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『獨り歌へる』より
「獨り歌へる」は、上巻(明治41年4月〜12月)、下巻(明治42年1月〜7月)から成り、最初の歌が、有名な
いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
です。この歌集に含まれている歌の出来た時代は、園田小枝子との恋の真っ最中で、当然ながら小枝子がらみの歌も多くあります。これらの中に出てくる「汽車」、「停車場」の歌を拾ってみました。ここにでてくる「ひと」は、小枝子と考えて良いのでしょう。
うちしのび夜汽車の隅にわれ座しぬかたへに添ひてひとのさしぐむ
野のおくの夜の停車場を出でしときつとこそ接吻(きす)をかはしてしかな
別るゝ日君もかたらずわれ云はず雪降る午後の停車場にあり
別るとて停車場あゆむうつむきのひとの片手にヴイオロンの見ゆ
別れけり殘るひとりは停車場の群集(ぐんじゅ)のなかに口笛をふく
「海の聲」に載っている、
ああ接吻海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま
山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君
のような、今流に言えば「壁ドン」的な、情熱的どころか読んでいるこっちの顔が赤くなるような歌は影を潜め、ずっとしっとりしたものとなります。
ここに挙げた五首は、佐佐木幸綱さんの言うとおり「すなおに読んで、心に広がってゆく波紋をしずかに楽しめばいい。」と思います。
特に良いのは五首目の「別れけり」ですね。しばしの別れではあっても、別れてしまった後の寂しさとか、悲しさとか、それを押し殺した強がりでもなく、心の中に出来たどうしようもない穴に風が鳴っている、そんな口笛だったのでしょうか?
「群衆のなかに口笛をふく」という心持ちは、それが現在の、ひっきりなしに列車が出入りし、人の渦と案内放送のやかましい東京駅の新幹線ホームであっても、十分に成り立つのでは無いかとも思います。
なお、ここに出てくる「停車場」は、旧新橋駅(現在の東京駅はようやく着工された頃)と思いますが、小枝子が当時どこに住んでいたのか把握しておらず、確証はありません。でも「別れ」の停車場としては、やはり「長距離列車の始発駅」であってほしいと思います。
後年、牧水は「旅とふる郷」の「秋乱題」の中で、
旅といふと私は直ぐ港と停車場とを思ふ。上野驛のかさゝしたのも嫌だが東京驛にもまだ馴染み難い。亡びゆくものは皆なつかしいと云うからか知らぬが、舊(もと)の新橋驛は古くもあり小さくもあつたが親しみ易かつた。
と書いており、旧新橋駅を好んでいたようです。その奥には、小枝子との幾度かの出迎えや見送り、関係の破綻までの甘い、そして苦い記憶があるのだろうかと思います。
ここまで書いてきて思い出しました。萩原朔太郎が昭和11年に出した「定本 青猫」のなかに含まれる挿絵の中にある「停車場之図」、どうも旧新橋駅のような気がするのですが、いかがなものでしょうか?
(つづく)
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