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ご隠居、還暦を迎える
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出遅れました、すみません。
なにはともあれ、退職金が満額出るところまで無事の(かどうかは判りませんが)お勤め、ご苦労さまでした。中退→再入学の小生も、この秋、禿げたテッペンに赤シャッポ(助役・駅長・赤帽に変身できるワケではない)です。延び延びになっているツァーガイド、是非とも検討・調整なさってみてください。今次改正で一番のハイライトが早朝に移ってしまいましたが、なにか契機になるものがないと、休暇もなかなか出しにくいと思いますので。
※「年長者に『ご苦労様』と云うな!」と目くじらを立てる向きが多いようですが、最近あちこちでしょっちゅう耳にする『お疲れさまでぇ〜っす』という心のこもらない常套句の方が遥かに失礼だと思っておりますので、娑婆に戻った兄貴に『オツトメご苦労さまでしたっ!』と挨拶するつもりで書きました。ご了解賜り度 m(__)m
ご隠居、還暦を迎える
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[ 五十鈴 拓磨 ]
2018/3/24(土) 午後 5:39
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[ 五十鈴 拓磨 ]
2018/3/24(土) 午前 9:55
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「解る」ということについて 〜S様へ〜
20番線、親父の「鉄道以外」
[ 五十鈴 拓磨 ]
2018/3/4(日) 午前 6:16
「解る」ということについて 〜S様へ〜
20番線、親父の「鉄道以外」
[ sada ]
2018/3/4(日) 午前 4:09
「解る」ということは「感じる」という事とは少し違うと私は思います。小林秀雄は人並み外れた分析力をもっていて、それは集中することで得たものではないでしょうか。たとえば私が絵を見て分かったと思う事と「解った」ものの違いは如何に大きいでしょうか。抽象画の場合、画題をみて「解った」と思える人は数少ないでしょう。しかしピカソの『夢』という作品を見て、私はピカソが好きになりました。それからは彼のどんな絵を見ても分るのです。それは「好き」という感情からでしょう。しかしそれがピカソを解ったことにはなりません。
上野で「ピカソ展」を見て20年以上経っていますが、『夢』はその時買ってきた絵葉書の1枚であり、現物は個人所有ということで公開されていません。ただ実際の絵画を見なくとも葉書1枚で充分なのです。たぶん本当に解るまでにはもっと時間を要することでしょう。
一番いけないのは「分った気がする」ことです。桜を見て分るのはその花の名前が桜と分っただけです。それで大概のひとは済ませています。
「解る」ということについて 〜S様へ〜
20番線、親父の「鉄道以外」
[ 五十鈴 拓磨 ]
2018/3/3(土) 午後 8:46
「解る」ということについて 〜S様へ〜
20番線、親父の「鉄道以外」
[ 日本一周 ]
2018/3/3(土) 午後 7:22
冬の東京にも翡翠はいる様です。(2)
3番線、無題
[ 五十鈴 拓磨 ]
2018/2/5(月) 午後 9:00





