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J様へ
J様が今ブログで紹介されている「旅の歌」(詩歌日本の抒情 5 佐佐木幸綱)、早速自分でも買い求めて読んでみました。そもそも短歌を読んだ事と言えば、最近の牧水を例外としてまあ啄木を少々、万葉などとんでもない、という程度の私にとっては大変に示唆に富むありがたい本でした。特に明治以降、鉄道の開通というものが人々の感性に与えた影響というものは、改めて認識させられました。
さて、先日のJ様の短歌で、吉幾三の事を詠まれていたものが目に留まりました。演歌をあまり聴かない私も、カラオケ屋で困らないよう、一応数曲の「持ち歌」を持っており、吉幾三作詞・作曲の「津軽平野」もその中に入っております。”you tube”という便利な物があって、いろいろな人の歌う「津軽平野」を聞き比べてみたのですが、吉幾三の歌い方、決して声が良いとは思わぬものの、泥田の中を這いずりまわる如き、「これが津軽の血というものなのか?」と思わせるものを感じます。最初にこの曲を歌った千昌夫(岩手県陸前高田出身)のものでは、「訛り」の差以上に、ここまでの何かを感じることができません。歌唱力において全く遜色のない他の演歌歌手、例えば氷川きよしや坂本冬美でも出せない味が吉幾三にはある、これだけは間違いない所でしょう。
何年か前、私と同じ鉄道好きの長男が東北旅行に行ってきました。「津軽平野」の歌詞では2番に出てくる「ストーブ列車」の走る津軽鉄道にも行ったのですが、季節が9月だったため残念ながらストーブ列車は運行されておらず、乗れずに帰ってきました。その話をしながら、
「“ストーブ列車よ 会いたや親父”っていうが、さしずめお前だったら“ストーブ列車よ 乗せろや親父”とか、”連れてけ親父“とかいうんだろう!」 などと奴サンとじゃれているうち、ふと、あれ?これって、東京から見た津軽の歌じゃないの?という思いが湧き上がってきました。You tubeでは、氷川きよしの歌っている物も画像とともに聞くことができるのですが、歌の前のセリフが、これ。
「春になったら、お父は、ドン行列車で帰ってくる」
平成も30年近い世の、我々「テツ」(鉄道好き)の一般常識から見れば、上野から青森行きの各駅停車なんぞ昭和の40年代末に消滅しており、今どきこの地域を含めた東北一円の各駅停車は、我々が「プレハブ電車」とこき下ろす「701系」という、味も素っ気もない「首都圏の通勤電車の3扉版」が主力です。まして津軽地方で「汽車」、つまり煙を吐く蒸気機関車が日常走っている訳も無いのですが、「テツ」でない「フツーの人」は、津軽に行ったらドン行のストーブ列車が走っていて、「汽車」の中から雪景色を見ながら一杯やったり、駅弁を食べながら旅行出来ると勘違いしておられる向きもあるかもしれません。これ、「湘南」のイメージを、サザン・オールスターズの曲の影響下で作られ、持たれている方々もおいででしょうが、「湘南原住民」の私が聞いたら、「アンタ、とんでもない“美しき誤解”してるゼ!」と言いたくなる事があるのと同じかもしれません。なお、この曲が出たのは昭和59年3月25日。昭和27年生まれの吉幾三は、中学卒業後に上京していますから、本当に「上野発 青森行き普通列車」や、ケムリを吐く「汽車」を体験している世代です。昔のことを思い出して作った詩だ、といえばそれ迄、平成の世の感性で捉えるから齟齬が出てくるのは「テツ」的には止むを得ますまい。
佐佐木幸綱さんは、先の「旅の歌」の中で、明治の廃藩置県によって居住地の制限が無くなった結果、理由は様々ながら故郷を出て主要都市へ、特に首都東京への人口の移動、即ち離郷者、棄郷者の急増に伴って望郷の歌、棄郷の歌が沢山作られるようになったと述べ、「故郷の空(大和田建樹作詞)」や「故郷の廃家(犬童球渓作詞)」を例に挙げたうえで、
唱歌、流行歌はもとよりのこと、いわゆる創作詩歌においても、こうした出郷者の詩歌が一つ、大きな流れを形成するのっである。誇張して言えば、明治以降の東京は、出郷者ばかりの町になったかのごとくであった。詩歌の書き手たちももちろん例外ではなかった。東京以外の土地の出身者でありながら、東京で生活し、東京で詩を書く、そうした者が大半であった。望郷の詩、棄郷の歌が多くなるのも当然といえば、当然のことだったのかも知れない。
望郷の詩、棄郷の歌とは、裏側から言えば、漂泊の歌、さすらいの詩ということになろう。故郷を離れた者が帰郷を断念したところから本格的な漂泊の生が始まるからである。
と書かれています。では再び「津軽平野」に戻りましょう。この歌は、津軽地方に残る息子が冬場の出稼ぎに行った父親を思って歌う形をとっています。詩とは逆方向、「東京」から「津軽」へのメッセージを感じるのは何故でしょうか?
佐佐木幸綱さんの書かれたことから推測するに、おそらく「津軽平野」も、形を変えた、あるいは裏返しの「望郷の歌」なのでしょう。先に「東京」から「津軽」と言いましたが、「津軽」からのメッセージの形をとりつつ、むしろ圧倒的なリスナーがいる「東京そのもの」の、そこに住む離郷者、棄郷者達(吉幾三もまた、その一人です)へのメッセージであったのではないか、というのが一面。他方、「東京育ちの人々」へ向けては、「津軽平野」というどこか遠くの野面、多少は不便かも知れないが、都会では失われた何かがある所への「旅への誘い」でもあるかもしれないという一面。私の感じた違和感は、やはり私が一応「首都圏」で20歳までを過ごした人間で、その感性が主に「旅への誘い」の方に反応したせいではないでしょうか。もちろん「テツ的・時代的齟齬」はあるとして。
吉幾三という歌手の名前は、私にとっては、昭和59年11月末、爆発的?ヒットとなった「おら東京さ行ぐだ」で最初に覚えました。こうも自虐的なことを言っているくせに、これはどう考えても「裏返しのお国自慢」だろう、逆に
「都会人ども、お前らが考えている通りの田舎者を演じてやったゾ!ザマあみろ!」
と言っているような曲だ、と、その年初めて東北の地、仙台に転勤した私は思いました。この印象があるので、後から覚えた「津軽平野」には警戒心を持って?接したのも事実です。
でも、やっぱり、「津軽平野」は難しい。私には歌えない、というより、自分の歌にならない。首都圏人の共感は「旅への誘い」の方にありますが、「テツ」として、既に東北の鉄道に幻滅しきっているから、共感の湧きようが無いのですよ。
いや、何だかおかしな話になってしまいました。でも、「旅の歌」を考えるとき、いずれは私の感性の拠も明らかにしておかなければならないと思います。この辺の考察については、また項を改めてお話ししたいと思います。
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2017年05月13日
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