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日本の酒仙とも言われる牧水、先日、沼津の「若山牧水記念館」を訪れた折、「牧水 酒のうた」((社)沼津牧水会)という小さな本を買ってきました。牧水の酒にまつわる歌367首、随筆4編のほか、佐佐木幸綱の解説が付いています。
以前、
「牧水が、あまりにも酒のことを旨そうに詠んでいるので、読んでいるこちらも、ついつい酒量が上がってしまいます。」
と、J様へのコメントに書いたことがありますが、
かんがへてのみはじめたる一合の二合のさけの夏のゆふぐれ
それほどにうまきかとひとの問ひたならばなにとこたへむこの酒のあぢ
など、いかにも酒という物がどれほど旨いか、そう見えてきます。
とは言え、牧水も享年43歳、死因は「急性腸胃炎兼肝臓硬変症」ですから、酒で命を縮めたようなものです。今の私と較べても、15年も若死にしています。これは、亡くなるちょっと前の作でしょうか、
妻が目を盗みて飲める酒なれば惶て飲み噎せ鼻ゆこぼしつ
などという歌があるくらいですから、予想はしていたものの、この本を読んでみて、つくづく、「牧水という人、懲りないやっちゃナ〜」というのが、正直な感想でした。
友よ酌めさかづきの数歌のかず山のさくらの数ときそはむ
― まあ、この辺は解るが、それにしても「山のさくらの数ときそはむ」と言われたら、こっちゃあ敵わんぞ!
のたりのたりふるさとの海の春の日の波の如くに酒よ寄せ来よ
― どんだけ飲む気だよ、先生!
つひにわれ薬に飽きぬ酒こひし身も世もあらず飲みて飲み死なむ
やまひには酒こそ一の毒といふその酒ばかり恋しきは無し
― もう、好きにしてください!
前回、牧水が、大正15年10月、借金返済のために揮毫旅行に出、旭川第七師団参謀長の齋藤瀏大佐宅を訪れたことを書きましたが、齋藤瀏・史父娘のことを書いた「昭和維新の朝」(工藤美代子)によれば、この時牧水は、事前に瀏に手紙を出し、旭川において宿屋や色紙などの希望者の募集、講演会や歌会などの手はずを依頼しております。同人誌を続けることの困難さを十分理解していた瀏は、手狭な官舎ではあるが、幾日でもこの家に泊まってほしい、と返事を出します。牧水からの再度の手紙が、まあ……
「――お言葉に甘え御宅に御厄介になりましてもよろしゅうございませうか。甚だ厄介なる人間でございますが酒を毎日一升平均いたゞきます。これは朝大きな徳利のまゝ小生の側にいただきおきこれを適宜に一日中に配分して頂戴いたします。おさかなは香の物かトマト(生のまま塩にてたべます)がありますれば充分でございます。食事の時もたいていさうしたものにて結構でございます。可笑しうございますが右申し上げておきます」
後に将官にまで成るとはいえ、瀏の俸給もさほど多かったとは思えないのですが、日本中にその歌名轟いていると言っても、太田水穂を介して少々面識が有る程度の牧水をよくぞ世話したものだな、と感心します。それにしても、「毎日一升」としっかり所望する牧水も牧水ですわ……
腎臓を病んで、医者に絶対禁酒を命じられれば、
酒やめてかはりになにかたのしめといふ医者がつらに鼻あぐらかけり
癖にこそ酒は飲むなれこの癖とやめむやすしと妻宣らすなり
宣りたまふ御言かしこしさもあれとやめむとはおもへ酒やめがたし
奥様の喜志子さん、牧水には酒の件で、相当叱言も言ったのでしょうが、どうも効果は無かったようですね。
酒やめむそれはともあれながき日のゆふぐれごろにならば何とせむ
朝酒はやめむ昼ざけせんもなしゆふがたばかり少し飲ましめ
朝から飲むなって!牧水本人も、随筆「酒の讃と苦笑」の中で、
朝の酒の味はまた格別のものであるが、これは然し我等浪人者の、時間にも為事の上にもさまでに厳しい制限の無い者にのみ与えられた余徳であるかも知れぬ。
と書いています。まあ、確かに。では、牧水の飲みっぷりというのは、どんなものだったのか?
いつ注ぐもこぼす癖なるウヰスキイこぼるるばかり注がでをられぬ
これも「山桜の歌」に収録されているので、晩年の作と言って良いでしょう。「こぼるるばかり注がでをられぬ」とまで言うのを見ると、何が何でも飲まずにゃ居られぬ、ひたすら酒をあおっているような印象を受けますが、実は、ちびりちびりと飲んで、何合にも及ぶという飲み方だったようです。随筆「私と酒」にも、
一杯の酒を飲むに随分心を使うことがある。如何すれば此場合最もうまく飲めるかというのである。
と書き、体が汚れているようなら、まず風呂屋へ行き、帰り路は街路のほこりすら気に病んで足を爪先立てて帰ってくる。またある時は、さほど空腹に成っていないなら、散歩に出て腹を空かせてくる、といった具合で、もう、本当に酒を愛し、愛する酒に失礼の無いように真摯に構えている訳です。
最近、日本酒を欠かさぬようになったとはいえ、私などは、ここまで気を使う余裕もありません。夏場は別として、ほとんど燗をつけて飲むのですが、「酒を煮る」のも面倒で、マグカップに入れて電子レンジでお燗するため、ついつい煽る結果になってしまいます。それで、二合も飲めば足下が危ないのだから、世話はない。
また、同じ随筆で、いくら酒に強いと言っても、貴男はどのくらい飲むのか、という質問に出会うこと際限が無い、と言い、
徒らに大杯を傾け、酒宴の席に長座し得るということは或いは彼らの胃の腑の強固、または痩我慢の証左にはなるかも知れないが、決してそれは酒そのものの与り知る事ではないのである。酒を愛するあまり自然にその量の進むというのならば聞える、痩我慢や好奇心や仕方無さから無闇に濫飲して以て一種の誇りと心得ている如きに至っては、全く酒の賊である。
と、手厳しく切って捨てています。これからすれば、私などは酒の賊もいいところ、ただ、建設関係という商売柄、ある程度の量も飲めないというのは、結構不利な要因でもあります。現場の職人さんがたも、強い方が多いですからね。俗に言う「本音トーク」に引き込むためには、やはり、それなりの量が飲めて、しかも最後まで楽しい飲み方をしなければなりません。半分は好きで、また仕事の上では有効ながら、どこか気を使いながら飲んでいるのは、幾分か酒の有り難みを減じているかもしれません。
ここまで書いてきて、三好達治の事を思い出しました。達治は、「酒」という随筆の中で、
私はお酒はキライであります。キライなものを、よくまあいただいたなと思います。時間でいうと、半世紀にわたっていただきつづけてきたのに感心します。(中略)うまくもないものを我慢してきたのであります。酔って陶然として、感傷的になるのが、お酒の身上だと考えます。
と、はっきり「キライ」と言い切り、酒に関して牧水とは際だって異なります。でも、最晩年まで世田谷代田の仮寓から渋谷まで、毎晩のように飲みに来ていたと言うことですから、酔って陶然となるのも青年時代壮年時代まで、老いぼれが酒をいただいても、あまり面白くない、と言いつつ、
酒は知恵の眼をひらかせるものでもあるのですがね。
と、そのために酒を求めていたのだろうと思います。
牧水のことに戻りましょう。牧水は、健康を崩しながら、それこそ死ぬ間際まで飲んでいたようで、危篤状態になってからでも、医師のほうが、強心剤も効かないなら、もう酒を飲ませろ、というので、一杯飲ませてみると、かなり状況が回復してきたとか、もう驚くより呆れることばかり。末期の水ならぬ末期の酒で唇を湿らせてもらいながら、あの世へ旅立っていたそうです。牧水の愛用した小さな杯は、遺骸とともに棺に入れられましたが、火葬の炎をくぐって、割れもせずに残り、今も沼津の若山牧水記念館に展示されています。
青柳に蝙蝠あそぶ絵模様の藍深きかもこの盃に
まるで、牧水の魂のごとく、火葬場から戻ってきたこの杯、以前より藍が深くなった、とも言われます。
おや、いつの間にか、もう外は暗くなりました。冬至までもう何日もありません。今夜の酒を準備することにしましょうか。今夜は、牧水先生のように、徳利で温めて、小さな杯でちびちび行きましょう。無闇に濫飲して、牧水先生から「酒の賊」と言われぬように……
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2015年12月20日
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