高崎線userのRailLIFE

倅:オカシイ。妹の方がネタ撮ってる 親父:偶然は怖いだろう??

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 牧水の旅も、大正14年まで来ました。前年の大正13年、創作社の拠点を兼ねた自宅を建てる資金にするため、短冊半折揮毫頒布会を各地で催すこととなり、9月に、その第1回を地元沼津で開催しています。11月には東京の銀座裏で、明けて大正14年には関西方面で開催します。これの収入に銀行からの借金を加えて、2月には沼津に500坪の土地を購入します。

 最初の「信濃の春――半折行脚記は、大正14418日から54日までの、長野方面の半折会の話です。
 418日朝沼津を発ち、昼近くに東京着。同日午前2寺の汽車で揮毫用品買い入れのため先発していた大悟法利雄などと合流、上野で昼食の後、14:00の汽車で大悟法を伴って御代田に向かいます。

 青一色の平野を走る。四方ともうらゝとうち煙つた春の日和である。熊谷土堤は櫻の滿開といふところだつたが、沼津あたりと同じく此處の櫻も今年はめつきり色がわるさうだ。高崎驛にて夕食を買込み、冷酒の醉漸く瞼に及ぶ頃、親しく妙義を窓前に仰いだ。立ち竝んだ險しい峯から峯の間に星が大きく輝いてゐた。
 うち續いた隧道を抜けて輕井澤の高原に出た時はもう闇であつた。闇ながらに四邊の冬さながらの枯野原がよく想像せられて、やヽ旅めいた氣持になつた。寒さ凌ぎにと大悟法君は驛構内の蕎麦を喰ひに出て行く。九時近く、御代田駅着(後略)

 多少なりとも汽車旅の話が出てくるのは、本当にこの紀行文のさわりだけ。勿論、17日間に及ぶ旅ですから、チョコマカと色々なところで汽車に乗っているのですが、車内や風景の描写も無く、まともに書かれているのは430日まで。

 あまり長くなるので筆を擱く。

として終わっています。この内容では、こちらもあまり書く事が無いのですが、

 寒さ凌ぎにと大悟法君は驛構内の蕎麦を喰ひに出て行く。

という所を見ますと、軽井沢では、当然電機から蒸機に付け替えのため、ソバを食べに行ける程の停車時間があった、ということと、大正末期とはいえ、駅ソバ屋があったということは少々驚きました。だれかのブログなので、信憑性の検証はまだ行っておりませんが、軽井沢駅は「駅そば発祥地」とかで、明治26年の開業なんだそうです。
 軽井沢という駅も、もう滅多に行く機会が無いので、ここの駅ソバを食べることもないのだろうなあ、と思います。また、新幹線開業によって横川〜軽井沢間が廃止となり、軽井沢〜篠ノ井間が「しなの鉄道」となったことは皆様御存じのとおりですが、かつての賑わいを知る者にとって、この寂れ方は何ともやるせない限りです。


イメージ 1


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 さて、続けて同じ大正146月、岐阜〜長野〜愛知方面の半折会の話、「半折行脚日記=美濃、信濃、尾張紀行―」に参りましょう。この旅は、636:00沼津発で東海道を下り、名古屋から中央線に乗り換えます。

 高藏寺驛あたりより汽車は玉川に沿うて走る。大きくはないが清くて明るくて、この渓流も小生の好きな一つである。


 玉川、と書いていますが、「玉野川」ではないかと思います。この川は、下流で「庄内川」と名を変え、名古屋市を北から西へと取り巻いて流れており、この川に懸かる橋は渋滞の名所でした。いまは市内高速が完成したので、だいぶ事情も変わったと思いますが、小生が名古屋にいた当時は、そんなでした。また、この高蔵寺から定光寺、古虎渓にかけては、渓谷の中を中央西線が走り、名古屋からそう遠くなくてこう言う風景が見られるのが嬉しくて、何回か、急行「赤倉」や、その間合いの多治見行き各停DCでこの区間を通りました。「赤倉」電車化の直前にも、別れを惜しんで多治見まで乗りましたなあ。
 同日15:15「大井驛着」。これ、現在の恵那駅で、もともと官設鉄道の多治見〜中津川間開業に合わせて明治35年開業、恵那駅への改称は昭和38年です。


 64日は頒布する揮毫の制作、65日は選歌と揮毫、66日は仕事がはかどらないので散歩に行き、午後揮毫の追加分作成。67日地元幼稚園で歌会と揮毫展。68日は念願の恵那峡に遊びます。

 何とか天気にも恵まれ、


 氣遣つた雨にも降られず、充分の「惠那峡行」を果たして、所謂大同ダムに着き、船から上がつた。上がつて其處の工事を見学し、――なるほど素晴しいものだと思つた――同會社私設鐵道の便をかりて大井町に着き、其處で五人の中津組(注;中津から来た社友の人たち)と別れた。

 ここでも、全くノーマークの鉄道が出てきました。「私設鐵道」とあり、また「大同ダム」と書いておりますが、恵那峡というのは要するに「ダム湖」、そのダムが、調べて見ると「大井ダム」で、牧水が言うように「大同ダム」と呼ばれていたのかどうか、現在調べがついておりません。なお、大井ダムを作った電力会社が「大同電力」で、この専用線は大正11年に大井ダム建設資材の運搬用として建設されました。旅客輸送は、初めから単端式ガソリンカー2両。一応は1,067mmゲージだったようです。昭和3年には北恵那鐵道に譲渡され、「北恵那鐵道大井線」となりますが、経営不振で昭和7年休止、昭和9年廃止となり、再び大同電力に移管され、専用鉄道となります。
 う〜む、ここは惜しかったなあ。牧水先生、「専用鐵道」の様子でも書いてくれたら良かったのに。

 このほか、恵那(大井)には、岩村までの路面電車があったようで、これは明知線の開業に伴い廃止になったようです。入社早々、恵那の現場には結構長く居たので、昭和55年頃の恵那駅風景でもご覧頂きましょう。



イメージ 3
恵那駅 S55.4.27


 ついでに、618日、松代町萬屋旅館滞在中の部分で、

 それらの木に見馴れぬ鳥が來て遊んでゐるのを見附けた。聞けば尾長鳥といふのである。昨日の料理屋の庭にもゐた。鳥好きの心は躍った。
 (中略)
 もつとも、同じ尾長鳥といふ名で呼ばれてゐるもので三つの違つたものを私は見て來た。一つは山城の比叡山で見たものでこれは甚だ小さく僅かに親指大で三寸程の尾を引いてゐた、一は同じ信州蓼科の山麓で、

  尾長鳥その尾は長く羽根ちさく眞白く晝をとべるなりけり
  尾長鳥石磨るごとき音には啼き山風強みとびあへぬかも

と詠んだもの、これは鵯を今少し痩せさせたほどのものであつた。此處でいふ尾長はそれよりもやや大きく、樫鳥に似てゐる。色はまことに綺麗で、南畫風の花鳥の圖によくかかれてあるのがこれではないかと想はれた。尾は前二者に較ぶれば左程に長くない。

とあります。尾長鳥と言われると、関東人の私は、まずは「オナガ」を思い出します。蓼科で見たという「石磨るごとき音には啼き」というから、これは本当に「オナガ」で良いと思います。ほかの二種類ですが、比叡山で見たというのは、「三寸程の尾」という所から見ると「エナガ」の可能性があり、松代で見たのは、「樫鳥(カケス)に似てゐる。色はまことに綺麗」というから、カケスの仲間かと思うのですが、本州のカケスに較べて色の綺麗なミヤマカケスは北海道の鳥、ルリカケスは奄美の鳥であり、はて何なのか,見当が着きません。

(「信濃の春」及び「半折行脚記」、おわり)

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