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しばらく涼しかったのに、またしても、べっとりと蒸し暑い日が戻って参りました。
この夏は、節電云々で、電車の冷房設定温度を上げるの、計画的運休(間引き)で、結局順次元へ戻すの、と、何やら騒がしいですが、私の高校の初め頃は、山手や京浜東北ですら、まだ冷房がありませんでした。
首都圏の国電がこうですから、一歩ローカルに踏み込むと、どうなっていたかと言いますと……
これは、昭和47年秋頃の、相模線西寒川駅(現在廃線となった支線の終点)で撮ったもので、アルバムでは「無人」と、タイトルを付けていますが、白熱灯車であるのはさておき、冷房どころか扇風機すら無〜〜い!
この頃の相模線は、西ハチ(八王子機関区)のキハ10、キハ16の天下で、キハ20が1〜2両、キハ30が数両。こんな車が、首都圏の外れの方とはいえ、大手を振って走っていたのですよ。
下の写真は、ずっと時代が下って、昭和54年3月に撮ったものです。ASA400のカラーフイルムが出始めた頃で、粒子が粗いのには閉口しました。
2度目の九州旅行、唐津線に1本残っていた客車列車に乗ったら、このオハフ
33599(門ニシ、西唐津)は、扇風機が無〜〜い!まあ、春先でしたから問題は無かったですが。
さらに時代が下って、昭和59年8月に乗った奥羽本線の客車列車、仙フクのオハフ
612542にも、蛍光灯化はされていたものの、扇風機すら無いのに驚きました。残念ながら、このときの車内風景は残っておりません。
中学時代(昭和46年頃)、「鉄道ジャーナル」の「列車追跡シリーズ」に、「ドン行日本縦断 稚内〜西鹿児島」というのがあって、この中の山陰線だったか、「編成をメモしているうちに、隣の車両が軽量のナハであり、扇風機もついているのを発見し、こちらに移動」というくだりがあり、「え〜!扇風機も無い客車なんてあるの?!」と思いましたが、かろうじてその存在を確認出来たのは、鉄道ファンとしては「幸い」でしょうねえ……
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それまではあまり気にしなかったのですが、いちばん強烈に冷房車がいいと思ったのは昭和58年東京転勤になって、横浜から京急で通勤していた時です。都営地下鉄乗り入れの1000系8両は冷房化されていたのですが、増結4両の700系(?)は窓があいている…。
しかも品川から1000系も冷房を止めてしまう…。生き地獄でしたねぇ。
2011/8/6(土) 午後 1:52 [ 日本一周 ]
えぇ〜!そんな!地下区間に入ったら冷房止めるって……地上と違って、冷房の熱がトンネルに籠もるから?まあ、そのころは抵抗制御の車ばっかりで、電制の熱をさんざん出していましたしね。それにしてもヒデ〜話ですなあ……
2011/8/7(日) 午前 7:43 [ 五十鈴 拓磨 ]
おおおー、車内撮が出てきましたねー!
パチパチ!!
これは、日本一周さまの倉書庫掲載とともに、車内撮書庫もUPしないと
いけないことになりそうですねー。
扇風機の無い車内撮かー、鎧戸のオハフ61のカットがあったっけかなー。
いろいろ、さがしてみますです。
あ、ウチにも寒川支線のカットがありますので、トラバさせてくださーい。
うまくできるかな・・。
2011/8/8(月) 午後 4:05 [ 亀三 ]
コメントの話ですが、ひょっとして、浅草線は駅冷房してたからでは無いですか?
また、トワイラゾーンの話ですけど、あのトンネルは利光鶴松がすでに戦前に
掘り抜いてあって、開通まで間があったため放置状態で設備か古くて、
と言う噂があります。
ちなみに、乗り入れ用に湘南電鉄の名車デ100には戦前のデビュー時すでに
台車に集電シューが装備されてて地下鉄線内ではパンタを下ろして、
第三軌条で集電して走る予定だったそうですよ。
そうなってたら、もっと暑かったかも・・。
2011/8/8(月) 午後 4:13 [ 亀三 ]
五十鈴拓磨・父が日本一周さんとお目に掛かった頃の名古屋市交通局東山線は、抵抗制御車ばっかしで、12月になっても新栄駅の駅員が半袖シャツ着てました。ウソのようなホントの話。さすがに写真は撮ってません(笑)。
奥羽線のオハフ61は、鎧戸の写真は撮ってあるんですよ。
2011/8/8(月) 午後 10:37 [ 五十鈴 拓磨 ]
ついでに思い出しました。江ノ電は、800の3扉改造・出場まで「扇風機どころか暖房もなかった」わけです。600なんか、冬の夜は寒かったな〜。で、年末年始の鎌倉の集札バイト、辻堂〜鎌倉の路線バスの乗車証もらって通勤していましたが、バスにも暖房が無〜〜い!通学で原から大学まで乗っていた富士急バスは、ちゃんと暖房があるのに。神奈中バスは、有る程度暖房が入っていたように思います。
2011/8/8(月) 午後 10:45 [ 五十鈴 拓磨 ]