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こんばんは、最近涼しくなりましたね。
涼しくなったは良いんですが、朝の三時に家を出る時は流石に寒くて、着込まないと風邪を引きそうです。 さて、前回は阪和線の信太山で終わりました。 今回は、南海〜関西線〜環状線〜大市交〜神戸と移動します。
前回告知したタイトルと違う所は気にしないでください。
信太山から三国ヶ丘、南海高野線に乗り換え。 三国ヶ丘で一枚 高野線ではまだステンレス車両が走ってるんですねぇ
運賃が高いことで有名な
泉北高速の車両、この電車で「なんば」へ移動します。
到着
ここからJR難波に歩いて移動。
JR難波
221系の4両。子供の頃、奈良線で乗って以来の乗車です。
この電車で天王寺まで行き、天王寺から環状線で大正へ 大正での一枚
またもや221系
京美人?
281系特急はるか 目的は103系なんだけどなぁ・・・と思ってると
呼んだ?と言わんばかりにすぐ来てくれた(笑)
振り子形の代表格も残り一年の運命
ここで充電の残りが危なくなってきた上に、左足の負傷を抱えているので、
大市交緑地線+千日前線で一旦ホテルに・・・。
その時乗った千日前線25系
25系の「ぶぉー」っていう警笛、ちょっと「えっ?(^^;)」となってしまいました
ホテルのロビーで一時間の小休止の後、「そうだ、神戸行こう」という感じで神戸に行きます。
大阪での一枚
321系、これどう見たって207系じゃない?それが元じゃない?そうでしょ!
おぉ!1000番台の第一編成! キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!! そして神戸・・・
207系かぁ・・・天理に行った時は207の方が珍しかったような気がします。
神戸に到着したのはいいですが、左足の痛みが激しく限界に近づいているのが分かっていたので、急ぎつつ左足をかばいつつ高速神戸に行きます。
おまけ
この車を見て「出た!」と思う方は、大阪に行った人か、もしくは関西に住んでる人でしょう。
難波で出会った時に「ぅおぉ!なんじゃこりゃ!」と思い撮影。
(大阪旅行に行く前から、Skypeというインターネット通信機能を使って、グループチャットの友達から
聞いていて、知ってましたけどね(^^;)) これは大阪市交通局の「バス」です。 「赤バス」と言って、「浪速西ループ」の他に「住吉ループ」が有るようです。難波とか住吉大社で会えます。 |
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2011年09月25日
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昭和49年の春休み、松戸の知人を訪ねて、夕刻の待ち合わせだったので、関東の鉄道をぐるりと乗り回してきました。
辻堂〜(東海道線)〜茅ヶ崎〜(相模線)〜橋本〜(横浜線)〜八王子〜(八高線)〜高麗川〜(川越線)〜大宮〜(東北線)〜上野〜(常磐快速)〜北千住〜(常磐各停)〜馬橋〜流山電鉄と回ったのですが、これまたネガが無くて何にもできん………
この頃の横浜線は、103系が入る前、73系の天下でした。正面はHゴム化されていますが、こういう綺麗な3段窓のクモハ73がいっぱい居ました。
これも、割と綺麗なクハ79。(以上2枚とも、橋本にて)
今は、橋本に京王線も入り、随分賑やかになっていますが、この頃は結構田舎。
この後、八王子で駅撮り。
この頃の「あずさ」は、新潟行きの「とき」と共通運用ではなかったか。「あさま」とは別運用であったと記憶しております。181系「あさま」の写真は、次回。
写真では、はっきり解りませんが、この特快は101系。隣にはED61。
こっから先、八王子の駅ソバ屋で「陣馬そば」という、太くて断面が菱形のソバ(「おでんソバ)にして食べたかな?)を食べ、キハ17の4連で高麗川へ、キハ35に乗り換えて大宮へ、ここで途中下車して昼飯。
当時の大宮駅西口は、今からは想像着かないほどの感じ、近所の「A審判部長」(指扇出身)も、「ホント、あのころからみたら、今は、ね〜。しかし、昔、自分は、生きているうちに川越線に電車が、それも東京(方面)から直通の電車が走るのを見ることは絶対無い!と思ってたけど!」と言って笑います。まあ、川越を境に、今の川越線も大分様相は異にしますが。
この後、なんとEF57の引く客車列車(福島発)で上野まで。最初で最後のEF57。
たどり着いた総武流山電鉄も、キャビネ版で印画したプリントがあったはずですが、辻堂の生家にあるのか、弟が持っていったのか、不明。
今、弟が仕事が忙しいので、「ヒマになったら探してくれ」とは頼んでおりますが、はて……まあ、出てきたら追加で掲載します。次回は、高校2年夏の旅、ようやく今のセガレの歳となります。
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