高崎線userのRailLIFE

倅:オカシイ。妹の方がネタ撮ってる 親父:偶然は怖いだろう??

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 先週の月曜日のことですが、会社で「営業のY君」に会ったら、
 
 「五十鈴さん、今週、ブログ上げませんでしたね。オレ、またいつ何時ひと様をイジるのかと思って、土曜・日曜に今朝までチェックしましたからね!」
 
だと。しっかりチェックしてくれてますね〜!
 
 前回まで「力行時」、つまり発車してから必要な速度まで加速していく段階での話をしてきましたが、今回は「制動時」、つまり停まるための段階について書いてみましょう。ここでは「モーターに外部から力を与えて回転させてやると発電機になる」原理を利用して、列車の持つ運動エネルギーを電気エネルギーに変え、更に抵抗器を通して熱エネルギーに変えて放散してしまう「電気ブレーキ(発電ブレーキ)」(以下特に断りが無く“電制”と言う場合、このブレーキシステムを指します)が主体となります。旧国鉄でこのシステムを使い出したのは、昭和32年に登場した90系電車(後の101系電車)からで、それまでは車輪を機械的に締め付ける物理的なブレーキが専らでした。電気ブレーキの併用により、車輪の損耗が減り、物理的なブレーキを掛けた時の鉄粉の飛散も相当に減らすことが出来ました。(もちろん、物理的なブレーキは「基礎的なブレーキ装置」として持っていましたが、この話はまた別途しましょう。)

 私の経験ですが、高校1年の時(昭和48年)、豊橋から静岡までを80系電車(13番線の最初の記事に出てくるあの車です)という電制を持たない電車に乗ってきたのですが、当然冷房など無く、窓を全開にしていましたら、家に帰ってふと目に違和感を覚え、こすってみたら角の尖った鉄粉が出てきました。よくも眼球を傷つけずに済んだもので、とくに乗っていたのが最後尾でしたので、ブレーキを掛けると各車両の台車から鉄粉が巻き上がるのが見えた位です。また平成7年、阪神淡路大震災の後、大阪店へ応援に行っていたとき、南海高野線の支線(天下茶屋〜汐見橋)に乗りに行きました。その当時でも電気ブレーキ付き車両が主流なのに、この線はかなりの「お古」が走っていて、当然電制を持っていませんでした。本線や高野線の線路を見ると、バラストが真白なのに、この線は電車がブレーキを掛けた時に飛び散る鉄粉で見事に赤茶けていて、その差には本当に驚きました。
 
 既に私が物心着いたころの首都圏では、電制を持った車両がほとんど、上述の80系も東海道線東京口では1運用しか無く、電制の無い電車に乗ろうとすれば、横浜線、南部線、鶴見線、御殿場線などに行かなければなりませんでした。この電制を持った電車の話についても、やはり中学時代に「鉄道ジャーナル」で読んだのでまとめておきます。また、ウイキペディアの「回生ブレーキ」というページもあり、併せて読んで頂ければ幸いです。
 
・電制と物理的なブレーキ(圧縮空気を使ってブレーキ装置を動かすので、
 以下“空制”と略します。)をまともに併用すると、電制の効く電動車(モーターを持っている車両)はブレーキ力が過大になる。
・従って、電制が効いている間は電動車の空制を加減していて、速度が下
 がって来て20km/hだかを切ると電制が切れて空制に切り替わる。なお、
 “切れて”、というより、速度の低下=回転の低下によって十分な発電力
 (=逆起電力)が得られなくなって電制が効かなくなるので、空制に切り
 替える。(この現象を前出のウイキペディアによれば“打ち切り”と言う
 そうです。)
・これが一番良くわかるのが、クモハ(制御電動車、運転台があってモー
 ターも持っている)で、ブレーキを掛けている時、クモハであれば運転台
 の圧力計は1.5Kg/cm2までしか上がらず、速度が落ちて20km/hだかを切る
 と、サッと圧力計の針が跳ね上がる。
 
 打ち切り現象発生の速度と空制調整中の圧力計の値は、もう記憶がアヤシイのですが、これを実際に確かめられたのは、多分京浜東北線の浦和電車区所属の103系、73両の編成、あるいは平塚や小田原の競輪開催日に走った臨時電車の7両編成であったと思います。というのは、当時の東海道線東京口の主力車両である153系、111113系には、元来「クモハ」が無く、同じ103系でも山手線用にはクモハを組み込んだ編成はありませんでした。そんな中で中学時代に私が乗る機会があったものと言えば、浦和の103系くらいだったと推定しております。
 
 結局、ブレーキを掛けるときに発電していながら、その電気は全部熱で捨てているというもったいない話を、電力として再利用出来ないか、というのが電力回生ブレーキの発想なんですが、「機関車図鑑 EF64」の所で書いたように、当時の半導体技術ではなかなか難しい面があったようです。というのも、「電制」の中には目的に応じて「停止ブレーキ」と「抑速ブレーキ」と大まかに二種類があり、長い急勾配を下るときに空制を使わず、電制だけでほぼ一定の速度で下って行くのが「抑速ブレーキ」、これに回生機能を持たせていたのがEF16だったわけです。回生ブレーキとして作動させるためには、発電された電気の電圧が常に架線の電圧を少し上回っていなければならず、もし下回るとたちまち「回生失効」と言って、回生ブレーキが効かなくなってしまいます。こうなると、単なる直巻電動機ではダメで、回路を追加して界磁を制御し、常に電動機から出た電圧を架線電圧より上げてやる操作が必要になります。つまり、事実上は「複巻電動機」に近い構造となっていたわけです。
イメージ 1


「鉄道メカニズム研究」より引用。別に、回路図が読める訳では無く、これでどうして回生ブレーキが使えるのか、説明できません…………


 EF16が「発電ブレーキ」でなく「回生ブレーキ」を採用したのは、何しろタイヤ緩みの対策が急務であり、これをなんとかするのが最優先であった事、当時の技術では大容量の抵抗器は重量が増えてしまい、最急勾配38‰という奥羽本線では列車の牽引重量に大きな影響を与えたからと推定するのがひとつでしょうか。後継機のEF64が回生機能を持たない発電ブレーキとしたのは、抵抗器の容量を大きくして熱で飛ばす方が当時の技術レベルでは楽だったのでしょう。また、抵抗器をなるべく小さく、軽くして、強制的にファンで風を送って冷却するという発想が、101系電車あたりから出てきて、技術的にもこの要求に追いつけるようになったからかと推定します。また、ほぼ一定の速度で勾配を下るための「回生機能の無い抑速ブレーキ」であれば、その制御も比較的簡単であったと考えられます。先ほどの「回生失効」は、電圧の問題だけで無く、電気を「食ってくれる列車」が居なくなれば発生します。ですから、ネットダイヤが組まれ、常に電気を食ってくれる列車が走っている横軽区間(碓氷峠)のED42や福米(板谷峠)のEF16でようやく実用化されていたのですが、「発電抑速ブレーキ」ならば、自車の抵抗器で電力を消費してしまう訳ですから、抵抗器の容量(冷却機能も、ですが)さえ確保しておけば問題は無い訳です。

 旧国鉄で最初に抑速ブレーキを装備したのは、「デラックス準急」の名で呼ばれた準急“日光”用の157系電車(昭和34年登場)で、その後上越線の特急「とき」用の161系、勾配線区急行用の165系、同じく勾配線区一般向けの115系などが作られました。実は、結構長野県下を歩いている割に「抑速ブレーキ」というものを意識したのは1回だけ。松本から夜行の「アルプス」で帰って来たとき、長い下り25‰を45km/h程でコンスタントにトロトロ下って行くので、「ああ、これが抑速ブレーキを効かせている走りか!」と思ったものです。

 では、今度は「停止ブレーキ」として回生ブレーキを使おうとすると、極論100km/h以上の所から停止までブレーキを掛けてくるわけですから、その発生電圧、電流ともに変化の幅が非常に大きく、高速域では電圧を抑制し、低速になるに従って電圧を上げてやる必要が出てきます。これは全く知らなかったのですが、昭和35年という早い時期に、東急が6000系(初代)で、複巻電動機を使った回生ブレーキ付き車両を世に出しており、直巻電動機のような電気子電流の抵抗制御ではなく、界磁電流の抵抗制御で力行、回生ともに行っていたんだそうです。時代が進み、界磁チョッパ制御の8000系なども出来て、私鉄の方は回生ブレーキが相当早くから停止ブレーキとして使われて居た訳です。

イメージ 2
イメージ 3

同じく「鉄道メカニズム研究」より引用。


 ところが、旧国鉄は、あくまでより構造の簡単な直巻電動機にこだわり、営団地下鉄千代田線と常磐線緩行の相互乗入れの時、営団では既に発熱量の少ない電機子チョッパの6000系が出来ていたのに、抵抗制御オンリーの1031000番台を投入し、営団の者からは「結局アイツが入ってきて熱出して行く!」と後ろ指を指されていたような記事を読んだような記憶があります。

イメージ 3

営団(現;東京メトロ)の6000

 実際、冷房装置自体が又熱を出しますから、地下鉄の冷房というのはなかなか困難であろうと創造します。私の名古屋時代(昭和5558年頃)、地下鉄東山線は抵抗制御の100系、200系、300系が主力で、もちろん車両冷房は無く、新栄町など、12月中旬になっても改札口の係員が半袖のYシャツを着ているのを見て驚いた事があります。確かにあの発熱量はハンパではなく、昭和57年からアルミ車体で冷房付きのチョッパ制御車、5000系が出るに至って、やっと「冷房車」の恩恵にあずかれるようになりました。


イメージ 4
名古屋市交通局東山線 100


 地下鉄でなくても、多分昭和50年頃の夏場、山手線にもまだ冷房車がほとんど居なかった時代、窓全開で内回り電車に乗っていて、外回りの電車とすれ違う度にものすごい熱風を喰らうので閉口した覚えがあります。また、昔の103系、113系などで通勤していた時代、夏など、ホームの最前列で電車を待っていて、電動車(モハ)が通り過ぎる時の暑さ(当然抵抗器の放熱ですが)も思い出しました。上尾に来てからでも、既に115系は高崎線上野口から退いていましたが、基本的には抵抗制御車である211系と、VVVFインバータ制御の231系では、ホームに入って来た時の暑さが大分違ったようにも思います。今やその211系が、高崎から先に行かないと見られないご時世ですが。

 という具合で、調べれば調べるほど解らない事が出てくる泥沼に自分で足を突っ込んでおりますが、まあ、トシヨリもアタマ使わないといけないから、脳トレとでも思って頑張りましょう!

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五十鈴 拓磨
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