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平成3年4月1日付、横浜に転勤となりました。通勤区間は、辻堂〜戸塚乗り換えで横浜市営地下鉄の蒔田まで。ひどい混雑はないのですが、あまり面白みの無い日々を送っているうちに、いきなり8月から群馬の山奥のダム建設予定現場へ長期で出されました。
現場も落ち着いてきた頃、日曜日にふらりと出かけてきました。上毛高原から新幹線で越後湯沢へ行って、上りの上越線各停で、旧清水トンネル(ループ線のあるほう)に乗り、横軽を各停の115系で往復し、上信電鉄も全線走破するという行程。
まずはEF63の重連姿。この前鉄道文化村に行ってきましたが、昔日の感がありましたねえ……
双頭式連結器、というのか、自連と密連が一緒になったタイプなんですが、自連側しか撮れなかった……
11両の「あさま」でも、各停の115系3両でも、尻押しのロクサンは必ず重連。
ボケていますが、ED421。今は建物の中にいます。
これはEC40。今はどうなっているやら……
高崎へ戻って、駅撮り。
「教習車」ではありますが、かつてのロネ?こんな寝台車に乗ってみたかったなあ。
ナハ111もいました。今は鉄道文化村にいます。
オハニ36。こいつもまだ乗ったことがない。
この年の3月だったか、電化されて205系の500番代が入った相模線から押し出されてきた、八高線のキハ35「らくだ」色。
「白山」色489系。これは「あさま」にも使われていましたが、不思議なことに489系は、ボンネットタイプの方が生き残りましたね。
上信電鉄は初めて乗りました。小生の高校時代だったか、ぶっつづけに12日間のストライキで電車が止まったという、根性のある組合があったようですが、このご時世ではどうなったか……
明らかな改造車ですな。1両で、両側の顔が違うとは。
この年以降、ダム現場の長期出張が続きます。翌年からは、長野県の小海から東に入った、南相木村の現場に、毎年夏から、翌年の3月までいる、という生活が、平成7年まで続きます。
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こんばんは♪
かつての高崎! 降りたらそこに釘付けになっちゃいそうな客車がウジャウジャいましたね。旧イネなんて、進駐軍専用車でしょ、あれ?
この時期には、越前はなくなっていましたし妙高も電車になっちゃっていましたから、EF63が自連を見せるのは能登(601列車=横川23:24発/602列車=横川4:17発)のほかはスキー臨時くらいになっちゃっていたんじゃなかったでしょうか?
2012/10/20(土) 午前 0:29
親父の方です。
そうですね。もと「越前」のスジを受け継いだ「能登」くらいでしたでしょうね。福井まで行った「越前」のルートで金沢打ち切りだったのが、この頃の「能登」ですね。特急「北陸」は上越経由でしたしね
その「能登」(信越線経由)、近々出しますんで。
2012/10/20(土) 午前 10:02 [ 五十鈴 拓磨 ]