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「”急行 羽黒”って、知ってますかぁ?」
一昨年の冬、あつみ温泉の宿で、夕食の時、鉄道の話題で盛り上がっていたときのことでした。宿のお手伝いに来ている老婦人が、食事を持ってきてくれたときに、ぽろっと言ったのです。
「混んで、混んでねえ。連結の所に立って帰ってきましたよ。私は集団就職で東京にでたもんでねぇ。」
”急行 羽黒”は、昭和31年11月19日、「津軽」を秋田打ち切りとして、羽越線経由で設定された夜行列車で、昭和43年10月1日のダイヤ改正で「急行 鳥海」に改称されたようです。私は、この列車名は初耳でした。
首都圏育ちの私は、夜行列車とは「あこがれの土地へ行く列車」でありました。しかし、それらの列車の行く先に育った人たちは、必ずしもそうとは思っておられないのです。
学生時代、悪友のTが私の下宿にダベリに来ました。此奴は鹿児島人なのですが、
「なあ、ブルートレインって、今ブームらしいけど、何がいいんだよ?」
まさに、あんなもンのどこがいいんだ、という口調でした。
「う〜ん、そうかもなあ。オレは首都圏の人間だから、ああいう列車は”遊びに行く時に乗る”分けだ。でも、地方の人からしてみたら、故郷を離れて不安いっぱいで集団就職で上京したときの列車とか、休み明けで仕事に戻らなければならないのに乗らなければならない、とか、まあ、あんまりいい印象無いだろうナ。昼間は留置線でゴロゴロしているしナ。」
私としては、こう答えるのが精一杯でした。その記憶があったので、この老婦人の話も、意外とは思えませんでした。
「急行 羽黒」の編成を見ると、並ロ、特ロ、ハネなども組み込んでいますが、集団就職で上京したような人なら、ハザ自由席がやっと、上野で長蛇の列に並んで、乗るのがやっと、坐るなどおぼつかなかった、というのが、正直な”その方の記憶”ではないのでしょうか?
風情だ、何だ、と言っている私と、やっとの思いで、一晩中立ち続けてやっと故郷に帰り着いていた方々と。こういう方々の言葉が、重く響いた夜でありました。
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2017年01月29日
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