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ポーランド旅行のデジブックを公開しました。 |
信仰厚いポーランド
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お隣の国ポーランドへ行ってきました。
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旧市街に向かう途中立ち寄ったのが、ここ マリア・スクウォドフスカ=キュリー博物館です。 私が子供のころキュリー夫人の伝記を読みました。 もしかしたら初めて読んだ伝記だったかもしれません。 非常に印象に残って、感想文も書いた記憶が・・・・ その後、「キュリー」という単位を持つ物質関係を学び、仕事をするとは思ってもいませんでした。 その知識はすっかり錆びついておりますが・・・・ この建物はキュリー夫人の生家だそうです。 内部は撮影禁止だったため、写真はありません。 写真や実験器具などが展示されているこじんまりした博物館です。
このとき、私たち家族以外の入場者はいませんでした。 私たちにとっては非常に興味深い展示でした。 |
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ワルシャワ二日目。 トラムに乗って お出かけです。 きれいに復興された旧市内の外側。 以前も記事にしましたが、こんな建物もまだあります。 いろいろな思いを抱きながら、私たちは「ワルシャワ蜂起記念碑」へ向かいます。 記念碑が見えてきました。 近くに行ってみます。 軍人ではなく、一般市民が武器をとって戦ったことが、 この像を見るとわかりますね。 そして、この表情。 なんて暗いのでしょう・・・ 右端はカトリックの司祭でしょうね。 何とも言えない暗く悲しげな表情です。 ワルシャワ蜂起Wikiより
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衛兵交代を見た後、公園に戻ると、 わが子たちは遊具で遊びまくっておりました。 この状態では、ここから離れるわけがありません。 主人が子供をここで見ていることにして、 私は旧市街へお散歩に出かけることにしました。 途中の教会前広場の聖母子 大きな通りにそってしばらく歩くと旧市街の入口前広場に出ました。 ワルシャワ旧市街は第2次世界大戦でドイツ軍による爆撃を受けました。 廃墟となった街を今のように再建するのは本当に大変だったと思います。 旧市街にはワルシャワの司教座聖堂(カテドラル)があります。 私はしばらくカテドラルで祈りの時を持ちました。 そして、この日は土曜日だったので、 夕方を待って翌日の主日のミサ(土曜日夕方のミサは翌日のミサとなる)に与りました。 びっくりしたのは・・・・・ 私はミサが始まるだいぶ前から聖堂にいたのですが、 ミサの時間より前にどこからかオルガンの音が聞こえてきました。 なんだか聖歌を歌っているような・・・ 外に出てみると、大聖堂のすぐ隣(本当に隣。道路もはさんでいません)に これまた教会があってこちらではミサが始まっていたのです。 会衆も大勢います。満員御礼・・・ いやいや、まもなくカテドラルでもミサが始まるというのに、 お隣でもミサですか〜 カテドラルのミサの前に聖体賛美式がありました。 ラテン語のタントゥムエルゴが良かったですね。 で、オルガンバッハの「Ein feste Burg ist unser Gott」を弾いておりました。 これって・・・宗教改革の象徴ともいえるコラールです。 カトリック教会で宗教改革・・・開かれた教会ですわね。 ミサのことはまた別の記事にしますね。 ミサの後はライトアップされた街を眺めつつ、 街のちいさなお店で食料を買い(これがすごく安かったです〜〜) ホテルへ戻りました。 ホテルのテレビでは日本語放送が入っていたので
たいして興味のある番組ではなかったのですが(懐メロっぽかった) 日本語に飢えていたのでかけっぱなしにしていました(笑) |
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文化科学宮殿から旧市街に向かう途中、 「サスキ公園」という大きな公園があります。 ここで、子どもたちは遊具を見つけ・・ 結局彼らはここで遊び始めてしまいました(苦笑) 地球の歩き方を見てみると、 この公園はアウグスト2世が作ったようですね。 このアウグスト2世って、ドイツのザクセン選帝侯だった人???? と思い、Wikiでみてみたら、やはりそうでした。 ザクセン選帝侯としてはフリードリヒ・アウグスト1世だそうです。 あ、この人、ポーランドを手に入れるために、 プロテスタントからカトリックに改宗した王様だ!!! 旅を振り返ってみると、いろんな新しい発見があるものですね。 話がそれました・・・・ この公園には無名戦士の墓があります。 この中には永遠の炎が燃えています。 後ろから見たところ。 この日は何かのセレモニーがあったようで、 ワルシャワの司教(大司教か補佐司教かはわかりませんでした)もいらっしゃいました。 そのあと衛兵交代がありました。
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