|
日本一周様が、長野駅風景を掲載されております。これに関連して、予定を変えて「爺様の部屋」を投稿します。
この写真、例によって撮影データは全く不明。爺様からは「長野で撮った」と聞いておりますが、どんなもんでしょうか?
|
18番線、「爺様の業績」(?!)
[ リスト | 詳細 ]
|
今月は、これ。ED42。こういうのを残してくれた爺様に感謝!ただし、撮影データは一切不明。
機関車のすぐ後ろが客車、ということは、この列車の長野側端であるということ、尾灯周りの標識がたたまれていることから、こちらが先頭で、つまり「下り列車である」こと、くらいしか、写真からは判断できません。
架線が写っており、軽井沢(?)の構内ではパンタを上げて走っていたとかいう話も聞きましたが、どこの駅か解りません。粘着運転開始の直前かも知れませんし。
第三軌条というもの、ラックレールというものを、しっかり撮っておいてくれたので、話だけでしか「アプト」を知らない親父にも、セガレにも、良く解ります。
|
|
爺様の「業績」、今回はED71です。撮影場所、年月日とも不明。
亀三さまが以前投稿されておりましたが、私も、実際にED71を見たのは、昭和48年10月頃、高校1年の修学旅行(裏磐梯方面)の帰路、福島駅頭で出合った、重連で貨物を牽くこの1枚だけ。
なお、この修学旅行で、撮った鉄道の写真、これ1枚だけ……ついでに、自分の旅の報告も兼ねてしまうという、この横着さ………
兄弟機であるED70は、とうとう現役時代には間に合わず、北陸旅行の時、敦賀で、遠目にチラと、保存されているED701(?)を見ただけです。
なお、ED71が船岡(?)に保存されているそうですが、これは最近まで知らず、仙台時代にも行っておりません。
|
|
セガレは、泊まりがけで単身テツ旅に出かけていきました。「戦闘報告」の方は、帰ってきてから、ヤツに任せる事にしましょう。
さて、我が家の「テツの系譜」を語る時、忘れてはならないのが私の父(セガレにとっては祖父)である「辻堂の爺様」です。現在80歳を過ぎて健在、ガチンコのテツでは無いのですが、私も弟も、幼少期にはそれなりの「薫陶?」を受けた結果が、その子供らを含めた今日の姿です。
良いカメラもフィルムも無い時代に撮影した、ある意味「ブッ飛びもン」の写真が、数少ないとは言え存在し、これから、月1回、その「偉業」?をご紹介いたします。
まずは………
もう、何も言うことはない、C622の東海道現役時代!京都駅、という以外詳細は不明ですが、小生の生まれる前であることは確か。続いて……
これもスゴい、C59の牽く「さくら」。隣の客車、「スロハフ30」などという合造2・3等車。所属を車体番号の上に書いてあるのも、時代を感じさせます。
残念ながら、「さくら」には展望車は付いていなかったようで。
爺様にしてみたら、気まぐれに撮ったかどうか知りませんが、やっぱり、日常の活動は重要ですね、ハイ……
|


