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秋月辰一郎(あきづき・たついちろう)さん 1916年〜2005年。長崎市万才町生まれ。当時の浦上第一病院医長。'52年に聖フランシスコ病院医長、'86年顧問。爆心地から1.4kmで被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。吉川英治文化賞、ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他。著書に長崎原爆記、死の同心円。 1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被曝した。 博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある) さらに博士は、次のように職員に命令したという。 「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」(秋月辰一郎著「死の同心円−長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版) 「放射線宿酔」と呼ばれる。レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。みそ汁の具は、カボチャであった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。 すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。 詳細は以下を参照してください。 |
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東電の管理職に読んで聞かせたい文章です。これほど大企業の非人間的態度には呆れかえっています。怒りましょう!!
2011/4/3(日) 午後 8:57 [ yuu*a2*miki** ]
mikiko様
この記事を見つけたときはびっくりしました。
まさか被爆しても食事で放射線の影響から免れることができるとは知りませんでした。
日本古来の食事の力はすごいですね。
2011/4/3(日) 午後 9:02 [ ecm2000s ]
東京電力の原子力発電所の現場作業員に、そのようなお食事を提供すればよかったのに…
無責任! 東京電力!!!
ちなみに今のの作業員の待遇は…
◎一日12時間労働(交代制)
◎食事は一日2回。朝食は非常食用ビスケットと紙パックに入った、
冷たいままの野菜ジュース…
これじゃ、作業員は癌になる前に「慢性放射線宿酔」、俗に言う原爆ブラブラ病で、働けなくなりますよ!食事代を浮かし、労働条件を厳しくして乗り切ったところで、労働力にはならない、就労どころか身の周りのことすらできない、「生活保護申請者」が増えるだけです!
体内被曝予防の食材についての拙記事をトラックバックします。
2011/4/3(日) 午後 9:54
暖かいお味噌汁は、体内被曝の被害を予防には欠かせないお料理です。野菜をたっぷり入れれば食物繊維を通じて放射性物質を排出できるし、もちろん味噌汁そのものが、塩分・タンパク質・発酵食品ゆえの免疫力強化につながるし…何より「暖かい食べ物」のほうが、代謝を活発にするし…
2011/4/3(日) 午後 10:04
秋月氏のとっさの判断!驚きですね。
2011/4/4(月) 午後 5:42 [ 琵琶 ]
シマウマ様
トラックバックありがとうございます。
こんな大事なことが意外に知られていないのは、広島と長崎の問題と考えて、私たちの問題だと考えてこなかったからでしょうね?
2011/4/4(月) 午後 7:05 [ ecm2000s ]
琵琶様
医者もセンスと応用力がなければなりません。
助かる命も助からなくなります。
2011/4/4(月) 午後 7:06 [ ecm2000s ]
新陳代謝をよくする事によって放射性物質を体外に排除する事が再的の方法ですね、放射能被爆の体外排除の最も有効な方法ですね。
2011/4/9(土) 午前 10:31 [ 婆娑羅 ]