高崎線userのRailLIFE

倅:オカシイ。妹の方がネタ撮ってる 親父:偶然は怖いだろう??

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 「さびしき樹木」の「北國行」を続けます。その前に前回の補足をば……

 對坐した一老人も同じく澤の鶴の壜を手から放たないでゐたが、いつか口をきゝ合ふやうになり、羽後の酒田の人とかで、いろゝその土地の話を聞いた。

という一節、とても今では出来まい、と書きました。真っ昼間から酒は飲まなかったですが、だいぶ昔、宮古出張の時、昼近くの山田線快速に乗りました。キハ110一般型の単行で、釜石線の「はまゆり」と較べたら、えらく貧相。ここで同じクロスシートに向かい合わせで坐った方といろいろ話しているうちに、今夜は宮古泊の予定だが、宿はまだ決めていないという事なので、空いているかどうか判らないが、と、私の泊まる予定のホテルの話もしました。この方、観光案内所で聞いた結果、何のことは無い、同じホテル!ロビーでばったり出会って、二人で顔を見合わせて笑いましたナ。今でもこのブログの読者、「さとうや」サン営業中には顔も出してくださった、青森のOさんです。こういうご縁もあるんですね

 本題に戻りましょう。米沢から山形、新庄(牧水は新莊と書いている)と過ぎて、牧水の乗った列車は山形県と秋田県の境、院内峠にかかります。

―院内峠―
(かひ)ごしに汽車よりあふぐ高嶺には雲ひかりゐて窓に雨鋭()
汽車のうちも光り明るむここちして四方の雨しるき秋草の原
筋あらく汽車に降り入る山の雨手にもとるごと光りてぞ見ゆ


 「北國紀行」では、

 新莊を過ぎて程なく汽車はまた高原らしい所に入った。米澤より山形を經て新莊まで約く三時間、其間は全くの平野で、遠く雲の蔭に山影を望む事が出來た。高原はやがて山となり再び雨を見た。院内驛より平野、こゝよりは秋田領に入るのださうである。

とあります。
 私がここを昼間通ったのは1回だけ。昭和54年10月、「つばさ」で真っ昼間に通っているのですが、全然印象無し。いや、15:00頃食堂車にコ−ヒ−を飲みにいったのは、この辺だったか?とにかく紅葉が美しかったですな。で、食堂車の乗務は日本食堂秋田営業所のクルー。この中に、大変可愛い娘がおりましてね。

私:「君たちは、日食の秋田だったら、いなほも乗るのか
   い?」いなほは日本海沿いの羽越線廻り)
彼女:「はい、乗ります。」
私:「奥羽線と羽越線と、どっちがいい?」
彼女:「はい、海(羽越線)も、山(奥羽線)も、どちらも良いで
    す。」

などとやっていたあたりではないか、と想像します。私の知る限り、院内峠というのは、同じ奥羽本線の矢立峠やら、東北本線の奥中山などのように、補機(補助機関車、本務機の前に着いたり、列車の一番後ろに着いたりする)の活躍が有名であった所ではなさそうですが、どんなもんだったんでしょう?

 牧水は、「雨鋭し」と言いながら、「汽車のうちも光明るむここち」、とも、「手にもとるごと光てぞ見ゆ」言っています。雨は強くても、雲が余程高くて、余程明るかったのでしょうか?確かに、「明るい雨降りの日」というのがあります。
 私の旅の記憶では、残念ながら「明るい雨降り」に当たった覚えがありません。暗い中でシャッタースピードを稼ぐのに、当時はコダックの「トライ−X」(ASA 400)くらいしか高感度フィルムが無く、また、コントラストが強くて、あまり好きなフィルムでは無かったのですが、これの残りコマ数と、撮るべき獲物と、撮れるポジションに相手が居てくれるか、ハラハラのし通しでしたね。一番参ったのは、北陸の京福電鉄の時で、永平寺まで行く予定が、雨が強くて暗くて、くじけて途中で引き返してきたこともありました。

 さて、その後牧水は、というと、数日秋田で過ごし、やはり奥羽本線で新庄へ、ここから陸羽西線に乗り換えて酒田へ出るわけですが、この行程で読まれた歌には、「汽車、停車場」という言葉が出てこないので、今回の検索には引っかかってこなかったのですが、紀行文にはすばらしい物があり、これはまた。場所を変えてご紹介いたしましょう。

 このほかに、「さびしき樹木」では、以前載せた、

麥ばたの垂り穂のうへにかげ見えて電車過ぎゆく池袋村

ですとか、

ーその日妙義山に志したれども心變りて磯部に泊るー

と、途中で気が変わって、

氣まぐれの途中下車して温泉町停車場出れば葉ざくらさむし

と、磯部温泉に泊まってしまった歌もあります。


―或る夜―
ほどちかく行ける夜汽車の音すらもなつかしくしてもの書きいそぐ

 この歌も良いですね。大正6年5月9日、東京市内巣鴨1,250番地に転居。ここも線路のそばだったようで、巣鴨時代の歌か、大塚窪町の頃の歌か、ちょっと判断できません。
 私の生家は、東海道線の辻堂駅から徒歩5分、夕刻の寝台特急列車の通過一声も、夜の入替機関車の汽笛も良く聞こえました。初めて生家を離れて住んだ清水の町は、これまた清水港線があった頃で、一日数本ながら、貨物列車が盛んに汽笛を鳴らしながら走っておりました
 これ以降、今の上尾の家では、ごくまれに電車の警笛や走行音を聞くことがありますが、長いこと、家に居て列車の汽笛や音を聞くことがありませんねえ

(さびしき樹木、終り)

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