|
昭和61年4月1日付、東京へ転勤となり、学生時代に離れて以来実に8年振りに、故郷である辻堂の自分の部屋に戻ってきました。
通勤区間は、辻堂〜大森の1時間弱、川崎乗り換えで、往きも帰りも立ちん坊。
さて、東京へ帰ってきたものの、なぜか新潟へ長期の出張に出され、越後線の桐原〜小島谷あたりをウロウロしておりました。宿は地蔵堂(現:分水)で、後年、ここの合唱団ともご縁が出来ます。
そういう事で、東京時代の最初は、新潟交通と蒲原鉄道から始まります。当時、国鉄越後線は、新潟色の115系2連〜4連で、クモハ115+クモハ114の両端にさらにクハを連結した、全車運転台付き4連などという珍編成があったり、新前橋から借り入れの湘南色3連が、えらく目立ったり、と、結構面白かったのですが、な〜んにも写真撮っていないという……
休みの日は、結構出歩いており、新潟交通などは、日曜の夕方近くに乗りに行ったので、人も少なく、えらく静かでした。
これ、昔乗ったことのある小田急2250(でしたっけ?)。
新潟交通に入線するにあたって、制御器の弱め界磁には入らない様に改造したそうです。後で出てきますが、富士急行に入った2200なんかは、弱め界磁は活かしていたとのことです。
これが、一番多いタイプ。岳南や近江の「日車標準型」的な感じも。
関屋の車庫。これは、乗ったのとは別の日か?光線状態が違いますね。
こいつは、小田急の1400?
所変わって、蒲原鉄道の村松駅?小生が行った頃は、五泉と村松の間の、ごく短い距離を走るだけになっていました。
こいつは、古そうだけど、何だかわからなかった……
車両も、3両くらいしかなかったかなあ……
でも、除雪用なんでしょうか、こういう電気機関車を持っている、いや、持たざるをえなかったんですかねえ……
次回は、新津機関区訪問です。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




