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手帳によれば昭和58年7月9日となっております。
師崎から鳥羽へフェリーで渡り、近鉄で賢島を目指します。梅雨がまだ明けず、日本有数の観光地も閑散としておりました。
短いとは言え、学生時代に練習船にブチ込まれた小生にとって、船旅には、鉄道とは別の感慨があります。
鳥羽から乗ったのは、ごくありきたりの電車。この駅で、対抗の特急を待ち、さらに後から来た特急に抜かれるという、珍しい体験。
でも、ひで〜な〜。2本も待たされるなんて。単線だからしゃ〜ないけど。
これも、近鉄の「名車」なんでしょうが、とうとう乗れなかった500系。
賢島からは、そそくさと折り返します。2階建てビスタカーの車内はこんな感じ。
この後、鳥羽からは参宮線の急行「紀州」で名古屋に戻りました。
さすが、伊勢神宮参拝などでお召しが走る路線だけあって、キハ58が結構飛ばしても、少しも揺れません。腕木式信号機も残っている割に、すごい手入れされた路線でしたね。
亀山では、京都から草津線経由?でやってきた急行「平安」と、奈良から加太峠を越えてきた急行「かすが」を、行ったり来たりを繰り返して併結し、3本建てで関西本線を北上します。
手帳によれば、列車名のサボは、「紀州」が白地、「かすが」が青地、「平安」は赤地で、誤乗防止が計られていたようです。
で、近鉄志摩線は、もとは「三重交通志摩線」で、1,067mmであったのを、三重交通の営業を続けながら改軌工事をやったという話を、中学時代に「鉄道ジャーナル」で読みました。爺様の業績のひとつとして、三重交通時代の電車の写真が残って居ますので、「爺様の部屋」として、ここに掲載します。
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2012年03月16日
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こんばんは
今日は300系引退、5000形・RSE・HiSE・371系の引退日です。
そして、485系新潟車がホームライナー鴻巣・古河から撤退をする日です。
300系は小さい頃から乗ったり見たりしていたので撮りに行きたかったんですが、
生憎保健の単位が危なく、引退日の撮影を諦めました。 また、485系の運用撤退についての撮影は体調不良のため諦めたいと思います
まさに身から出た錆です・・・。
さぁ・・・気を取り直し本文に移ります!
前回は狛江で終わりました。
今回はまたもや移動して「喜多見」で駅撮りします!
喜多見1
ありゃりゃ・・・油断してました・・・。
喜多見2
半逆光状態・・・ちょっと場所の選択間違ったかもしれませんね
喜多見3
移動してからの一枚、Mr.小田急もこれが最期の一枚・・・。
喜多見4
これも最期の一枚・・・。
そういえばイタリアみたいなマーク付けていたのが居た様な・・・ 喜多見5 曇った上に油断してたので焦ってシャッター切ってしまった・・・
うぅん・・・次に賭ける!
喜多見6
RSE最期の一枚・・・。何とかまともに撮れてよかった(泣)
はぁ・・・RSEやHiSEはまだあんまり見たこと無いけど、5000形は藤沢で何度も見たから無くなるのは寂しいですねぇ・・・。
本当にお疲れさまでした・・・
以上、「引退列車を撮影に・・・」シリーズでした。
有り難うございました。 |
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