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東北の支援活動から2年、被災地のことを忘れないことが大事
おはようございます。今朝は、だいぶ冷え込みました。早朝ウォーキングは、汗があまり出ませんでした。手袋をしていたのですが、指先が冷たかったです。
さて、昨日の午前中に、地元婦人会総会で東日本大震災の支援活動について話したのですが、話しながら震災直後に訪れた福島県相馬市の避難所のことを思い出していました。
体育館に、約250人の方々が寝起きを共にしておられました。今朝も東北では、氷点下の地域もあったようで、私が被災地を訪ねたのは、4月5日でしたから、もっと冷えていたように思います。道路沿いの陰には、雪も残っている時期で、体育館の暖房が11時くらいになると切られるのですが、しんしんと冷え込んだのを思い出します。
先週、リサイクルブック店で見つけた、テレビ番組「ガイアの夜明け」をまとめた本に、東北の震災後の日本の復興についてまとめた本があり、購入し読み始めた。本の末尾に書かれていた、石巻市の避難所から、新入社員として通う19才の女性生活が取り上げられていた。
その様子と、私が2晩お世話になった相馬市の向陽中学の体育館の様子が、オーバーラップして、胸が締め付けられる思いになりました。
本には、女川町で唯一残った水産加工会社に、就職内定が決まっていた。他の水産会社が流されたり、廃業していたので、てっきり女性の内定先もなくなったと思っていたら、その加工会社の蒲鉾が、石巻市の避難所に届いた。「やっている」と思い、連絡をすると4月から、来るように言われたそうだ。
当時は、鉄道が動いていなかったので、毎日母親が送り迎えをしたそうだ。毎日、仕事を終えて避難所に帰ってくる、「ただいま、帰りました」と、避難所の高校の体育館に入ってくる。「お姉ちゃん、お帰りなさい」と、体育館で遊んでいた女の子から元気な声が返ってきた。
ところが、6月1日、突然に会社までは行き着いたが具合を悪くして、動けなくなった。原因は、食事だった。避難所に支給されるのは、支援物資のパンやレトルト食品等が多く、栄養バランス悪く、加えて採用してもらって頑張りすぎること、家族を支えたい気持もあり、避難所生活の環境もあり、体調不良になった。
就職できたことを母親は、「初めて働いている姿を見てぐっときますよね。命あってよかったな、って思いますね」、またその女性は地元で働くことを選んだ。社会人と働き始めて、「被害を受けた町を見ていると抜け出したいな、という気持がありますが、周りの被災した人たちも復興に向けて頑張っているので、私も頑張っていきたい気持でいっぱいです。逃げたくはない」と気持を新たにしたそうだ。
2ヶ月後に体調不良になった。体育館での避難所生活の厳しさ、地域のために頑張ろうと気持を持ち働く姿は、体育館で同居する皆さんを、勇気づけたかったのだと思います。期待が大きいからこそ、人は窮地から立ち上がることが出来るのだと思います。
あれから2年の歳月が過ぎました。テレビ報道を見る限り、まだまだ復旧作業の段階で、復興と言えるほどの動きが伝わって来ない。特に原発事故の避難者の苦労を考えると、たまらなく悔しさが込み上げてくる。早く、東北の方々が、復興を感じられるような時代を迎えられるように、祈るばかりです。
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最近、僕が感じてるのは
大きく2つにわかれていると思います。
「全く関心のない人」と「関心を深めている人」とに・・。
どうして、そういう事になるのか・・。
それは、やはり「被災地を自分の目で見たか」って事に外ならないと思います。僕は、初めて被災地を訪ねて来た人に決まっていう言葉があります。
「シッカリ見てください 出来るなら被災者の話を聴いてください 必ず何かを気づくはずですから自分で感じてください。」 そして、「感じた事をありのままを多くの人に伝えて欲しいのです。」と・・。
まあ、言わなくても、感じると思います。
そして、その延長線上には・・・。国家、政府、政治、官僚、マスメディアなどなどの問題点が必ず見えて来ると思うのです。
僕も言いたい事を吐き出して・・。なんだか、頭がスッキリしました。
みんなで、握手した手が暖かく感じました。そして、固く握って頂きました。
それは、とても心強く感じました。
田野畑のような交通の不便なところまで、遠路はるばる来て頂き、とてもありがたいことです。
そして、「絆という言葉」は決して、死語ではないと感じたのです。
2013/5/4(土) 午前 8:58
TBしていきますね。
2013/5/4(土) 午前 8:59