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こんばんは、投稿は週一にします。
学校辛いわぁ・・・暑くて。 前回は、「きたぐに」乗る前までの投稿でした。
今回は、乗車〜大阪到着までの投稿です。
夜の22:45頃
きたぐに入線。これが月光型か!
急行と言う文字、関東ではもう見られない種別
特急の文字がチラミ
おぉ、グリーン車。
ロゴ
電源室?
元はMGを詰んでいたらしい。(親父談)
荷物置き場。冗談はここに置いてそのまま放置しておきましょうw
元々なのと、シュループにも使うため、スキー板置き場が設置されていた。
Asahiの自販機は・・・
休止中w
下段は広かったw
これから、真っ暗な日本海を眺めながら大阪へ。
(略) 着いたぁぁぁ!
到着直後はすこし暗かったけどw寝られたし、静だったし、良い寝台旅でしたw
大阪での一枚
201系は見慣れたけどw何か違和感。
初225系5000番台!
ちょっと斜めっちゃったけどw 親父曰く「E257のパクリじゃん」だとか
お!
カフェオレ!しかも113!?うっはぁぁぁ!
初っ端から充実した物が撮れて初日から超大興奮!でした! 次回は「大阪近郊〜阪和」です!阪和線はもう水色チック! |
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2011年09月11日
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さて、高校に合格し、中学の卒業式も終わった昭和48年3月、奈良〜松本方面の
家族旅行に行きました。ようやく、少しは旅らしき雰囲気が出てきた頃です。
この家族旅行ですが、前段がありまして、本当なら大垣夜行で行くはずが、発車1時間前に父(辻堂の爺様)と東京駅に着いたら、座席定員を遙かに超える列が出来ていて、「こりゃ、ダメだぁ」と、一旦辻堂に帰る事になりました。東京駅で下りを待っていると、20分位遅れている特急「つばさ」の接続待ちで、旧型客車を連ねた「銀河2号」、「銀河51号」が発車を遅らせて待っていて、甲子園へ向かうどこかの高校の連中が、ホームで「巨人の星」の主題歌を大声で歌っているような、一種異様な雰囲気の所へ、東京駅では見たこともなかったクリームと赤のキハ181系が入ってきて、たちまち乗り換え客達の喧噪が始まったのを、今でも夢のように思い出します。
仕切り直しの結果、翌日朝辻堂を出て、小田原から新幹線で名古屋へ、ここから近鉄特急で大和八木に向かいました。もちろん初めての近鉄です。
伊勢中川の連絡線、今は複線ですが、当時は単線。
近鉄名古屋線は、もともと1067mmゲージで、伊勢湾台風の後、「社運を賭けて」
1435mmに改軌し、大阪方面、伊勢方面との直通が可能になったとは、大分後で知りました。
青山トンネルも、まだ単線の頃。(榊原温泉口か東青山で撮影)この前年、トンネル内で特急同志の正面衝突事故を起こしています。
大和八木から乗り換えた、これは橿原線というのでしょうか、京都線を含め、この
モ600系という小型車の天下でした。平端は、当時は地平だったんですね。今は
高架になっていますが。良く見ると、「モ613」、「モ614」、「モ615」と、連番が並んでいます。この後、近鉄を筒井?で降り、法隆寺〜法起寺〜法輪寺と徒歩で尋ねて、関西本線の大和小泉駅へ。
この年の7月電化開業を控え、架線は張られていましたが、亀山機関区の
キハ35、関西本線の為に作られたDCに、その活躍の最後に間に合った訳です。
夕陽の奈良盆地を最高45km/h程度で走って奈良駅に着き、振り向くと、桜井線用のキハ20がたった1両佇んでいる、その向こうに落ちていく夕陽が印象的でした。
この後、奈良で泊まろうとして何所も満杯、ならば、と、近鉄奈良から西大寺へ出て京都行き急行(前掲、モ600)で京都へ、ここでも宿がとれず、ついに新幹線で名古屋まで来て、ようやく地下鉄東山線の中村日赤近くの旅館に泊まることが出来ました。いや、この時は、いくら両親が一緒でも心細かった〜。
翌日は、名古屋から中央西線で中津川まで行って、馬籠・妻籠の宿へ。
中央西線も、その年の7月電化開業で、架線は張られていましたが、急行「きそ」シリーズで、念願のキハ57に乗れて、感激でした。上の写真は、メモによればキハ65のようです。
中津川に着いて、すぐ、「キハ57にのったんだぞぉ〜!」というつもりで、この写真を撮りましたが、セガレがこれを見て、「お茶が20円!、で、そのあとに10円ってなっているのは何?」と聞かれて返答に窮しました。「お代わり」のお湯だろうか?
入れ替えに精出すC12244。この機関車とは、この年の夏の、初めての独り旅のとき、木曽福島でもう一度会います。ほかに、DD51、D51も「全景」的なものはあるのですが、やっぱりコレ!
1本遅らせたら、この珍車に乗れたんだろうに…でも、実際に見られて、写真まで残っているなら、ヨシとしなければならないでしょうねえ。隣のホームには、各停のDCが停まっていて、ここにキロハ25格下げのキハ26 300番台も居たのですが、写真が残っておりません。
この後、馬籠・妻籠を経て南木曾からDD51の牽く普通列車で松本へ。木曽福島で買った400円の駅弁は、当時としては「高いなあ」という部類でした。
松本からの帰路は、特急「あずさ」だったと思いますが、南木曾に着いた段階でカメラを爺様に返してしまったため、写真は全く残っておりません。
次回からは、本格的な独り旅の記録となります。
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