高崎線userのRailLIFE

倅:オカシイ。妹の方がネタ撮ってる 親父:偶然は怖いだろう??

20番線、親父の「鉄道以外」

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作曲家と詩人の間

 S樣へ。
 
 長いこと間が空いてしまいましたが、漸く「原典」が手に入りましたので、2回目のご報告をさせて頂きたく思います。
 
 前回は「眼から入った詩と耳から入った詩」という題名で、詩を鑑賞する立場の者について述べました。今回は、作曲家と詩人の間について、小生の経験も交えながらお話ししてみようかと思います。
 
 相当昔の話です。その当時私の居た合唱団が、ある曲の初演の栄誉を担いました。作曲家のI先生と詩人のN先生をお招きしての初の合同練習、それまでに私共に最初に配られて練習を重ねてきたのは、I先生手書きの楽譜(初稿)でしたが、その場で配られたN先生の「原詩」を見たら、驚くなかれ、I先生は、作曲の都合上なのでしょうか、N先生の優しさと美しさの溢れた詩を、文字通りズタズタにして、原詩に無かった言葉まで「勝手に」入れています。N先生のいわく、
 
「あんな言葉、私は書いたつもり無いんですけど!」
 
 もう、血の雨が降るかと思いました。結局、翌年出版されたこの曲、我々の初演とほとんど同じ内容となりましたが、なんぼ現代日本の代表的作曲家であるI先生といえども「こりゃァねェだろ〜ヨ!」というのが、正直な小生の感想でした。ですからその翌年、合唱組曲「幼年連祷」の楽譜を渡された時、巻頭にある作曲者、新実徳英氏の言葉には、一層の疑問を感じたものです。新実氏は、
 
 足かけ3年もの間一つのテキストを温め続けて書いた作品は私にとってめずらしく、それ故にかこの組曲には我ながら強い愛着を感じます。そしてこの長い期間、いつも心のどこかで私の<幼年連祷>が鳴り続けてこられたのは作品完成への執念もさることながら、吉原幸子さんの詩の魅力に負うところも大きいのです。
 だからこそ、演奏に際しては先ず詩を良く読んでいただきたいと思うのです。が、つぎにそれ以上に《音楽を読ん》でいただきたいのです。合唱や歌曲を作曲するということは、正しくは“詩に曲をつける”という事ではないからです。
 《音楽を読む》ということはテンポ、強弱はもとより、譜面から得られるあらゆるメッセージを受け取り、作曲者の抱いた原音像をできるだけ正確に再現することでありましょう。この過程を経ない解釈は単に恣意的なものでしかありません。一つの曲に様々の解釈が可能だと思いますが、このことが蔑ろにされぬよう、私は今更ながら声を大にせずにはいられません。
(太字は筆者)
 
と書いています。
 
 まず、「私の<幼年連祷>」と書いています。既に詩を読んだ作曲家の中で、前回お話しした「化学反応」が起こっているのです。これを裏付けるのが、続く「合唱や歌曲を作曲するということは、正しくは“詩に曲をつける”という事ではないからです。」という降りでしょう。「化学反応」があるのを認めたこと自体は何ら問題とは思いません。しかし、程なくして吉原幸子氏の詩集を入手して、小生の疑問は怒りにまで発展しました。

 合唱組曲の方は、「Ⅰ.花」、「Ⅱ.不眠」、「Ⅲ.憧れ」、「Ⅳ.熱」、「Ⅴ.喪失」という5曲からなっていますが、吉原幸子氏の原詩は、詩集『幼年連祷』の中に「けものたち」、「幼年連祷Ⅰ」、「幼年連祷Ⅱ」、「幼年連祷Ⅲ」、「幼年連祷Ⅳ」、「かなしいおとなのうた」を含んでおり、「Ⅰ.花」は「幼年連祷Ⅰ」に、そして「幼年連祷Ⅱ」に“喪失”、“熱”の順で作られています。さらに「幼年連祷Ⅲ」では“喪失ではなく”として、

 

  大きくなって
  小さかったことのいみを知ったとき
  わたしは“えうねん”を
  ふたたび もった
  こんどこそ ほんたうに
  はじめて もった
 
と歌っています。「喪失では無い」のです。そこで終わっていないのです。明らかに、新実氏の言い分は矛盾しています。新実氏は、勝手に吉原氏の詩の順番を入れ換えて、「自分の<幼年連祷>」を自身の中に作り上げました。それでいて、なぜ今度は演奏者に対して、
 
テンポ、強弱はもとより、譜面から得られるあらゆるメッセージを受け取り、作曲者の抱いた原音像をできるだけ正確に再現することでありましょう。この過程を経ない解釈は単に恣意的なものでしかありません。
 
と主張する権利があるのか?作曲家は絶対者ですか?!自分の中の「化学反応」を許しておいて、演奏者には許さない、というのはとんでもない思い上がりでは無いのか?
 
小生、転勤に伴って幾つかの合唱団を渡り歩き、作曲家でもある指揮者の先生のご知遇を得たこと一度ならずですが、こういう話を突っかけても、
 
「そんなもン、仕方ないよ!」
 
くらいの反応しか無く、この思いは長年くすぶっておりました。こんな議論も、初演から間も無い昭和57年頃であれば多少の反応もあったでしょうが、残年ながらその当時は、こんな「ブログ」などという物もなく、作曲家にケンカを売る方法も思いつきませんでした。それから30年以上経って、新実氏が考え方を変えられたのかどうか確認する術もないのですが、小生は、「言葉」を、「詩」を扱う立場として、また「演奏者」として、「化学反応」を認めるなら、作曲家は演奏者に対しても「化学反応」を許容すべきであると、今でも思っております。最後に、この合唱組曲、純粋に、曲として、小生は好きです。そして、演奏家の立場として「音を読む」ことを拒否する者ではない、とも申し上げます。
 
次回は、作曲家と演奏者の関係について考えてみようと思います。

閉じる コメント(8)

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とても難しい問題ですね。まず詞と詩を考えて見て下さい。詞は言葉です。しかし詩にはすでに韻という音楽が備わっています。さらに詩を読んだ作曲家が自分の解釈で得た音楽があります。それがたとえ詩を解体してしまったにしても作曲家がその詩をそう解釈したものと見るべきでしょう。それはまた演奏者によって解釈されて編曲という形をもつはずです。すべて原詩から得たものであればすべて認めるべきではないですか。しかし本来、詩と歌は別ものであると考えた方がよいのです。
「音」を読む。「音楽」を読む。これみな解釈です。10人いれば10の解釈があってしかるべきです。

2016/10/29(土) 午後 9:17 [ sada ]

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こんばんは。一般に無口な詩人と、その対極にいる作曲家という存在の対比を極端に示した例として興味深く拝読しました。

美の創造者たるべき作曲家が、そもそもその創作活動たる作曲のモチベーションとなった筈の詩(言語)に対してここまで傲慢(というか不敬)で無神経な発言をして全く恥じないというのは驚きの事実だと思います。

私が個人的に好きな作曲家たちは、少なくとも自然や言語に対して、もっと謙虚かつ敬虔な人たちばかりなので、怒りとか失望を覚える以前に、困惑を抱きました…。

2016/10/29(土) 午後 10:51 まつしま

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sada樣へ、ご返信ありがとうございました。
まさに、十人十色の解釈です。それを、作曲家だけがlここまで言い張る事に強い疑念を感じるのです。

2016/10/29(土) 午後 11:00 [ 五十鈴 拓磨 ]

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まつしま樣へ。
新実氏が、どこまでどう思って居たのか、自分以外の解釈を許さないというような常識外のことまでは思って居なかったろうとおもうのですが、やっぱり、こうして文章にされると、一瞬「カチン」と来ます。
「音から入る」立場、「言葉から入る」立場、またいずれご覧に入れます。随分昔の話ですが。

2016/10/29(土) 午後 11:02 [ 五十鈴 拓磨 ]

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10/30、6:40のナイショ樣。
御意。本人のオリジナリテイはオリジナリテイ、これが原則。然して、演奏が作品に新しい命を吹き込んだ事例、數限りなし。
このへんは、次回の作品で述べます。

2016/10/30(日) 午前 9:45 [ 五十鈴 拓磨 ]

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こんな話があります。遠藤周作の「沈黙」が映画化された時のことです。監督は篠田正浩で映画化を承諾しました。しかし試写を見た遠藤氏はその残酷なシーンに対してクレームをつけたのです。本で読むのと実際そのシーンをリアルに描くのでは大きな違いがあります。作者と監督の表現の違いです。両者譲らず議論が続いたそうです。しかしもう完成された作品は監督のものです。いくら作者が違うといっても原作の映画化を許したならば、もうその作品はひとり歩きしたものです。その時の遠藤氏の判断は嫁に出したものと思うことにしたそうです。
遠藤氏は敬虔なクリスチャンです。彼の立場では残酷なシーンは描いて欲しくないのです。しかし映像にした場合はやはり監督の表現に任せるしかありません。この時以来私もすべてその人の解釈で良いと思うようになりました。私のいうそれぞれの解釈で間違いないというのはこのことです。詩人、作曲家、演奏者それぞれです。

2016/10/30(日) 午後 4:18 [ sada ]

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sada樣、重ねてのご返信ありがとうございます。
作曲もやる指揮者の先生が言われておりました。
「結局、作品は、詩でも、曲でも、作者の手を離れて一人歩きするもんなんだよ!」
と。私はそれを否定するものではありません。
次作で、この辺はお話ししようと思います。

2016/10/30(日) 午後 7:35 [ 五十鈴 拓磨 ]

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10/30、21:15のナイショ樣。
いや、大丈夫ですから。本当に話がこじれてしまったら、そん時はそん時です。

2016/10/30(日) 午後 9:41 [ 五十鈴 拓磨 ]


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