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こんばんは、五十鈴拓磨です。連投失礼します。
さて、今回は「01系の記録(おまけ)」と、題して、下手ですが、思い出話をさせていただきます。
01系を好きになったきっかけは、インターンシップ(朝の通勤対応時に駅員の補助をする仕事)です。
上野駅のB線、最渋谷方が私の立ち位置でした。一時間半と短い仕事時間ですが、路線自体が短い上、編成数が全部で38しかなかったので、仕事始めに見た編成が、仕事が終わる辺りで、もう一度姿を見ることができましたし、ほぼすべての編成を見ることができました。また、試作車と異端児達も元気に活躍していて、個性豊か。当時の朝運用は上野始発もたくさんあって、上野始発「三越前行」が定期であったり(虎ノ門行もあったような気がします)、両方のライトをつけながら幕を回して入ってくるシーンもあったので、見ていて飽きることはありませんでした。
(少し経ってから1000系も運用を開始したため、銀座線はとても面白い路線になりました)
夏は、風物詩である「隅田川花火大会」があるため、臨時対応でお手伝いしたのですが、夏場の01系は、冷房を掛けると、中も外もとても暑くて仕方ない車両だったので、お客さんでごった返し、蒸し風呂状態。そんな中に車両がきて、冷房の排出熱と車内の熱を出してくるので、駅が熱地獄と化していたのを思い出します。そもそも、駅事態に送風機やら冷房があるのに、追いついていないんですから、相当の熱量だったんですね。考えただけでも、恐ろしい...。
しかし、大体こんな時はいつもなら見られない幕が出るわけでして。臨時設定の電車が、仕事終わりに、次々と浅草から折り返してきて、「三越前」「銀座」「虎ノ門」「溜池山王」などの幕をだして、B線を走っていきました。この時初めて、銀座幕なんて入ってることをしって、カメラもてくりゃよかったと後悔した覚えがあります。(なお、翌年の隅田川臨時対応も参加しているのですが、同じことをやっています。)
このイベントの後、銀座線のなかで一番の異端児である第38編成が朝の運用を終え、中野車両基地まで廃車回送されました。この日もインターンシップがあり、見送ったばっかりだったのでショックを受けました。最終増備車である編成が消えるとは、みんな思っていなかったので、仲間内でもかなりの話題となりました。そもそも、平日はいつも見ていて、当日も何もないようにいつも通り走っているのを見ていたわけですから、今思い出しても悲しいことです。
この時から、危機感が芽生え記録をしだすようになりました。記録をするのが遅かったので、全編成記録は間に合いませんでしたし、ご覧の通り、似たようなカットを量産しました。もう少し、やりたいことはありましたが、個人的には悔いの(少)ない記録が出来たと思います。33年間のほんの一部しかしりませんが、一部でも関われたことは嬉しく思います。
最後に、33年間お疲れさまでした。
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8番線、私鉄
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