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仙台は、会社が駅の近くで、当時たくさん走っていた客車列車が仙台駅に着いて折り返すのに電気機関車(もちろんED75オンリーの頃ですが)を付け替えるときの、切り放し〜連結〜制動試験などの汽笛の合図がよく聞こえ、随分と旅心をそそられたものです。
住まいは、郡山三丁目で、はじめはバスで通勤していたのですが、そのうち、あの、機関区や操車場の下をくぐる長い地下道を通れば、長町まで歩いても15分程度ということがわかり、料金も安いので、通勤経路を変更してたった一駅ですが、鉄道の通勤を大いに楽しませて貰いました。
さて、仙台では、もっぱら旧型客車、とくにオハ61系などの、背ずりが木、白熱灯という、原型に近い車を探したのですが、さすがに蛍光灯改造が進んでおり、白熱灯車両には会えなかったようにも思います。
当時の仙台付近の概況は、電車と言っても急行「ときわ」間合いの451・453系
(水カツ)、「まつしま」間合いの455系(仙セン、457系も1編成だけ居たような記憶が……)、あとはとうとう直流区間に出ないまま終わった交直両用の417系
(仙セン?)だけで、581改造の715系は翌昭和60年3月から。急行型電車の通勤改造化(ドア付近をロングシート化)も、まだ急行現役時代のため手がつけられていませんでした。
このほか、仙ココのキハ23〜キハ48などが白石〜松島間で運用されていたり、50系や雑系の客車列車など、バラエテイーに富んでおりました。
50系は、八戸(盛ハヘ)の3両という短編成の列車のほかは、だいたい4両で、両端にオハフ、中間2両のオハから成り、オハフは33、オハは47がほとんどでしたが、
仙フクの編成はオハフ61が残っていました。
また、常磐線の客車列車は、水ミト編成で、こちらは勾配区間が無いせいか、
スハ43が結構残っておりました。
仙山線は仙センの客車ですが、スハ42などというちょっと珍しい客車も居ました。ここは山寺越えがある割にオハでなくスハが結構組み込まれていました。
前回掲載した石巻のキハユニ26は、手帳によれば3/18撮影のようで、仙石線の
73系で石巻へ行って乗り換えたようです。要するに、引っ越しそうそう、盛んに歩き回っていた、という事です。
その後、4月半ばに、東京で祖母の一周忌があり、下谷に行くのですが、この年の仙台は異様に寒く、4月になるまで最高気温が10度を超えることが無く、4月に入っても雪が舞うありさまで、4月半ばでも野に青草のかけらも見られなかったものが、南下して関東に入ると、次第に青い物が目に入るようになり、東京へ着いたら墨田の桜が満開になっているという具合。地図を見ると、確かに東北本線というのは、真っ直ぐ南北に走っているので、季節が直線的に変わって行くんですね。この辺が、東西に走っていて、様々な季節が混在している東海道本線と違う所です。
帰路は、まだ残っていた急行「まつしま」で仙台まで帰ってきました。上野11:54発、
仙台16:45着ですから、約5時間。グリーン車付きの9両でした。
さて、ようやく本題に入ります。初めての福米越えは4/22。なんと、仙台〜福島間は奮発して新幹線に乗っていたようです。福島駅では、ED788とEF713の重連が、4両の旧型客車を従えて発車を待っていました。この編成、両端がオハフ61でした。
福島〜米沢間の板谷峠は、4110、E10、EF16、EF64と、数多くの勾配用機関車が活躍した難所ですが、S43.10の東北本線全線電化複線化、いわゆる「ヨン・サン・トオ」のときから交流に切り替わり、本務機ED78、補機専用EF71の体制となりました。
……と、よそ者の小生が語ってはいかんなあ………(笑)
これは峠駅だったでしょうか?スノーシェッドというのも話に聞いていましたが、見るのは初めて。あ、「力餅」、売りに来たので、しっかり買いましたよ。当時は\500.-
4駅連続スイッチバックというのも、いかにこの峠が険しいかを物語っていますね。
ところで、これらの写真から、EF71は「前補機」の位置でなく、本務機の位置にいます。先頭に立っているのはED78の方で、どうも、この列車(429レ)、手帳に記載が無い所を見ると、福島から山形まで、この重連で通したようです。(手帳で、米沢の字を横線で消してある)
赤岩駅では、「つばさ」に道を譲ります。
米沢駅では「つばさ」と交換。この編成(秋アキ)に、クハ481-1001が入っていたようですが、こういう電車や気動車のトップナンバーって、あんまりサマにならないんですよねえ…………ここで、40分も停車時間があり、「牛肉弁当」を買ってお昼に。\600.-+お茶\100.-、と手帳にあります。
随分空いていた車内も、上ノ山あたりでようやく満席に近くなり、山形13:37着。
すぐ仙山線の830レに接続します。この続きは、次回。 |
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親父の方です。
あいや〜、何を勘違いしていたんだか!50Hz用ですから、
451・453・455ですね。修正しておきました。ご指摘有り難うございました。こういうポカが多くて………
2012/4/7(土) 午後 4:06 [ 五十鈴 拓磨 ]
うわー、赤岩の駅!
なつかしー!!!!
今思うと、ここから下の線路に降りて撮影ポイントまで
けっこうあったんだなー・・。
うーん、チョイと早いけど、押さえておいたカットを出さなくちゃならないかな。
アップしますね!
峠のスノーセット、もうチョイ大きくありませんでしたっけ??
2012/4/14(土) 午前 0:36 [ 亀三 ]
亀三さま。
貴ページのほうに先にコメントしてしまいました。
スノーシェドの件、はっきり言ってどこの駅か、自信ありません。1コマごとにメモを取る程マメでは無かったので……すんません。
2012/4/14(土) 午前 10:07 [ 五十鈴 拓磨 ]
こんにちは。
楽しく拝見させて頂きました。
機関車が重連で、短い編成の客車を牽く様子、いかにも峠を越える鉄道の風景ですね。一駅ごとにスイッチバックを行き来してホームに据え付けられたり、坂道を上り下りしたりと、いい時間が流れていたのではないでしょうか。
峠の力餅、私も買ったことがあります。いくらだったかはもう忘れてしまいましたが、ホームの立売りから買うのは、幼い頃以来の久しぶりでもありましたし、楽しい経験でした。
今の新幹線はスムースに静かに走っていきます。隔世の感がありますね。同じ「つばさ」の名を冠していますが、随分と変わったものです。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
2017/4/15(土) 午後 3:37 [ 風旅記 ]
風旅記樣。
この列車、重連で牽いていますが、重量的には160tばかりですから、単機でも十分で、おそらく1両は回送ではないかとおもいます。他の方々の記事を見ていても、単機で牽いている写真がありますから。
写真の良さ、という点では、このブログは全くダメで、唯一記録性だけがとりえです。
2017/4/16(日) 午前 9:17 [ 五十鈴 拓磨 ]
日本一周です。
お写真、使わせていただきました。
やはりEF71の時代が最高ですよね。このころ行けなかったのが残念です。
私はEF16のころに夜行急行で夜通過しただけでした。
トラバさせていただきました。
2017/6/23(金) 午後 1:27 [ 日本一周 ]