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仙台に引っ越したのは昭和59年2月25日。転勤辞令を貰った昭和59年2月1日は、
国鉄の貨物輸送体系が根本から覆った「ヤードが死んだ日」で、仙台の家を決めに
行く途上、そこら中の貨物駅が、貨車の墓場と化していました。
中でも、大宮操車場(今のさいたま新都心付近)や、長町などは、もう見るも無惨という感じでした。
そんな中、引っ越したその夜に、目の前で10cmも雪が降ったり、生まれて初めての東北日本は、2年という短い間でしたが、しんどかったけど貴重な経験も積み、その後の新潟や、応援で行かされた12月の北海道夕張、今回の三陸応援など、雪と寒さを知っているだけに、心構えが出来ていて、その分楽でした。
さて、仙台時代の最初は、多分、雪が残っているから3月だったのでしょう。利府という所へ行って、その先の線路跡に立ちながら、
「ここを、C59やC61なんかが走っていたんだなぁ……」
という感慨に耽りました。
利府駅の保存車両については、日本一周様が掲載されていましたが、小生の転勤当時は、まだ駅からほど近い所にあり、車両もED9111とC58程度しかいなかったように思います。
後に、長町機関区でED9121を見つけて、文字通りブッ飛ぶ思いをするわけですが、この時は、ED9111だけで十分驚きました。
利府は、この先に森郷キャンプ場という所があり、転勤後即入団した仙台の合唱団が、ここで合宿をやるので、この後何度も行くことになります。
これは、また別の日であろうと思いますが、仙石線で石巻まで行って、乗り換えた石巻線のキハユニ26。小生の数少ない合造車体験でした。
これから20回程度ですが、仙台時代の写真をお届けする事になります。
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ご紹介ありがとうございます。
訪問が早すぎて、そのあとさらに集まったのでしょうか。
トラバお願いします。
2012/4/1(日) 午後 11:36 [ 日本一周 ]
昭和59年当時は、サラリーマン現役でした。
仙台都市圏の電車化による客車列車の廃止など、
激動の年でした。
2012/4/2(月) 午前 6:56 [ アラカンおっさん ]
日本一周様。
コメントありがとうございました。トラバの件了解です。
2012/4/2(月) 午後 0:24 [ 五十鈴 拓磨 ]
さとうや様。
仙台周辺から客車が全く姿を消すのは、昭和60年3月の改正からで、小生は辛くも間に合ったクチです。たかだか長町まで帰るのに、旧型客車やら、小牛田のキハ23やら、あるいは休日は、小牛田まで出てくる福島の客車に付いているオハフ61に乗りに行ったり、と、短い間でしたが、結構中身がある2年間でした。
それはそうと、なかなか仙台で1泊できる用事が作れなくて、ご無沙汰しております。仙台の店にも、鉄道の好きな者がおりまして、いずれ引き連れてお店にお邪魔します。
2012/4/2(月) 午後 0:28 [ 五十鈴 拓磨 ]