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先日、「終活中」の辻堂の爺様から、2000年頃に撮影されたスライドを貰ってきました。デジタル化したのでお目に掛けます。
2000.05.26撮影、藤沢〜辻堂間を走る113系
同日、辻堂駅西口から撮った上り「さくら/はやぶさ」
EF66時代のブルトレは、この隠居、2枚しか撮っておりません。「さくら」と「はやぶさ」の併結だった時代ですから、P型全盛期を知っている世代としては、出会ってもあまりカメラを向ける気にもならなかったでしょうね。
2001.01.19 大船駅における「やまなみ」
同日、大船駅にて、旅客線を通過する下り貨物列車
こういう変則的な運用は、ついこの前もあったそうで、よほど遅れの酷かった貨物列車に、遅れ回復のためか、線路容量が無いためか判らないですが、旅客線を走らせるんですね。
これまでの記録と比較するとずっと新しい時代の物ですが、隠居の経歴で言えば、2000年4月まで水戸、以後しばらく横浜の時代です。この頃はカメラもロクなものを持たず、辻堂とも「テツ」的には疎遠となっていたので、これを埋める貴重な記録(この隠居にとっては)となりました。
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18番線、「爺様の業績」(?!)
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とうとう、辻堂の爺様から引き継いだネガのシリーズも、これが最後となりました。
シリーズの終わりは、大昔の辻堂付近、おそらく、小生が産まれる前から、物心がついたかつかないかのころ撮影された物ではないかと思います。
これは、以前出したものですが、なんとも悔しいシャッターチャンスの結末。
でも、我が家唯一のクロ151の写真です。
こんな、3枚窓のクハ86の写真もあれば……
これは、見てブッ飛びました。EF56ではないですか!
そして、まだ冷房が付いて居ない頃の157系。背景の、低いビル屋上の「ほていや」の看板がなつかしいな〜。
ちなみに、157系の冷房化は、昭和38年だそうです。
これも懐かしい辻堂駅西口。休日・祝日など、平塚や小田原の競輪開催日に、横須賀線の70系、後には111系が臨時電車として入ってきましたし、小生の記憶では、昭和47年頃まで北ウラのスカイブルー103系が、「横浜行き」などで入ってきていましたが、これはどうも101系?どこの車でしょうか?
そして、最後は、その頃の「湘南海岸」の風景。サーファーなどという連中はまだ影も形も無い、砂浜にコウボウムギの茂る、私の「湘南の原風景」です。
では、これで「爺様の業績(?!)」を終わります。もし、新しく何か出てきたら、その時は、再度更新させて頂きます。
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「4月」まで、まだ1日ありますが、ついでですので掲載します。
今回は「157系」。もう「あまぎ」の時代で、残念ながら「伊豆」時代の写真はありませんでした。もっと古い、冷房の付いていない時代の写真もありますが、これは次回という事にさせて頂きます。
撮影年月日不明ですが、東京駅の157系。夏場らしく、隣の京浜東北は、窓が大きく開けられていますね。
これは、辻堂駅を通過する上り「あまぎ」。子供が二人写っていますが、大きい方が小生、小さい方は6歳下の弟です。おそらく昭和47年の秋ではないかと思います。
辻堂も、駅北側の工場が立ち退き、この跡が再開発されて、風景は一変しております。たまに通りがかって、呆れるくらいの変わりようですね。
今回は、こんな所で……次回は、いよいよ最終回となります。
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小生もそうですが、爺様も、たまには「新型」に眼を惹かれることがあったのでしょう。東急のステンレス車を撮していました。撮影年月日は不明ですが、「こどものくに」の駅名が映り込んでいるので、場所の特定は容易でした。
爺様が何の用向きで「こどもの国」へ行ったのか解りませんが、どうも、多客時の臨時列車として、当時なら本線(田園都市線)を走っている編成を、たまたま回して来たのでしょうか?
この7200系も、平成12年には、無くなっているんですよねえ。なんか、小生も結構よく見た記憶はあるんですが、とにかく私鉄には疎いもんで、投稿前に泥縄で調べたら、豊橋鉄道に残って居るようで……
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「爺様の業績」では、滅多に無いカラー写真が、これ。
小生はとうとう乗り損なった東武の熊谷線です。爺様と婆様で「さきたま古墳群」かどっかへ行ったときに、ついでに寄ったのでしょうか?
これは妻沼の駅でしょうか?まあ、熊谷では無いわなあ……
どうも、「カメ号」と呼ばれていたような話を聞きました。
こういう形式写真的な撮り方って、小生もよくやります。というより、他の方々のような、風景を入れた写真を撮るのが面倒で……
もうひとつは、写真を残すより、乗った体験の方が大事だと思っているせいもありますがね……
この車も、廃止後、鹿島鉄道に行ったんでしたっけ?
こんなのも居た、と、婆様が感心しておりました。
本日は、この辺で……
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