から4三振を奪った。フライさえ打たせなかったのだ。野球の醍醐味はここである。日本だろうがアメリカだろうが、プライドが放つ火花は美しいと思う。


そういえば、上原が一年目のときに涙を流しながら、すげえストレートで敬遠を遂行していたなぁ…。あれを観た人は皆、野球を改めて好きになっただろう。画像のおじさんにも聞いてみたい。

牛王プロジェクト ケータイ投稿記事

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「B型のれいこ」(画像1)が富山から東京に研修に来るとのことで突如企画された「牛王プロジェクト」は、T社長(実際は次長)の参加により急転直下の展開となる。


※牛王プロジェクト…牛王という焼き肉屋に行くってだけ


T社長は川崎→富山→仙台と転勤をしているのだが、れいこが牛王に行くことを告げると、金曜日に仕事が終わったらT社長も仙台から川崎に来るというのだ。俺は焼き肉を食べるだけで仙台から川崎に来るなんて話を聞いたことがない…。

しかしれいこ始め、彼を知る者は皆が口を揃えて「奴なら来る!」という。富山に残った同期も「あんなエンターテイメントに貪欲な奴はいねえよ」と。そして俺が半信半疑でも、T社長の伝説は川崎界隈に轟いていた。


遊ぶ金に糸目をつけない、バブル世代最後の大物として!!


前日、T社長が牛王を予約したという情報がれいこから入った。やはり来るらしい…。男→漢→侠と男子はそのステージにおいて表記が変わるのだが、仙台から2時間以上かけて川崎に乗り込む者はまさに侠である。


ちなみに牛王はそんなT社長が川崎支店にいたときの行きつけ店である。


当日の今日、俺はれいこと先に合流しラゾーナをぐるりと回った後、予約のある20時に牛王に着いた。T社長は21時到着予定である。とりあえず2人で始めていようとなると、そこはさすがB型&三十路に突入したれいこ、「どうせT社長の奢りだわ♪」と「上」を頼んだ。


れいこ「上タン塩と上カルビをくださ〜い」

店長「えっ?」


…まあ、店長からすればT社長との親交も深く、本人がいないのに「上」を注文する我々を不審に思っても当然である。やや反省した。雰囲気を察し、普通の肉を頼もうとする我々に先立ち、店長が我々を諭した。


「T社長はそんな肉頼まないですよ? 予約もらったんで、ちゃんと用意してますから♪」


我々は「侠の器」を測り間違えたのだ! 牛王にはメニュー(画像2)にある特上よりもさらに上の「社長の肉」なるものがあるらしい。「A5」を名乗ることを許された最高ランクの肉々達だ。


ぬおぁぇぉぉょ…


舌の感覚が全身を弛緩させる。我々は出されたタンとハラミをゆっくり味わった。…否、食が進まないのだ。悲しい事件が蔓延する現代において、牛王には確かな幸せが置いてある。B型のれいこさえ簡単には食べることはできない。


目の前にあるのは口の中に入れれば簡単に溶けてしまう肉であるのに…。


そしてT社長の到着を待たずして、我々の下に塩カルビとタレのカルビが運ばれてきた。画像3、4、5。そのまま食べても、カルビをライスにくるんで食べても、どう食べたってもう…。どうやらこの辺が俺の文章力の限界であるらしい。


涙が頬をつたった…。


T社長が現れたとき、俺はこの初対面の男性を神だと思った。部下として仕えたことのあるれいこも胸中は俺と変わらないはずだ。…侠は毛生え薬の話を始めた。昔、相場の話題をさらった持田製薬の薬を使ってるが商品名のせいか、いまいち信用ができない、と。


商品名『氣の精』



おいしい焼き肉に楽しいトーク、本当にごちそうさまでした!!

『城のある町にて』 ケータイ投稿記事

梶井基次郎には嫌な思い出があって(テストで0点だった)相変わらずうまく読めないんだけど、なんとも文学少女好みの文章であろうかと改めて感銘を受けた。

このご時世に文学少女というカテゴリーが存在するかは怪しいと思うんだけど、幼くして三島や太宰を読む風な人たち―いまならこっこ先生か?―の趣向にぴったりなのである。

特別に頭がよく文学ならすべて読んできたような秀才を別にすれば、皆が部活だなんだに精を出している中で、夜な夜な小説を読む層には概して自尊心が付き物だ。


みんなはこの世界を知らない!


だから俺のような校庭出身の人間が文学に触れるのは、奴らに土足で玄関をあがったかのような嫌悪感を誘発させるわけだけど、さておいてそういう文学に必要なのは「気付き」である。

たぶん梶井は視力がいい。聴覚的な描写は文体から練られたと思われるが、視覚的な描写はまさにピンポイントである。微細なもの、儚いものの記述に喜怒哀楽を込める文章は、「気付き」のオンパレードだ。

遠くで男の子にイジメられてる風な親戚の女の子を主人公は見ている。ひとりの男の子に順番で数人の女の子が握手して投げられるだけなんだけど、親戚だけ強く投げられる。

それも夕暮れ時となれば主人公は目が良いとしか思えないでしょ? もちろん梶井小説では、それでも握手をされにいく親戚の子の内面をいろいろ窺っては、読者のテンションを下げてくるんだけど、これは文学少女好みではないと思われる。

やはり小さい虫のその一部の描写などがツボなのではないか。女の子が投げられるのは遭遇すればよいのだが、小さい虫には遭遇しても「気付か」ない可能性がある。それに「気付け」るのが文学少女の自尊心を満たすのだ。


それをよく国語の教師は「感受性」と呼んだ。


感受性と聞くとテコが思い浮ぶ。微量の文章を片側に起き、もう一方がどれだけ振れるのかというものだ。確かにそういう素養は個体ごとに違って存在する。しかしそれは必要な素養かと疑問にも思う。少なくとも教師が教えることではない。

高3のとき英検で付属中に行ったとき、全国で賞を取ったという読者感想文が貼ってあった。主人公の心情にこれでもかとコミットした内容だったが、あれを頂点とするなら読者感想文は無意味だと思う。背の高さを競うのと変わらない。そして教育は生徒の身長を伸ばせない!

いまの俺が中学生に混じって読者感想文を書いたら、きっと賞を取ることは容易いだろう。「おい、ここだろ?」とサディスティックに求められるレベルの感受性を記せる自信がある。AVをいれるビデオデッキで勃起してみせる。

じゃあそれが正しい成長かと問われればかなり怪しい。梶井を読むとはそういう種類の娯楽だと思う。というか文学自体が娯楽なのだ。ラスコーリニコフがついでにもう一人殺しても「なんでやねん」と笑顔でツッコむべきだと思う。

というわけで、俺の中で梶井への敬意は、常に国語教育のアンチテーゼを伴う。一流の書き手であるには違いないんだけど、周りももう少しストレートに梶井を捉えるべきだ。主人公の視力に驚くとかね。マジすげえよ!

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