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ようやく、今のセガレの歳に追いつきました。あ、PC替えたら、
えらく調子良くって……
さて、この年は前年とは逆コースで、豊橋から飯田線を通しで北上するところから。
これ、クモハ53008なんですが、クハ53007と2両、「合いの子流電」と呼ばれていたそうですが、当時は何もしらず……
牛久保駅でクモハ52と行き会い、どの駅か忘れましたが、EF10の3次形とも交換。この頃は、飯田以南はEF10の天下でした。
でも、EF10って、タブレット受け渡しながら走るのって、これが初めて?
この列車、編成としては豊橋から通しで辰野・上諏訪まで走るんですが、実態は中部天竜で1時間以上の「お休み」。ご丁寧に列車も一旦引き上げてしまうので、その時間を利用して中部天竜機関支区を見学。このサエ何とやら、貴重な車らしいですね。その後ろにはEF10の1次形も写っています。
再びクモハ53008に乗って北上を再開。このクハ47は、サハからの改造ですかね?オリジナルとは違うみたい。
これは、飯田駅の標識を撮ったものですが、合いの子流電の側面が解ります。
辰野到着後、たった1本残るDCの急行「アルプス・白馬」で夕陽の塩嶺越え。東塩尻信号場では、上りの165系「アルプス」を待避させて通過。真っ赤に染まった夕陽の松本に降り立ちました。前の2両は、「白馬」として大糸線を経由し金沢まで運転となっていました。
この年の7月からだったか、長野県内の急行「天竜」シリーズが一挙に電車化されてしまい、キハ57と再会するのは、数年後となりました。
翌日は、「歩いて姨捨を越えてみたい」と、80系の各停で麻積へ、ここから一本松峠を越えました。
姨捨山(冠着山)ですが、なんでこんなにブレているんだろう?
姨捨駅に出るつもりが、近道をしたら道を間違えて羽尾信号場に出てしまった!待避線に入ってきたのはEF64牽く貨物。機関車の次位の客車は回送です。
苦心惨憺、ようやく姨捨に出て、一旦長野へ。犀川を渡ります。
長野駅構内に入る前に撮った、181系時代の「あさま」。189系登場はもう少し後。
長野では、クハ76を初めてまじまじと見ました。藤沢にいたのだから、スカ線の70系くらい、さんざん見たり乗ったりしていそうなはずですが、70系に乗ったのは幼稚園のとき1回だけ。「山スカ」と言われた中央東線用低屋根のモハ71も、一歩間に合わず。この後ろに並ぶ白帯の客車は、長野の「お座敷客車」でしょうかね。
この日は、時間があったので、EF62の牽く信越線各停で川中島まで行って折り返し、これで終わり、165系になった「急行 信州」で夕陽の姨捨を越え、麻績からは80系各停で帰ってきました。当時は、長野の次は川中島で、安茂里はだいぶ後になって出来ましたね。
3日目は、松本から、たぶん80系で小淵沢へ、ここで小海線に乗り換えます。
ダブルエンジンのキハ52でも、甲斐大泉あたりの33‰は厳しく、28km/h位しか出ませんでしたね。後にキハ110に乗ったら、「200Rなんてカーブがあるんで、制限が50km/hだから、50km/hで抑えているけど、もっと出ますよ」と事も無げに言われて、技術の進歩を感じました。
風景写真、この年は全滅!み〜んな」ダメ!姨捨の夕景もあるんですがとても掲載に耐えない。
信濃川上でDD161と交換。私の写真にも「トップナンバー」あったんだなあ…と。
これは中込か岩村田あたりでしたか、木材チップ輸送の貨車が珍しくて撮りました。
小海では、循環急行「のべやま」(長野発長野行き、小諸先回り)と交換、相棒の「すわ」(同・小淵沢先回り)とともに乗っておきたい列車だったんですが、「電車の足を引っ張る」とかで、この年か翌年、あっさり廃止になってしまいました。
小諸からは、ひたすら各停の80系のお世話になり、80系には食傷気味。
最終日は、松本でややゆっくりして、EF64の牽く客車各停に、「月見五目めし」を買い込んで乗り、弁当を食べながら甲府へ、身延線に乗り換え、富士へ出て、153系各停で辻堂まで帰ってきましたが、雨に降られてこの日は収穫なし。 次回は、高校2年修学旅行(山陽)です。これも、「プリントが無い!」在来線優等列車はかなり撮っておいたのに………
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2011年09月30日
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