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いきなり、昭和から平成も3年まで飛びますが、平成元年4月に、新潟に転勤になりました。新潟という所は、昭和の最期の3年間に、さんざん出張で行ったので、もう、
「やることやっちまった」
状態で、たいしたことはやっておりません。仕事も忙しかったですし。とにかく、せせこましい仕事が多くて、当時、日本一周様に電話して、
「オハフ1両にワフ1両の混合列車を牽いて新潟中駆け回っているような有様です。」
と話した事を覚えております。
では、本当に何もしなかったかというと、写真は無くても、やる事はやっております。
たとえば……
平成2年、大阪出張。6/28の「きたぐに」下段で新潟を出て、翌日大阪で会議。
6/29の「つるぎ」で戻ってくるという、アホみたいな行程。
平成2年末の帰省。12/29夕刻、新潟を下りの「いなほ」で出て、余目から陸羽西線の各停に乗り換え新庄へ。ここで、陸羽東線まわりの時代、すなわちDE10重連が牽く「あけぼの」で東京に戻る。
年末で、2両増結。機関車の写真を取ろうにも、先頭がホームからずっとはみ出しており、結局撮れず。DE10の小牛田側の車はNo.もわからず。
上野よりの増1号車は、オハフ15(座席車)。年末の上り列車ですからだ〜れもおらず、小牛田までこれに陣取って、DE10重連の息づかいに耳を澄ませていた。
平成3年2月。信州の松本で,従兄弟の結婚式。新潟から信越本線各停で直江津へ、ここから「あさま」、「しなの」と乗り継いで、夕闇迫る墨絵のような姨捨を越えてきた。翌日は大糸線経由で糸魚川へ出て、新潟行きの「雷鳥」で帰った。
という具合でした。
結局、横浜転勤の内示を貰ったかどうかという、平成3年の2月でしょうか、新潟交通の路面区間が廃止になるという事なので、雪も降ったことですし、自宅から歩いて白山駅まで行ってきました。
白山駅に進入してくる電車を捉えたのは良いのですが、何で隣が霊柩車?
昔は「県庁前」と言っていたんですよね。ここ。
陽が射してきて、雪が融けてきそうなので、少々慌てました。でも、由緒有りそうな駅舎ですね。
ちょっと移動して、路面区間で撮影。
電車専用信号も、活躍はあとわずか……
白山駅の関屋よりから1枚。
雪が降ると、なかなか、電車も車もしんどいようで………
結局、新潟時代の映像は、あと2回で終わります。
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2012年09月29日
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