|
平成8年5月から、平成12年3月まで、茨城県水戸市に住んでいました。転居当時、セガレ(五十鈴拓磨・本人)は、1歳。幼稚園の年中さんの年度までを過ごしています。また、平成10年には長女(五十鈴拓磨・妹)も生まれ、まあ、テツどころではなかった時期でもあります。
では、何もしなかったかというと、決してそうではなく、しっかりセガレに「テツの道」を仕込んでおりました。住んでいたアパートから5分も歩けば、赤塚駅の上り第一場内信号機直前の人道橋があり、ここへ散歩に連れて行って、
「いいか、ここの信号が黄色だったら、しばらく電車は来ないんだぞ。駅の向こうの信号機、あれがなあ、出発信号機って言って、この駅は、普段は出発信号機が赤なんだ。だから、この信号機は黄色なんだ。」
などと、まあ、こういう事をやっていたので、最近、セガレから、
「自分でオレに火ィ着けて、ガソリン掛けて、煽ったくせに!」
と、非難されても、返す言葉がありませんな……
また、当時の常磐線には、クハ415−1901という、二階建てのクハがあり、わざわざこれに乗せに連れて行き、そのついでに水郡線、鹿島臨海などをチョイ乗りしてきたり……と、自分よりセガレの教育に熱心であった時代です。
まあ、辻堂の爺様も、小生を自転車の前の子供用補助椅子に乗せて、さんざん茅ヶ崎機関区までSLを見せに言った、と申しておりますから、血は争えないと言いますか……
そんな具合で、今回は「親バカ丸出し」の投稿です。セガレにとっては「黒歴史」時代なのかどうか解りません。
これが2歳当時のセガレ。クハ415-1901に乗せに行ったときの、水戸駅での1枚。
ついでに、先に水郡線に中菅谷まで乗せ、例のクハは勝田まで列車を迎え撃ちに行ったので、その駅頭でのスナップも……
左が中菅谷、右は勝田ですね。
これは、翌年、セガレ3歳の夏、茨城交通湊線をチョイ乗りしてきたときの、勝田駅での1枚。
これも勝田駅にて、茨城交通のキハ20。右の隅の帯が赤いでしょ。島原から水島臨海を経てやってきた車両らしいのですが、冷房付きであったのには驚きました。
「何だよ!肝心要の電車はどうしたよ!」
と、お怒りの向きもあろうかと思いますが、当時はロクなカメラもなく、電車よりも子供達を撮るのが先だったのです。そんな、こんなで、水戸時代の電車の写真として、我が家にたった1枚残っているのが、これ。
水戸の運動公園のあたりで、フイルム付きカメラのフイルムが余ったので、セガレに撮らせてやった415系。そう、たった1枚の思い出です。これも、常磐線から消えてしまいましたよねえ……
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2012年12月15日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]






