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世界遺産(達谷窟毘沙門堂)

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西光寺・御供所

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達谷窟御供所 西光寺・御供所

御供所とは社寺に付属した、供え物を調える所(写真は9月21日撮影・彼岸花が最盛期でした)。

達谷西光寺は、お寺なのに鳥居があり毘沙門堂は神域で、達谷西光寺境内とは厳格に区別されていました。

別当は毘沙門天に仕えるのが勤めとされたため、檀家が一軒もなく葬式をしないという珍しいお寺。

4月には恒例の「達谷窟鎮守白山社春季大祭觀櫻會」が行なわれ御供所では茶会が、御供所前庭では夜神楽が開催されます。

8月1日から31日まで開催の【達谷窟写真展】が毎年開催されています。
今年も恒例の講演会を下記のとおり開催致しました。
1 平成26年8月23日(土)
2 場所 達谷西光寺 御供所
3 講師 達谷西光寺学芸調査員 千葉信胤 氏

達谷窟毘沙門堂・金堂

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世界遺産の旅・平泉巡り

世界遺産の構成資産からは外れていますが、達谷窟金堂は古くは講堂と呼ばれ、達谷西光寺の根本道場になります。

根本道場
最も重要で中心となる宗派を総括する寺を言う宗派もあれば、大本山という宗派もあり、総本山と言う宗派もあります。

延暦21年(802年)、達谷川対岸の谷地田に建立されましたが延徳2年(1490年)の大火で焼失後、江戸時代に現在地に客殿が建立され金堂としての役割を果たしていた。

その後は現在の場所に建てられた客殿がその役割をしていましたが、明治の廃仏毀釈にあい破棄されてしまいます。

現在の建物は平成8年に完成したもので、ご本尊の薬師如来は真鏡山上のご神木で造られました。

昔の工法を駆使した造りなので、この達谷窟に相応しい見事な金堂になっています。

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世界遺産の旅

姫待不動堂は、智証大師が達谷西光寺の飛地境内であった「姫待滝」の本尊として不動明王を祀ったのが起こり。

「姫待ちの滝」は悪路王が都からさらってきた姫君を、達谷川上流の「籠姫」に閉じ込め、逃げようとする姫君を待ち伏せしたとされる滝のことです。
(参照・稲と滝 http://blogs.yahoo.co.jp/ebisu_ojima/39423223.html

しかし堂宇の腐朽が激しかったため、寛政元年(1789年)この地に移されました。不動明王像は桂材の一木彫で平安後期の作と考えられています。

昭和21年隣家から出火し西風にあおられた火は、毘沙門堂や辨天堂に燃え移りましたが、不動堂は西側にある奉行坊杉に守られ類焼を免れました。

火の神である不動明王が、奉行坊杉に降りた為だとか…。そんな不動明王の霊験と歳月を感じる、趣のある小さな茅葺のお堂です。
出典・観光ガイド[たびねす] by Travel.jp。

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世界遺産の旅・達谷窟毘沙門堂・其の5

金運UPと縁切りのパワースポット、蝦蟆ヶ池辨天堂

金運UPのパワースポットとなっているのは、毘沙門堂の前にある蝦蟆ヶ池(がまがいけ)辨天堂。

この蝦蟆ヶ池は神の池とされていて、古来からこの池に棲むものは辨天様のお使いであるとして殺生が禁じられ、特に蛇は大事にされています。そしてこの辨天堂にも以下のような縁起が伝わっています。

その昔、達谷川や北上川に美しい浮島が行き来していました。しかしこれは五色の蝦蟆の姿をした、貧乏をもたらす貪欲神が化けていたもの。

折よくこの地を巡礼していた慈覚大師がそのことに気づき、島を捕えこの毘沙門堂の前に持ってきて逃げないようにお堂を建てます。

さらに蝦蟆を降伏する白蛇=宇賀神王を頭に頂いた、八臂辨財天を自ら刻んで祀り、蝦蟆ヶ池辨財天と名付けました。

年代は記されていませんが、慈覚大師が天長6年〜9年(829〜832年)に東国巡礼の旅にでていることから、その頃の話と思われます。

辨天様は言わずとしれた金運商売の神様。貪欲神を降伏した上に建っているとなればなおさらご利益がありそうです。お財布で「ガマ口財布」がありますが、この池の由来も「蝦蟆」なのは偶然なのでしょうか…。

また辨天様は嫉妬の強い女性なので縁を切りたい方にはお勧めですが、仲の良いカップルが来たり、縁結びを願うと逆に縁が切れてしまうので注意しましょう。
出典・観光ガイド[たびねす] by Travel.jp。

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世界遺産の旅・達谷窟毘沙門堂

源義家が彫ったと伝わる磨崖仏・岩面大仏

毘沙門堂の西方にあって、高さおよそ30mにもなる岸壁に刻まれた16.5mの磨崖仏。北限の磨崖仏で、全国の五大磨崖仏のひとつに数えられています。

前九年・後三年の役で亡くなった敵味方の霊を供養するために、陸奥守源義家が馬上より弓筈(ゆはず・弓の両端の弦をかける部分)で彫ったものだとか…。

大日如来とも阿弥陀如来とも言われていますが、古碑には阿弥陀如来を表す「キリーク」の記号が刻まれていること、磨崖仏に対し、昔から阿弥陀如来の名号を唱えていることから、達谷西光寺では阿弥陀如来としています。

明治29年に胸から下は崩落して無くなってしまいました。そのため現在は「岩面大仏」と呼ばれています。

亡くなった人の死後の幸せを願う気持ちが、穏やかな表情から感じ取れ、毘沙門堂のある場所が現世・この磨崖仏のある場所が来世を表しているのかも知れません。

※前九年・後三年の役 
共に平安後期の戦で、奥州を舞台とした戦。

前九年役:永承6年〜康平5年(1051年〜1062年)、朝廷方・源頼家と陸奥国の豪族・安倍氏の戦い。 

後三年役:永保3年〜寛治元年(1083年〜1087年)、朝廷方・源義家と前九年の役の後、力を持った清原氏の戦い。奥州藤原氏が登場するきっかけとなる。
出典・観光ガイド[たびねす] by Travel.jp 。

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