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ひさびさ に ごいんきょ が しゅつげき した よう です が しゃしん の ほう は しっぱい だった らしい です きょう は てつどう が もくてき じゃ ない と か まけおしみ いって います が さて ………
という訳で、かねてから行きたかった、沼津市千本浜の「若山牧水記念館」に行ってきました。文学的内容は20番線記事に譲ります。北上尾から在来線をひた走っての沼津訪問ですから、目新しいこともありませんでしたが………
列車を2本後回しにして、食べた大船軒のソバですが、私の高校時代は、こんな囲いなんかなく、吹きさらしで食べてました。それと、あの独特の甘〜い香りが無いんですよね。味の方も、なんか、ちと変わったというより、どこの物ともあんまし変わらないような感じ。極論すれば大宮でも桶川でも変わらない。
で、熱海へ着いたら、伊豆急の「黒船」が来ていたので、慌てて「全自動で」撮りました。
全自動だけでは、たとえ隠居の身でも名が廃る、と思って、手動でやってみたら、ありゃ……
沼津からは、牧水記念館へ行って、千本公園(千本松原)をちょっと歩いて、久し振りに駿河湾を眺めました、清水までは、綺麗に見えませんでしたね。
その後、牧水のお墓にお参り。酒位供えなきゃ、と思ってコンビニを探したのですが、見当たらない。1件酒屋があって、やれやれと思ったら、日曜で休み。牧水先生、すんません………
歩いて沼津駅に戻り、学生時代乗り降りしていた原駅をちょこっと見ておこうと画策。その前に腹ごしらえで、駅弁(桃中軒)の「鯛めし」を購入。ここいらの電車ときたら、東海道線はオールロングシートばっかり(373系の各停運用もあるにはあるが)、車内で弁当を使うという事は、初めから諦めていたので、下りホームのベンチで、1列車犠牲にして食べました。
これが、全自動モードでの撮影。
こっちが手動。チト暗いな。まあ、大差無いか?
中身は、こんな具合。箸は、売店のオバチャンが、気を利かせて付けてくれたもので、本来なら、中に入っているスプーンで食べるようです。このスプーン、S53頃からかな?着くようになったの。当時は、鯛でんぷが紅白になっていましてね。熱海・小田原の「東華軒」も鯛めしを出しておりましたが、最初は桃中軒のほうが、やや甘口で、お値段も\100.-位安かったのが、いつか、サイズは小さくなる、中身は貧相になる、しかも箸が無くなり、弁当の折の中にスプーンが着いて、容積稼ぎをしているというようになってしまいました。
沼津駅の静けさは、本当に、列車が来なければ、風が吹き抜けるだけ。これは、昭和の50年代でもそうでした。ただ、当時は、まだ、153系の大垣運用、田町運用などのほか、せめて、クロスシートの113系が来ましたからね。弁当も使えないなんて事は無かったですなあ。
そう、その頃は、「沼津機関区」、「沼津客貨車区」も、レッキとして存在し、貨物列車は、乗務員交代の為に停まっていることが多かったよなあ……今、線路配置が変わったけど、どうなのかなあ?と思いつつ、ふと静岡方に目を転じたら、なんと、EF200の牽く貨物列車がいるではないですか!食べ終わり次第、一番近い、御殿場線ホームにすっ飛んで行って、撮ってみたのですが………
(フルオート機能)
ちょっと、露光オーバーか?
(手動モード)
ややアンダー気味にしたのが良かったか。
(全自動)
ありゃ、“INVERTER HI-TECH LOCO”のロゴ、なくなっちゃったんだ?
このカマ、東海道スジではよく見ますが、日常の行動範囲では、引っ掛かってこないんですよ。
かくて、弁当とEF200のお陰で、2本下り列車を遅らせて、学生時代に乗り降りしていた原駅へ。
うん、こんなに綺麗じゃ無かった。まあ、建物はそのまま、外観だけリフォームしたかな?入って右側が木製ベンチのある待合室で、冬場は地元の有志の方が座布団を作って置いておいてくれました。
この後、熱海まではJR東海の列車、熱海からは小田原まで、小金井行き上野東京ライン、小田原で籠原行き上野東京ライン、と、G車のハシゴをし、秋の光に輝く相模灘を肴に、牧水の「酒の歌」も鑑賞しつつ、昼酒しながら帰って来ました。
牧水記念館での収穫もあったのですが、なんか、久々に「旅をした」という充実感があった一日でした。めでたし、めでたし………
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2015年11月01日
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