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北海道行脚日記 つづき(3)
10月14日、午前中は揮毫、土地の医師、中島竹雄宅で昼をご馳走になります。中島は鹿児島の人で、北海道生活の寂しさをしみじみと語った、とあります。その後中島の誘いで街の郊外にある富士製紙のパルプ工場を見学。終わって工場長の招待で工場のクラブで会食。この工場長も九州は鹿児島の人で、話しているうちにその奥さんに来て貰ったら、何と、牧水の幼友達であったという奇縁。
思いの外工場に長居し、遽しく旅館に帰って荷物をまとめ、18:08、帯広へと向かいます。19:00帯広着。第七師団の演習中で、帯広はその中心的な場所。普通ならとても泊まれない所、地元の医師にして沼津出身の神部哲朗の世話で辛うじて一室を確保したようです。ここでも齋藤参謀長がひょっこり顔を出します。
10月15日は、神部哲朗の家を訪ね、帰りに散髪。16日は午前中揮毫。社友進藤雪子が訪ねてきたので外出して昼食。宿に帰って揮毫。夜は歌会。
10月17日は再び池田の人たちが訪れ、偶然にも歌会が始まりますが、この頃から牧水夫妻、旅の疲れで不調。喜志子は始め歌会に加わっていたものの、熱があるとかで寝てしまい、神部の往診を受けますが、まあたいした事はなかったようです。
10月18日、夕張方面の行程調整がようやく出来、ここで5日間の静養日が出来ました。例の第七師団演習で、また兵隊が帯広に戻ってきて観兵式をやるというので、一つ池田寄りに戻った札内駅近くの途別温泉に行き、10月22日まで過ごします。同日午後帯広の宿に戻った所で、この紀行文は終わっています。10月18日、夕張方面の行程調整がようやく出来、ここで5日間の静養日が出来ました。例の第七師団演習で、また兵隊が帯広に戻ってきて観兵式をやるというので、一つ池田寄りに戻った札内駅近くの途別温泉に行き、10月22日まで過ごします。同日午後帯広の宿に戻った所で、この紀行文は終わっています。
この後の行程を「若山牧水伝」から拾って見ると、10月23日帯広を発って上砂川へ。確かこの線は「函館本線の支線」ではなかったか?更に幾春別、歌志内、幌内と夕張炭山地方を回り、10月31日に夕張着。中学時代の同級生、甲斐猛一宅で10日ばかり滞在し、甲斐の案内で夕張炭坑の坑内を見学もします。11月9日夕張を出て岩見沢泊。10日札幌へ入りここで8泊。新琴似一泊、小樽三泊、函館一泊、11月23日青森へ、更に盛岡、福島、三春などで揮毫会を行い、沼津には12月6日、約80日ぶりに帰ります。
なお、北海道の風物、食べ物などについて書かれている「北海道雜感」という、「北海道行脚日記」の「補足編」のような小文があります。北海道の自然、風景について、牧水独特の捉え方、いや、これは北海道に限らず、僕水流の風物への感じ方であろうと思いますので、ちょっとご紹介致しましょう。
北海道の噂をばわたしは注意して聞いてゐた。そしてその多くが言つた、北海道の自然は雄大である、北海道の景色は實に雄大である、と。
成程、その雄大説にわたしも異を稱へるものではない。いかにも雄大である。が、單に雄大であるとだけで片附けてしまはないで、わたしはこれにもう少し附け足したい。曰く微妙である、曰く複雜である、曰く單調である、と。單調であつて複雜であるといふのは可笑しい樣だが、其處にいひ難い微妙さがあるのである。若しまたこれと同じ反語式口調を用ふるならば、もう一つある、曰く微妙であると同時に甚だしく粗野である、と。
單に雄大であると觀る觀方は其處の山や野や河や海を殆ど死物扱ひにしての觀方ではあるまいかとおもふ。それらのものを單に一つの「形」としてのみ觀てゐるのではなからうかと思はれる。山や河の間に動いてゐる雲や霧や、降り注ぐ、雨や雪や、日の光空の色星の輝き、夏過ぎ秋來る、さうしてそれらのものに包まれた斷えず生きて動いてゐる山河の姿、さうした事柄を忘れての觀方ではなからうかと思はれるのだ。
其處でわたしはいふ、北海道の自然は内地のそれに比し雄大であり、單調であり複雜であり微妙であり粗野である、と。といふとひどく褒めあげる樣であるが、強ちさうでもない。世にいはれて居る雄大さよりずつと型を小さくした雄大さをわたしのは意味して居るのである。
實際今度の北海道で、雄大とか單調とかを感ずるより前にわたしは先づ眼まぐるしい樣な複雜さ、微妙さを感じた。これは主として、雨風、雲、日光、温度、其うした氣象方面の變化の烈しさから來る感じであつたとおもふ。ぱつと日光が窓にさしたかとおもふと、もうばらゞと霙がガラス戸に音を立てヽゐる。珍しくほくらゝの暖かい日和だと喜んでゐると、いつしか木の葉を吹きまくつて凩が荒んでゐる。
初めて經驗するわたしにはこれが甚だ珍しく、且つ樂しかつた。が、同伴した妻などにとつては寧ろ少なからぬ脅威であつたらしい。初めはわたしと同じく、珍しく面白かつた樣だが、あまりにそれが續いて繰返されるのでしまひには恐ろしくなつたらしい。無理ならぬことヽわたしは微笑した。微妙と粗野との交錯は其んなところにも見られるとおもふ。
小生は、前述の通り北海道にほとんど足を踏み入れた事が無く、せいぜい新千歳空港からエアポート快速での行き来のみ。これ以外に乗ったのは、小樽から美唄まで。現場としても、大夕張の奥、いわゆる「シューパロダム」周辺で、12月の3週間を過ごした程度です。
確かに、新千歳から札幌に向かう途上でも、なんとなく「広々としているな〜」という感じは受けます。苫小牧上空から見る「これぞ原野」という風景もまた然りで、ここへ来ると人生観変わるンじゃないかと思っておりましたが、四国店長から異動した先々代の札幌店長は、やっぱり人生観変わった、と言っておりました。
北海道の風景が「雄大」という事について、小生も異論をはさむつもりはありません。しかし、この牧水の目、山や河だけでなく、光も、雨風も一緒になっての「風景」ではないか、という見方には、ちょっと虚を突かれたと同時に、かつての自分の旅の思い出を考えても、さもありなん、と思います。
一方、酒については、全く期待していなかった、いや、定めしひどいのを飲まされると覚悟していたら、実は各地ともみなうまく、とくに地酒に良いのがあって、旭川では、齋藤瀏が灘の生一本を多量に用意して待っていた所、出入りの商人が小さな樽を持ってきて、これを飲んだら灘の酒よりうまく、こちらばかり所望して、齋藤の機嫌を損ねたような事も書いております。また、サツポロの生ビールもおいしかったと書かれています。これはこれで笑えますね。
なお、先日(平成28年11月19日)サンケイ新聞記事で、JR北海道は「全路線の半分、10路線13区間、1,200kmが維持困難」と言っており、留萌本線(深川〜留萌)、根室本線(富良野〜新得)、夕張線(新夕張〜夕張)、札沼線(北海道医療大学〜新十津川)が廃止検討または廃止協議済み。それ以外についても、ほとんど全滅という感じです。もう、どこまで鉄道が減って行くやら、解ったものではありません。
(「北海道行脚日記」おわり)
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2016年11月24日
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