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おお、記念すべき50回!の割にはネタが無いな〜。
今日はキンタ君の若番、3号機が安中貨物の運用に入っているので、北上尾駅まで撮りに行ったのですが、通過時刻が15:50頃となると、この時期はもうISO 800で辛うじてシャッター速度1/800(s)が切れる程度。結局粒子が粗くなって見栄えが悪いのですが、仕方が無い。これから3〜4ヶ月、5097レ安中行きの撮影は相当難しくなります。
高崎線のキンタ君の運用は、この安中貨物を中心に3仕業あり、安中まで行ったキンタ君が、安中から高操まで戻ってきて、この列車を、6083レを牽いてきたキンタ君と引き継で、高崎で一晩休んでから、例の桶川駅中線待避をする大館貨物6098レを牽いて隅田川〜仙台と帰って行くのですが、土曜日は大館貨物が運休、よって週末は2日連続で同じキンタ君が泉〜安中を往復することがしばしば。一方6083レは、土曜日ですとEH200が代走することもあります。しかし、今日は某サイトによれば、キンタの40号機が牽いているという情報。さて、明日の、というか、今夜高崎を出る安中貨物の泉行きを、何号機が牽くか?
まあ一応成功としておこう。5097レを牽くEF500-3 今日は短いナ
あとは「おまけ」。
新鶴見EF210 A232仕業 8883レ
新鶴見EF65 A81仕業 8876レ
お粗末様でした……
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13番線、「親父の部屋」
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両親と打合せがあり、久々に辻堂の生家を訪れることとなりました。10月8日のことです。
北上尾で上野東京ラインの小田原行きを待つ間、何か旅に出る前のような胸の高鳴りを覚えたのはなぜなのでしょうか?この地に越してきて16年、辻堂を完全に離れてから25年、東京駅から東海道線下りに乗るというのは、いつの間にか「異界へ踏み込む」気分になっていたのですよ。正確には、今の通勤は田町までですから、「東京」というより、「山手線内」から先、というべきかな?
普段なら、列車に乗ればすぐ目を閉じて眠ろうとするか、スマホをいじっているのですが、さすがに東京から先、あちらこちらと見回しながら、何か昔の痕跡を探そうとしておりました。 辻堂に着いて、ようやく昔のままのビルを見つけました。
この豚カツ屋、自分の高校時代からあったような……
西口のこの銭湯、小学校入学前からあったから、少なくとも60年は営業していることになります。
今の西口からの風景。ここから富士山がよく見えるとのことですが、今日は曇っています。
再掲ですが、辻堂の爺様が撮った「さくら/はやぶさ」時代の上りブルトレ。なんとか富士山が写りこんでいますね。
かつては「出発信号機」だったんですよ、これ。今では「第3閉塞」。信号扱いの上では「駅ではない」のですね。北上尾もそうですが。
西口から撮ったいs写真といえば、まずはこのご隠居が撮ったEF66時台のブルトレ。
これは、昭和30年代後半かな〜?臨時で入ってきた101系?103系?(辻堂の爺様撮影)
ほぼ同じ場所の現況。金網が出来て写真どころでは無いという……
西口階段に掲示されている、駅西口の変遷。これが、我々が呼んでいた「裏駅」。階段を降りると踏切で、小学生の頃は日参したもんでした。
この形になったのは、私の高校時代だったかな?
これは、ホーム拡幅工事前か?
今はすっかり変わってしまい、面影もありません。
辻堂で唯一撮れる、キンタ牽く所の2079レ。「貨物列車時刻表」まで持って行きながら全くノーマークで、車番も判らないという有様。
帰り道、大船で抜かれた「踊り子」は、185系のトップナンバー入り、A1編成でした。
離れてからの方がむしろ長い辻堂界隈、これだけ街の貌が変わってしまえば、もう何処でも同じ、かいな……
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セガレが、長躯平塚から、新幹線まで使って電気機関車の展示を見に来るというので、この隠居も重い腰を上げることにしました。10月13日(土)のことです。
セガレの方は、家の仕事その他があって高崎は13:30頃着というので、隠居は桶川から先行して高崎12:00頃着。お世話になっている「栃木路快速様」が午前中から現地におられるので、当方も偵察がてら会場へ。
栃木路快速様とは、立ち話も何でしたので一度高崎駅へ戻って、スタバでコーヒーを飲みながら鉄道談義。彼とセガレは、品川・田町駅で平成21年3月14日、すなわち「ブルトレ最後の日」を、私を入れた3人で見届けたというご縁があり、この日、有り難くセガレを一緒に迎えてくれ、顔を合わせて頂きました。
さて、再びセガレとともに会場へ。
ご隠居の方からすれば、どの機関車も「掃いて捨てるほど走っていた」ものばかりなので、何かセガレとの世代差を感じるばかり。セガレとは36歳の年齢差。栃木路快速様とも10年くらいの差があり、彼と話していても、私の話の中には、やはり「本の中でしか知らない」部分があるようです。
EF64 1001は、たまたま昭和55年11月、私の乗った急行「能登」(雑系客車を連ねていた時代です)を長岡から牽いてくれた機関車ですが、これもトップナンバー故に記憶があったか?(手帳の記録はありますが)
EF65 501、いわゆる「Pトップ」も、昔は何度か出会っているんだろうな。EF66 27なんて、意識したのは最近だからな……
こいつも、セガレ共々何度か顔を合わせております。
上信電鉄に売却となった107系。あまりご縁の無い車両ではありますが。
何だか複雑な気分で帰ってきました。やっぱり、時代は進んでいきますからねえ……
栃木路快速様には、改めてお礼申し上げます。
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ブルサンクマイチこと、EH200 901号機、今日は臨8760レに入っていたので桶川駅へ。ここは、午前中の比較的早い時間ですと、列車側面が黒くつぶれてしまいます。一方、今日のような暗い曇りですと、シャッター速度を稼ごうと思ったら感度を上げなければならず、そうすると粒子が粗くなるという悩ましい所であります。天気が良ければ、駅南側の踏切で、機関車だけを狙う手もありますが、せっかくなら列車全体を写したいし……
結局、入場券を買っていつもの所へ。どうも暗いなあ、ISO800でも、シャッター速度1/1,000(s)はムリ。覚悟を決めて1/640(s)まで落として、列車を待ちました。
で、結末は、と申しますと……
ま、ヨシとしましょう。で、これの戻りの運用が、この前大宮操車場で失敗したあの列車。結局ものにならん……
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関東周辺で見られる電気機関車はおおかたやっつけましたので、面倒くさいからこの辺でテキトーにヤメちまうかと思っておったこの「鉄道図鑑」、過日、仙台のO店長(北海道出身)と話していて、いまひとつDD51とDE10の見分け方が判っていないような感じもあったので、これはチト、石巻線定期貨物列車にも運用のあるDE10についても触れておく必要を感じました。
DE10型、国鉄時代の昭和41〜53年の間に708両が作られ、全国のローカル線や各地の入換作業のある駅、操車場など、もう、どこでも、掃いて捨てるほど居た機関車です。派生形として、入換専用としたDE11型、両端にラッセルヘッドを装着した除雪型のDE15があります。現在もJR旅客各社(ただしJR東海では既に全車廃車)、貨物会社に引き継がれた車両があちこちに居て、貨物ターミナル駅、貨物駅や、大きな駅での駐在車両など、Y君もS君も、気をつけていると、ちらちら見かけることが出来るのでは無いかと思います。
貨物会社ではDE11型と混用されているようで、ちょっと見には全く同じ形なので見分けるのは難しいでしょう。また、DE15型から改造された3000番台や3500番台もあります。なお、最近は、貨物系統では車籍を抜いて「入換動車」即ち機械扱いとしてしまった車両もあるようで、頼りになる某サイトを見ても番号が出ていないなどの場合は、多分これなんでしょうね。
旅客会社では、「カシオペア」編成の居る尾久では、入換用のこの機関車をチラチラ通勤途上に見かけることもあります。高崎では、恒例のSL牽引列車のための客車据え付け用に、マルーンに白帯の塗装となった車が居ましたが、今ではもう廃車になったか……
何分「掃いて捨てるほど居た車両」なんで、昔からほとんどED10の写真は撮っていません。ただ、DE10の牽く客車列車というのは何度か乗っていて、こういう時の写真はあります。最近になって、倉賀野あたりで少々、あとは見かければ撮った程度。ホント、EF65同様、DE10が「珍しくなる」日が来るとは、想像も付かなかったというお粗末。ということで、本題に入りましょう。
まず、DD51とDE10(DE11、DE15夏姿)の見分け方。これは極めて簡単。車体の本当に中央に運転台があるのがDD51。「センターキャブ」と言います。一方、ちょっと片側に寄っているのがDE10の系統。「セミセンターキャブ」と言います。DE10系統の機関車は、ボンネットの長い方がディーゼルエンジン、短い方に液体変速機(トルクコンバーター)が格納されています。
S56頃か、関西本線の普通列車を牽くDD51。運転台が車体の中央にある。
倉賀野駅で到着した貨物列車を貨物駅まで引き込むDE10。エンジン側から見る。
H29.3.18撮影
同じく列車到着待ちの風景。トルコン側から見る。撮影日同じ。
このDE101042ですが、すでに車籍は無いようで、「入換動車」扱いになっているうちの1両でしょうか?熊谷貨物ターミナルにもDE10が居ますが、あいつはどうなっているんだろうな?一方、これは、倉賀野常駐機の定期検査?だかで、まだ車籍のある東新潟の車が来ていたときのもの。
同じく倉賀野駅 H28.11.23撮影。
では、このご隠居の手持ちから、古い順にDE10の写真をご覧に入れましょう。まずは、辻堂の爺様が撮ったもので、場所も日時も不明。上の写真、真横から撮っていますから、「セミセンターキャブ」のゆえんも判りやすいかと思います。
次は昭和54年3月、唐津線の普通列車、これもDE10が牽いてくれました。山本駅で、やはりDE10の牽く貨物列車と交換。
同じく昭和54年3月の九州旅行、遠賀川駅にて、室木線の普通列車を牽くDE10。
これは昭和57年、若狭〜山陰方面旅行の際、私が乗った急行「大社」が、どこかの駅ですれ違った小浜線の各駅停車。なお、この前年、北陸方面を旅行し、やはりDE10の牽く城端線の各駅停車にも乗っていますが、夜間でしたので写真がありません。
昭和62年、酒田港の仕事で出張中撮ったもの。雪国用で旋回窓が付いていますね。
次にDE10型が脚光を浴びたのは、重連で寝台特急牽引と言う重責を担うことになった平成2年7月のダイヤ改正です。奥羽本線の新在直通工事、即ち新幹線車両を在来線に入れてくるため、板谷峠の区間を含む福島〜山形間が夜間は通れなくなり、青森から奥羽本線を経由して上野に向かっていた寝台特急「あけぼの」は、何と新庄から陸羽東線経由で小牛田へ出、ここから東北本線を南下することとなりました。陸羽東線は、山越えで結構きつい峠がありながら線路が弱く、山形駅構内の入換に使っていたDE10が新庄に呼び戻され、しかも重連で「あけぼの」牽引に当たることになりました。これは私も燃えて乗りに行きましたもんね〜。DE10の牽く急行「天北」に乗り損なって悔しがっていた私は、年末、この当時住んでいた新潟から辻堂に帰るのに、
新潟 → 特急「いなほ」で余目へ → 陸羽西線各停で新庄へ →「あけぼの」
という行程を採りました。予想外だったのは、年末で普段より3両位増結していて、新庄駅では機関車がホームをかなり外れて停車してくれたので、DE10の番号が両方とも把握できませんでした。もちろん写真も撮れる訳なし。でも、機関車のすぐ後ろ、誰もいない増1号車のオハフ15で、新庄から小牛田までの区間、機関車の息づかいに耳を澄ませている幸せな時間を過ごしました。
さて、ずっと時代は下がって、平成25年10月。これは高崎駅で撮ったもの。「SLみなかみ号」の客車を据え付けているところ。この機関車、今も残っていすね。(10/18訂正、お恥ずかしい……)
これは、倉賀野の、何と呼ぶんだろう?倉賀野(貨物駅)から倉賀野(旅客駅)までの間の連絡線?、貨物列車を据え付けるための仕事。2〜3枚目の写真と同日の撮影。
最後に、JR九州のDE10。塗色変更されています。折尾駅にて、撮影年月日不明。
つ〜ことで、今回はこれまで。
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