高崎線userのRailLIFE

倅:オカシイ。妹の方がネタ撮ってる 親父:偶然は怖いだろう??

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「蝙蝠傘」

 この作品は単行本未収録で全集では第二巻に収められています。「小説」の部類に入るのでしょうが、あまり出来が良いとは思えません。ただ、書かれた当時の中央線の様子が良く解るのでここに取り上げました。牧水はまだ早稲田に在学中、処女歌集「海の聲」出版より早く、「東亜の光」という雑誌?に、明治41年の23月にかけて掲載されました。この主人公には、当時の牧水の心境、学校を卒業したら、故郷の両親からは帰郷するのが当然の事と期待されている、しかし、文学で身を立てたいという思いが断ちきれないという葛藤が投影されていると見て良いでしょうか?ただ、明治41年は、安房の根元海岸で小枝子と共に新年を迎え、「海の聲」の主要部分を成すあの情熱的な歌が詠まれた頃でもあります

 主人公の“中沼順三郎”は、岡山の生まれ、当年25歳の長男、早稲田の師範部歴史地理科、というから、今でいう教育学部の学生で、身長の馬鹿に高いのに比例して顔も図抜けて長いという、牧水とは正反対の外見。細心翌々、極めて小胆者で、怠け者の多い私立学校で遅刻一つせぬ非常に勤勉。これが度が過ぎて、相当前から準備万端整えていた卒業試験を脚気と偽って帰郷。九月(この頃は九月卒業が一般的であったようです)の追試、素点から二割引いた得点で及第点を決めるという厳しい試験に見事落第。郷里の父親から、さっさと帰って来て農事を手伝え、旅費をここに添えておく、という厳しい手紙を受け取ります

たまたま、やはり学業のため東京に出て居た異母弟が主人公の下宿を訪れ、帰郷するのが嫌なら自分からそう言ってやっても良い、あんな頑固親父の言う事など一々聞いていたら飛んだ馬鹿を見るから、と言われます。しかしその晩なぜか断然帰郷を決意し、郷里の父にもその旨手紙を書きます。翌日は様々な思いが胸の裡を駆け巡ったのでしょう、一日中布団を被って飯も食べずに寝ています。いよいよ明後日には出発するという日、何とは知らず人恋しくなって、八王子に就職している同郷の某の事が思い出され


 終にその日、十月二十三日、雨のしとゝと降る午後三時一分大久保停車場發八王子行の汽車に乘り込んだ


 本文では、上記の説明書きに当たる部分が、この一文の後に続き、再び大久保から汽車に乗る場面が出てきます


 十月二十三日午後三時、彼は身心殆ど空虚になつたやうに疲勞し果てた五體を大久保停車場から八王子行きの汽車に投じた。丁度その日八王子では有名な吞龍上人の御十夜があるので車内は既に滿員であつた。彼は僅に身を群集の間に押し込んで、つまらなさ相に窓に凭つて立つた


 今は中央〜総武緩行しか停まらない大久保から乗れたんですなあ。車内は満員、この所十二三日も続いている霧雨に冷気も加わり、足の先や耳たぶなども痛い位の寒さ


 それでいずれも皆泣き出し相な顔をしてゐる幾多の男女を詰め込んで、甲武線の不完全な古列車はその果てもない霧雨を衝き乍ら武蔵の平原の畑を越え岡を巡り林に入つて、ごつとりごつとりと走って行く。濛々たる煤烟は風のない空に低く垂れ、客車の窓に添うて遙か背後の方まで流れて残って居る。(中略)
 雨と寒さと烟とを恐れて全ての窓を閉め切つてある車室の中は、たゞ人の吐き出す瓦斯に濁つて、車臺の動揺はともすれば嘔吐を誘う媒介となつて居る。(中略)
その間に汽車は相も變らず長い蟲でも蠢くやうにして走つた。時に原野の中野寂寞たる小さな停車場で、震へのあるするどい汽笛を霧雨に閉ざされた靜かな四邊の天地に響かせては、またごつとりごつとりと走つて行く。中野荻窪吉祥寺境などをば既に通りすぎ今また國分寺を發車した。乘客の八九分通りは八王子の十夜詣りが目的であるらしいので驛々でもさまで變更は無かつた。然し流石に國分寺は川越線の分岐してゐる處だけに多少の昇降もあつて、順三郎の室にも一二人の空席は出來たのであつた。が、彼は例の知人の事を憶ひ始めてからはかりそめにもその思を紛らさざらむがため毫もその身體を動かすことを欲しなかつた。で、相變らず窓際に凭つて立つてゐた


 ここで「中央線」の歴史をもう一度確かめておきましょう
 明治22411日:甲武鐵道の手によって新宿駅 - 立川駅間が開業。中野駅・境駅(現在の武蔵境駅)・国分寺駅・立川駅が開業。同年8月には 八王子まで延伸開業されます。途中の駅はこの時は無かったようです。追っかけ、明治231日野駅が、2412月荻窪駅が開業。逆に都心側では、明治2710月牛込駅 〜 新宿駅間が延伸開業し牛込駅・四ツ谷駅・信濃町の各駅が開業。明治284月には飯田町まで延伸開業。5月には、この小説に出てくる大久保駅が開業しています
 驚くべき事に明治28年という段階で飯田町〜新宿間が複線化されており、明治37年には飯田町〜中野間が電化。また御茶ノ水までの延伸開業。明治39年には中野まで複線化されます。この間吉祥寺駅は明治32年、豊田駅が明治34年、水道橋駅が明治39年に開業しています
 明治39年には、鉄道国有化法により国有化され、既に官設鉄道として建設されていた八王子以遠と繋がり、「御茶ノ水〜篠ノ井間鉄道」、明治42年に「中央東線」の名称が与えられます。従って、この小説が発表された時は、官設鉄道の一路線となっている訳ですが、ついこの前までの「甲武線」という名前を使っても充分通じるものであったと思われます。更に明治41年吉祥寺〜国分寺間複線化、明治43年中野〜吉祥寺間複線化、と、「索漠とした風景」とか書かれながらどんどん複線化が進行していきます。もと交通博物館のあった万世橋には明治45年、大正8年に東京に到達します
 なお、国分寺から分岐している「川越線」とは、今の川越線では無く、西武鉄道のこと。甲武鐵道の支線として建設されたのが最初であるようです
 牧水は列車を蟲」に例えていますが、「獨り歌へる」にも


蟲に似て高原はしる汽車のありそらに雲見ゆ八月の晝 


という一首があります。この「蟲」、イメージが悪いのですが、どうもムカデの類ではないかと思います。ムカデ共とは、そうそう付き合いのある訳でも無いのですが、当時の写真に見る二軸車を連ねた列車とうのは、あえて言えばヘビではなくムカデでしょうか
 さて、こういう「路線の歴史」は簡単に調べられるのですが、車両、特に区分室型(いわゆる“マッチ箱”)の寸法や構造が解らず、これからの話の展開に支障をきたしている有様です。「甲武線の不完全な古列車」と書かれていまして、ボロであろうことは想像つくにしても、です。これから引用する部分が、ちょいと解析しあぐねているのですよ


 國分寺驛を過ぎて間もなく、この武藏の平原の奥によく見かける深い森林の中にその汽車は入り込んだ。林に入つて一分も經つか經たぬかのうちに、俄然彼中沼順三郎は裂くるやうな烈しい叫び聲を發して矢庭に其處に打つ仆れた。したヽかに打驚かされた車内の人々は全て總立ちになつて其方を見やつた。驚くべし、今迄一樣に閉め切られてあつた車室側面の扉の一枚、丁度それに凭つて彼が立つてゐた一枚の扉は、フワリと開いて仕舞つてゐる。この線路に用ゐる列車は車室の側面が全て扉になつてゐて、その何れからでも出入することの出來るやうに造られてあるのであるが、國分寺驛の驛夫はその一枚だけを閉めることはしめても鍵をかけるを忘れてゐたのであつた。で、扉は中沼の凭せかけた身體の重みで、自然に開いて仕舞つた。當然中沼はその開いたと共に身體の重心を失つて仆れた。仆れて車外に轉げ出すべきであつた。が、幸にも、實に僥倖にもその扉の下部に他の扉と扉とにさし渡しておいてあつた一本の蝙蝠傘があつたがためそれに支へられて辛くも身體を車内に留めてゐたのである。一瞬の間に微塵となるべきその五體をその一本の傘のために辛くも無事に保ち得てゐたのであつた
 附近の人は一瞬の驚愕の去ると共に遽しく彼を引起した。引起されて彼は車の中央に棒立ちになつて立ち上がつた



 さて、蝙蝠傘の長さは、まあ、1mも無いでしょう。「車室の側面が全て扉になつてゐて」と牧水は書いていますが、まず、こういう車があったのかどうか、また、「その扉の下部に他の扉と扉にさし渡しておいてあつた」1本の蝙蝠傘のおかげで、車外に転落するのを免れた訳ですが、はて、どういう状態で、「事故」でなく「ヒヤリ・ハット」で済んだのか?インターネットでいろいろ検索してみても、「これだ!」という画像は出てきません。結局、「こういう作品がありましてネ!」と紹介するだけの、極めて意気地の無い話になってしまいました。で、この後の展開だけご紹介して、この項を終えたいと思います

 順三郎の命を救った蝙蝠傘は、同じ区分室に居た老婆の持ち物で、中沼が転落し損なった騒ぎの間に、何かに触れて車外に落ちてしまいました。老婆は、中沼が助かって良かったと良いながらも、その蝙蝠傘が、二円幾十銭かで、牛込に嫁いだ自分の娘が買ってくれた物だと愚痴をこぼして仕舞います


 それもまつたく道理のことで、と人々は同意して、然し何を云つてもそんな大きな若者と取代えたことだから斷念するが可からうと慰める者もあり、この事は要するに帝國鐵道廳の失態さるのだから然るべく損害賠償を要求するのが至當だと論ずる者もあり、暫くはその事のため車内の騒ぎは一通りではなかった



 まあ、いつの時代でも野次馬は賑やかですわナ。ここで牧水も「帝國鐵道廳の失態」と書いているからには、既に国有化されたことは知って居たようです。順三郎は、持ち合わせた金も無いのに、老婆への感謝の心から、汽車を立川で降りて線路に落ちた蝙蝠傘を拾って届けるから、八王子で一汽車待っていて呉れ、と申し出ます
 さて、立川で降りたは良いが、「途中下車前途有効を認めろ」という交渉は、駅長に一蹴され、とぼとぼと線路上を国分寺方向に歩いて行けば、今度は線路工夫に見とがめられて散々に絞られ、辛うじて親切な一人の工夫が、そういう事情なら、蝙蝠傘を見つけたらさっさと線路から離れて人家のある方へ行け、と行ってくれます
 件の蝙蝠傘は見つかりましたが、人家のある方向へ行く道も解らず、線路上を立川方面に戻って、また先程の線路工夫達と顔を合わせれば一悶着あるに違いないので、順三郎はしかたなくそのまま線路上を国分寺方面に歩き出しました。が、時計も持っておらず、次の汽車の時刻も解りません

發車度數の少ないこの路線のことだから多分大丈夫だらうと思ふと、身も心もがつくりと勞れ果て衰え果てヽ

線路端に倒れていた櫟の木に座り込んでしまいます。そこで、八王子の友人の事、先程の老婆や親切な線路工夫のことなどを思い返すのですが、ふと明後日という眼前に迫る帰国のことを思い出した途端、もう全身に満ちる厭悪の感に囚われてしまいます。結局、本来なら国分寺から乗るべき「一本後の汽車」、乗り遅れたその汽車に飛び込んで自殺してしまう、ということで小説は終わります

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五十鈴 拓磨
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