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◇◇ 古仁屋港から水中散歩に 珊瑚礁とお魚達はきれいでした ◇◇
翌朝ホテルから古仁屋港へ。朝の雨も辛うじて少し止み、デイゴの花咲く、奄美大島の南端で
加計呂麻島を前にした大島海峡の中心の港でもあります。とはいえ、この町は瀬戸内町の中心ですが、
人口約5600人。それも、加計呂麻島やその先の2つの島の人口を合わせてだそうです。
それはともかく、その港から半潜水式の船に乗り珊瑚礁の見物です。約15分ほど乗ると船下の
ガラス張りの船倉に案内され降ります。ガラスの外側には、珊瑚礁が続き、その周辺で泳ぐ魚達。
珊瑚礁自体は、少し茶色っぽいものが多く、緑や赤いものもうごめいています。そして泳ぐ魚達も
黒いメジナや鯛、色鮮やかなトロピカルフィッシュが群れたり、2〜3匹で泳いだり。ウニやサザエや
私は気がつきませんでしたが、イカもいたようです。セブ島にダイビングを誘われたりしていますが、
国内でも、沖縄を初め、十分楽しめるところがあるのだと思ってしまいました。
◇◇ 約1時間の水中散歩から、海上タクシーで太平洋戦争の名残の加計呂麻島へ ◇◇
水中散歩から古仁屋港に戻ると、今度は海上タクシーに乗り、加計呂麻島へ向かいます。
海上タクシーは、定期船もあればチャ−ターのように利用することもあります。私たちは、団体なので
チャーターでの利用です。途中本マグロの養殖場の脇を通り、いよいよ島に上陸です。が、
呑の浦は桟橋ではなく、船で直接岸に乗り付け、船から飛び降りました。何故こんなところなのか。
島の木々に覆われた側面にいくつもの穴が空き、そこには太平洋戦争の末期に非常手段で開発された、
人間魚雷船が隠されていたのです。先年映画化された 「死の棘」(島尾敏雄著)の際に再現された
人間魚雷船の「特攻艇震洋」が1カ所におかれ、更にその先に歩くと、当時震洋特攻隊隊長として
結局人間魚雷船が発進しないうちに終戦を迎えることになり、その当時の体験を下に小説等を
書き記した、島尾敏雄の文学碑がありました。横浜生まれの氏が赴任し、終戦後も生活の場として
選び、住み着いた島、加計呂麻島。また、島の女性とのロマンス等ももの悲しく聞かされました。
というのも、結婚し子供を設けたものの氏が先立ち、妻は生涯喪服と覚しき服装で最近没するまで
過ごしたとのことです。
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船の底からみる海中はほんと綺麗ですね。サンゴがたくさんあって、魚のたくさん泳いでいました。きっとダイビングをされる方には珍しい光景ではないでしょうが、そうでなければなかなか見ることは出来ないですよね。島尾敏雄とこの島が関係のある事はここへ行って初めてしりましたし、陸地が入りこんでいるこの島は船を隠すには絶好の場所だったのでしょうね。
2007/6/9(土) 午後 1:37 [ ten*im*77 ]
干潮で見える珊瑚礁は、土色をしているものが多く、きれいには見えませんでしたが、半潜水船の水中散歩はきれいでした。きっとダイビングをするともっときれいなんでしょうね。加計呂麻島は、島尾敏雄や太平洋戦争のエピソードでもの悲しく感じましたが、自然と共にある島の人の生活は質素で、淡々とした感じですね。
2007/6/11(月) 午後 0:51 [ ech*g*59 ]