旅の思い出

旅の思い出・国内・外国・食べ歩き・スカイツリー・季節の草花・日替わり写真・尻取り写真川柳。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全733ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

イメージ 23

イメージ 24

イメージ 25

金婚記念旅行の欠席者を巡る旅最終回
1日目・北陸紀行34(写真は全て2015年10月18日撮影)

恋を見つける海
能登内浦「えんむすびーち・見附・恋路海岸風景」

恋路海岸(こいじかいがん)は、能登半島七尾北湾に位置する石川県鳳珠郡能登町の1kmの海岸。沖には弁天島が浮かぶ。

海岸名の由来は、この付近であった悲恋伝説によるもの。毎年7月の海の日の前日には、その伝説にちなんだ恋路の火祭りが行われ、大松明が夜の海を赤く染める。

また、海水浴場(恋路海岸海水浴場)でもあり、夏は海水浴客で賑わう。
内浦のやさしい女性的な景色を代表する海岸として、恋路海岸があります。穏やかに湾曲した砂浜と真っ赤に塗られた鳥居の後方に浮かぶ弁天島は恋路海岸の象徴です。

浜に寄せる波はやさしく、訪れる人たちに安らぎを与えてくれます。
地名に由来する悲恋伝説が伝えられており、浜辺の一隅には、その青年と娘の像がたっています。

現在では、そのロマンチックな名称から”ラブロード”と呼ばれ、恋の橋渡しとなっており、訪れる若者が絶えません。

地名から、カップルで訪れる人が多く、近くに設置されているハート型のモニュメントに鐘があり、2人で鳴らすと恋が成就すると言われている(写真20から23) 。

また見附島(珠洲市)から恋路海岸までの3.5kmの海岸線は、「えんむすビーチ」と言われている。

悲恋伝説

今より約700年余の昔、鍋乃と助三郎という愛し合う2人がいた。
助三郎は夜ごと鍋乃が焚く火を目印に逢瀬を重ねていたが、ある晩、助三郎の恋仇が別の場所に火を焚き、おびき寄せられた助三郎は海の深みに身を取られて命を落としてしまう。

また鍋乃もその悲しみから海へと身を投じてしまう。生きているうちに結ばれなかったと言う、この2人の悲しい恋物語、伝説を伝える像が建っている。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

イメージ 23

イメージ 24

イメージ 25

金婚記念旅行の欠席者を巡る旅最終回
1日目・北陸紀行34(写真は全て2015年10月18日撮影)

珠洲焼会館の見学を終え、次に向ったのは見附島である。

見附島(みつけじま、見付島)は、石川県珠洲市にある島。軍艦島(ぐんかんじま)ともいう。能登半島国定公園(写真11から25)。

珠洲市の南部、鵜飼海岸(着崎海岸)の南東200 - 300メートルに位置する。当地方に広く分布している新第三紀珪藻泥岩からなる白亜の島で、周囲400メートル、面積1,147平方メートル、標高は28メートルである。

見附島という島名は、弘法大師が布教のために、佐渡から能登へと渡る際に発見したといわれている島です。

最初に「目についた島」というのが名前の由来で、能登のシンボルとしても慕われています。先端部分が突き出たその姿から「軍艦島」とも呼ばれています。

島内には見附神社があり、クロマツやシイ、タモ、エゾイタドリといった植物が分布しているほか、カラスやウが生息している。

島の周辺は公園として整備され、遊歩道やレストハウス、海水浴場、キャンプ場、国民宿舎のとじ荘がある。

大きな踏石が渚から見附島まで約200m敷き詰められています(写真21から25)。
珪藻泥岩の大きな砕石です。これは1948年(昭和23年) に、見附島の周囲の海中に崩れ落ちていた岩石を拾い集めて、本島まで歩いて渡れるよう並べたものだと言います。

その後修復もあったようですが、元来は見附島を構成していたものなのです。
多少ゴツゴツした感がしますが、是非渡って行き見附島を近くから仰ぎ見るのもいいでしょう。

今は本島まで残り20m程という付近の途中の踏石を取っ払ってあります。海水に浸からないとこれから先に進むことが出来なくなりました。

交通アクセス
公共交通機関北鉄奥能登バス・宇出津真脇特急に乗車し、バス停「南鵜飼」にて下車、徒歩8分間。

北鉄奥能登バス・珠洲特急に乗車し、バス停「珠洲鵜飼」にて下車、徒歩17分間。自家用自動車能登空港から40分間。200台分の駐車場がある。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

金婚記念旅行の欠席者を巡る旅最終回
1日目・北陸紀行30(写真は全て2015年10月18日撮影)

*(注釈は末尾に)

珠洲焼は、12世紀中葉(平安時代末)から15世紀末(室町時代後期)にかけて、珠洲郡内*1で生産された。

北海道南部から福井県にかけての日本海側に広く流通した、中世日本を代表する焼き物のひとつである。

製造技術は、古墳時代から平安時代にかけて焼かれた須恵器*2の技法を受け継いでいる。
丘陵の斜面にトンネル状の窖窯*3を築き、燃料の量に対して供給する空気を制限する還元炎焼成*4を行ない、1200度以上の高温で焼き締める。

さらに、火をとめる段階で焚口・煙道を密閉して窯内を酸欠状態にすることで、粘土に含まれる鉄分が黒く発色*5し、焼きあがった製品は青灰〜灰黒色となる。

釉薬は使用していないが、焼成中に降りかかった灰が熔けて自然釉を生じ、独特の景色となっている。

器種は、貯蔵に使われた甕・壺と調理に使われた鉢の三種類が主に生産されたが、経筒や仏神像、水瓶(すいびょう)といった宗教儀礼に使うものや、魚網の錘(おもり)など、多種多様な製品を作っている。

初期の珠洲焼には、瀬戸内地方の東播系窯*6や、東海地方の常滑窯・渥美窯の影響がみとめられ、生産を開始するにあたって、それら生産地からの技術伝播があったとみられる。

その背景には、当時の珠洲郡の大半を若山荘*7として領有した京の九条家と、直接荘園経営にあたった日野家の関与があったのではないかと考えられている。

それは、珠洲焼の生産期間が若山荘の成立・衰退とほぼ軌を一にしており、荘園経営の一手段として窯業が導入されたとも理解できるからである。

製品は、海上輸送*8によって日本海沿岸伝いに運ばれた。陸上交通が発達していなかった当時において、遠隔地への往来や物資の輸送には、水上交通(海・川・湖)のほうが便利であった。

焼き物という重量物を出荷する流通コストの面では、日本海に突き出した能登半島は、地の利があったといえる。

14世紀には最盛期をむかえて、日本列島の4分の1を商圏とするまでになったが、15世紀後半には急速に衰え、まもなく廃絶した。

この衰退の理由には、室町時代後期には戦国の世になり、生産・流通の後ろだてであった荘園領主の力が衰え、流通圏確保が難しくなったこと、また越前窯や常滑窯、備前窯などが分業や窯の大型化により、生産性を向上させていったことに対抗できなくなったことなどが考えられる。

現在、窯跡は約40基ほどが見つかっているが、生産の期間や流通量を考えれば、まだ多くの未発見の窯跡があるものと想像されている。

注釈

*1珠洲郡(すずぐん)
 古代に設定された行政区分で、現在の珠洲市および鳳珠郡能登町の旧内浦町地域が相当する。養老2(718)年、越前国から珠洲・鳳至・能登・羽咋の4郡が分離されて能登国が成立する。

*2須恵器(すえき)
 5世紀ごろに朝鮮半島から焼成技術が伝わった、灰黒色の無釉陶器。土師器(土器)に比べ高温で焼くため、硬く保水性が良い。土師器より高級品で、全国各地に設置された官営工房で生産された。平安時代末に官営生産体制が崩壊するまでを須恵器と呼称し、中世以降の須恵器の技術を継承している珠洲焼などは、須恵器系という。これに対し、8世紀ごろから灰釉陶器(瓷器)を生産した愛知県猿投窯の系譜を引く常滑窯、渥美窯、瀬戸窯などは、瓷器系という。

*3窖窯(あながま)
 須恵器を焼く窯として日本に伝わり、その後の瓷器も含め、中世末まで一般的に用いられた陶器窯形式。山の斜面を利用したトンネル状の単室構造で、近世初頭から使われだした複室構造の登窯とは、区別される。地下式、半地下式、地上式があり、瓷器(系)窯では、燃焼部と焼成部の境に天井を支える柱(分炎柱)がある場合が多い。

*4還元炎焼成(かんげんえんしょうせい)
 窯内への空気供給を不足気味にすると、粘土や釉薬に含まれる鉱物から酸素を奪い(還元)、特有の色を発色する。須恵器や青磁の色は、鉄分が酸化第二鉄から酸化第一鉄となる還元反応による。また、耐火度の低い粘土を焼き締める場合にも適している。還元炎に対して、酸化炎、中性炎がある。薪を焚く窖窯では、燃焼が不安定なため、酸化と還元を繰り返している。

*5鉄分が黒く発色
 焼き物表面の色あいは、消火時の操作によって最終的に決まる。窯を密閉しないと鉄分が酸化(酸化第二鉄)して赤褐色となる。酸化還元反応は900度以上で起こるため、還元雰囲気で温度を下げた場合、焼き物が900度以下に冷めれば、その後、窯内が酸化雰囲気になっても赤褐色になることはない。銀黒色のイブシ瓦なども須恵器と似た窯閉塞消火技法をとるが、これは鉄分還元による発色ではなく、焼成温度が低いためにスス(炭素)が滲み付いた(蒸着した)もの。須恵器や珠洲焼は、高温で焼き締めるため炭素が蒸着せず、鉄分の発色だけで灰黒色を呈する。

*6東播系窯(とうばんけいよう)
 兵庫県南部の東播磨地方に分布する、神出窯・三木窯などの須恵器系窯の総称。壺・甕・鉢と瓦を主に生産し、平安〜中世前半に、近畿と瀬戸内地方を消費地とした一大産地を形成した。

*7若山荘(わかやまのしょう)
 能登国最大の荘園。国司源俊兼が私領化し、康治2(1143)年、荘園として公認された。伝領した息子季兼は、さらに所有権を確実にするため、皇太后の皇嘉門院藤原聖子に名義的な寄進を行なった。その後、本家(名義上の所有者)は聖子の実家である九条家に引き継がれ、領家(実質的な所有者)も源家と姻戚関係にあった日野家に移った。公家の領地である荘園は、鎌倉期以降、武家によって侵食が進むが、日野家は室町幕府将軍の正室をたびたび出していた関係で、戦国期まで支配力を保っていた。

*8海上輸送(かいじょうゆそう)
 荘園からの年貢輸送から生じた、問丸(といまる)とよばれる商品輸送業者が主要な港や都市に居住し、中世を通して発展する。これが近世以降の問屋となる。日本海の航路(流通ルート)は、若狭湾で東西に分かれていたため、珠洲焼が山陰方面まで直接流通することはなかった。

解説 - 珠洲市。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

イメージ 23

イメージ 24

イメージ 25

金婚記念旅行の欠席者を巡る旅最終回
1日目・北陸紀行30(写真は全て2015年10月18日撮影)

珠洲焼の売店をみて回った後「珠洲焼資料館」(写真14から6) へ。
写真1から15は珠洲焼資料館前のベンチと枯葉。

珠洲櫛目袈裟襷文壺(すずくしめけさだすきもんこ)(写真22)
出土地未詳  本多静雄氏寄贈
器高33.7cm、口径13.4cm、胴径25.6cm、底径8.5cm
13世紀後半(鎌倉時代中期)

すんなりした長胴から外反する口縁端に、先が尖った櫛歯具で、さざ波文様をめぐらし、さらに上胴に荒々しい斜格子、中胴に波しぶきを連想させる三帯の連弧文と直線文をかけ合わせた、大胆な構図で器面を飾っている。

珠洲の列品でも、櫛目文をこれだけ縦横に駆使した装飾壺は珍しい。素地はよく焼き締まって、ところどころ緋色に発色し、肩にうっすらと黄緑色の降灰がかかり、下胴にはきめ細かい叩き目を残す。口縁の半分を欠損するが、珠洲独自の装飾壺として名高い逸品である。
こうした多彩な櫛目文のデザインを、器全面に描いた装飾壺は、他に2例が知られている。

消えた珠洲焼の謎

珠洲焼は、古墳時代中期に大陸から伝わった須恵器(すえき)の流れを汲んでいるといわれています。

鉄分を多く含む珠洲の土を、粘土紐で巻き上げた後に形を整え、それを1200度以上の高温で焼く「燻べ焼き(くすべやき)」という技法で作られ、コーティングの役割を果たす釉薬は使わず、高温で溶けた灰が自然の釉薬となり、素地も炭化して珠洲焼独自の灰黒色の艶を生み出します。

日本各地に広まった珠洲焼は、15世紀後半に突然途絶えてしまいますが、その理由については、今日まではっきりとは解明されていません。

当時台頭してきた他の窯のように大量生産に対応できなかったためともいわれていますが、作り手が確保できなかったのか、なんらかの事情で素地となる材料が手に入らなくなったのか、あるいはあえて大量生産を拒んだのか…今なお多くの謎に包まれています。

受け継がれる黒の系譜
昭和30年以降になると、珠洲一円で40基ほどの珠洲焼窯跡が発掘されました。

調査や研究が進むとともに、幻の古陶をなんとかもう一度この地に復活させたいと願う地元の人々の情熱が原動力となり、試行錯誤の末、昭和53年、珠洲市陶芸センターにおいて、ついに珠洲焼は長い眠りから目覚めたのです。

よみがえった珠洲焼が放つ、深い黒の輝きや手仕事ならではのあたたかみ、謎に満ちた存在そのものが人々の心を捉え、再興以来、珠洲焼に情熱を注ぐ現代の陶工たちが誕生。

遥か昔に、この地で陶器づくり一筋に生きた古の陶工たちの魂を受け継ぎ、新たな珠洲焼の歴史を刻んでいます。説明文出典・石川新情報書府

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

イメージ 23

イメージ 24

イメージ 25

金婚記念旅行の欠席者を巡る旅最終回
1日目・北陸紀行30(写真は全て2015年10月18日撮影)

珠洲ビーチホテル

定食は、飲食店等における料理の提供形態の1つ。
複数の定まった料理を提供するもの。コース(course)料理ともよぶ。
対義語は、「一品料理」や「アラカルト(a la carte)」である。

提供場所
オートキュイジーヌの例定食を主として提供する飲食店を定食屋、または大衆食堂と呼ぶ。
オフィス街に位置する居酒屋では、夜間の主営業時間外であった昼食時に定食を提供しているところが多い。

社員食堂や学生食堂でもセットメニューとして提供されている。

有職料理は宮殿などで、本膳料理は城などで提供されてきた。

懐石や会席料理は、料亭や割烹、また待合やお茶屋などで提供される。

オートキュイジーヌやヌーベルキュイジーヌは、レストランやホテル、オーベルジュや宮殿などで提供される。

ファストフードでもハンバーガーとフライドポテトのようにセットメニューがある。

種類
トルコ料理
様々な料理が定食やコース料理、セットメニューとして提供されている。下記は一例である。
ラーメンライス、満漢全席
オートキュイジーヌ、ヌーベルキュイジーヌ
ヌーベルシノワ、広東料理、北京料理
トルコ料理
インド料理
御節料理、有職料理、本膳料理、懐石料理、会席料理、普茶料理、卓袱料理
刺身定食
焼肉定食、豚肉生姜焼き定食、秋刀魚塩焼き定食
豚カツ定食、唐揚げ定食、天ぷら定食
鯖味噌煮定食
みそ汁定食
蕎麦定食、うどん定食、焼きそば定食、お好み焼き定食
餃子定食、レバニラ炒め定食、麻婆豆腐定食、酢豚定食

珠洲焼(すずやき)
12世紀後半頃から15世紀末頃に石川県珠洲市付近で生産された、中世の日本を代表する陶器のひとつ。古墳時代から平安時代にかけて焼かれた須恵器の技法を受け継いでいた。

珠洲焼の復興
約400年前に忽然と姿を消した珠洲焼を1976年(昭和51年)珠洲市が復興。1989年、石川県指定伝統的工芸品の指定を受ける。

珠洲焼の関連施設
珠洲市立珠洲焼資料館(石川県珠洲市蛸島町1-2-563)
中世の珠洲焼を収集・保管し、展示している。

珠洲焼館(石川県珠洲市蛸島町1-2-480)
珠洲焼を展示・販売している。

珠洲市陶芸センター(石川県珠洲市蛸島町ミ部1-1)
一般向けの「珠洲焼体験」を行っている。また、珠洲焼の陶工を育成するための「珠洲焼基礎研修課程」も開設している。

珠洲焼は、12世紀後半から15世紀末にかけて能登半島の先端・珠洲郡内(現在の珠洲市周辺)で作られた中世を代表する焼物です。

14世紀には日本列島の四分の一に広がるほど隆盛を極めましたが、戦国時代に忽然と姿を消しました。

以来、「幻の古陶」とよばれてきた珠洲焼ですが、わずかに残された断片からその姿が明らかになるにつれ、素朴で力強い美しさが人々の心を魅了し、約400年の時を経て再び発祥の地によみがえりました。

全733ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
tabi
tabi
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

登録されていません

ブログバナー

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事