高崎線userのRailLIFE

倅:オカシイ。妹の方がネタ撮ってる 親父:偶然は怖いだろう??

20番線、親父の「鉄道以外」

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 全集の掲載順に戻って、この「木枯紀行」も大正12年晩秋の旅。単行本未収録で、全集10巻収録です。

 この旅は、10/28沼津から御殿場まで東海道線(当時)、そこから馬車。須走で降りて蕎麦屋で一杯。徒歩で篭坂峠越えにかかりますが、これまでの睡眠不足で、途中道端で腰を降ろしてうとうと睡りだした牧水を、「風邪をおひきになりますよ」と呼び起こした男がいました。顔に半分以上の火傷があり眼も片方は盲ひて引吊つており、関東大震災のときの火災で大火傷をしたと語ります。丁度峠越えの道連れができた形ですが、「吉田」(富士吉田)で別れ、その男は大月まで急ぐと言って「そヽくさと電車に乘つて彼は行つてしまつた。」そうです。牧水はその後、河口湖まで歩いて一泊します。
ここに出てくる「電車」は、現在の富士急行。その歴史を調べていて、思いもかけぬものにぶち当たりました。

 牧水は「御殿場から馬車」と書いていますが、御殿場(起点は新橋)〜須走〜篭坂峠まで「御殿場馬車鉄道」という馬車鉄の路線があり、富士吉田側から伸びてきた都留馬車鉄道(今の富士急行の一部をなしている会社)と結びます。しかし、明治35年、官設鉄道の中央線が大月まで開業すると、大月、富士吉田方面の貨物、富士登山客は大月経由の路線に取られ、経営不振で明治38年解散、あとを気象学者が買い取って経営、明治42年、二代目・御殿場馬車鉄道として再興。それでも経営は難しかったようで、大正7年には須走〜籠坂峠間、翌大正8年には御殿場停車場〜須走間も廃止になり、新橋〜御殿場停車場のみの運行。大正9年、御殿場停車場〜窪町坂停留場に至る区間を開業させますが、バストラックが普及したため馬車鉄道は衰退。昭和3年に全線が休止、昭和4年に会社は解散してしまいます。山梨県側の方も、大正10年には篭坂峠〜静岡県境までの区間、昭和2年には、富士吉田〜篭坂峠間の馬車鉄道も廃止となります。牧水が訪れたのは、すでに馬車鉄の廃止後ですから、やはり「馬車」だったのでしょう。

 御殿場から須走に向かう道路と言えば、国道138号線で、国道1号線と箱根宮ノ下で別れ(実は小田原市内から宮ノ下までは国道1号と重複区間なんだそうです)、長尾峠(旧道)、乙女峠で箱根の外輪山を越え、御殿場から須走を抜けて篭坂峠を越え、富士吉田に至ります。この書き方、我ながら神奈川県出身者の記述だなあと思うのですが、本当は、国道138号の起点は富士吉田なんだそうです。自分に近い方から記述するという……
 また、御殿場市内、138号の渋滞がひどく、国道246号線との交差点より西側、「御殿場バイパス(西区間)」の一部は、数年前の「古戦場」でもあります。(もちろん「負け戦」の)ただ、線路跡のようなものは気がつかなかったな〜。

 一方、現在の富士急行の歴史は、というと、富士吉田市と中央東線大月を結び、東京からの登山客らを運ぶために敷設された富士馬車鉄道(610mmゲージ)都留馬車鉄道(762mmゲージ)による馬車鉄道を前身とし、大正10年に両社が合併し、大月 - 金鳥居上(後の富士吉田)間の軌間を統一・電化して電気運転を開始。しかし、馬車鉄道時代からの併用軌道では所要時間もかかり、急増する旅客をさばききれなくなったため、大正15年(昭和元年)に設立された富士山麓電気鉄道へ昭和3年に全線を譲渡し、1929年に新設の鉄道線に切り替えられ、馬車鉄道以来の軌道は廃止された、とあります。牧水の乗った大正12年というと、「富士電気軌道」の時代、電車とは言え762mmゲージの「軽便鉄道」なみですが、なぜか「軽便鉄道」とは書かれていません。

 この後、牧水は河口湖畔で1泊、精進湖畔、甲府へ出て汽車で小淵沢に向かい1泊、1031日から八ヶ岳越えにかかり、111日野辺山が原から松原湖畔に至って3日まで滞在、4日は北佐久郡布施村泊、5日岩村田へ出てきます。

 十一月五日。
 總勢岩村田に出で、其處で別れる事になつた。たヾ大澤君は細君の里なる中込驛までとてわたしと同車した。もうその時は夕暮近かつた。
 四五日賑かに過したあとの淋しさが、五體から浸み上つて來た。中込驛で降りようとする大澤君を口説き落して汽車の終點馬流驛まで同行することになつた。
 泊つた宿屋が幸か不幸か料理屋兼業であつた。乃ち内藝者の總上げをやり、相共に繰返してうたへる伊那節の唄。
逢うてうれしや別れのつらさ逢うて別れがなけりやよい

 「汽車の終點馬流驛」とありますが、大正8年には小海まで開業しているはずで、これは「路線の終点」であるのか、「その列車の終点」であるのか、判断が着きかねます。なお、「若山牧水伝」では「終点駅小海まで汽車、馬流の橋本屋泊」と書かれています。

 鉄道関係の事が出てくるのはここまで。この後の牧水の旅程は、馬流から千曲川に沿って鹿の湯(現在の海ノ口駅近く)〜さらに置くの湯沢(場所特定できず、川上村か?)泊、翌7日は木枯らし凄まじく終日炬燵で過ごし、8日再び野辺山が原の市場という所の一軒宿泊、9日朝、同行者とも別れて千曲川の水上を遡り梓山村泊、10日十文字峠を越えて秩父は栃本の旧家に泊めて貰い、11日三峰山登山、大滝村泊、12日東京泊、13日沼津に帰っています。

 さて、これは、「あれっ?!」と思いながら書き留めておかず、直ちにどうこう言える所では無いのですが、「千曲川の水上を恋うる歌」という合唱曲(藪田義雄作詞、小山章三作曲)がありまして、この出だしが、

 その水を手に結び その水に指をひたして

なのです。牧水が全く同じ事を書いていたような気がするのですが、はて、どこで書いていたか?
 もう1個所、牧水の書いたものとよく似た所もあったような気がするのですが、この件は「宿題」とさせて頂く事にしましょう。

(「木枯紀行」、終わり)

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五十鈴 拓磨
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