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いつかは紹介したいと思ったフジコ・ヘミングです。 彼女のピアノ演奏をテレビで観た時に、変わった演奏をする人だと思いました。 それがその時の印象でした。 「ラ・カンパネラ」の演奏が普通の奏者とはまったく違った。 この曲を演奏するピアニストは、ほとんどが曲にとりつかれたような演奏をします。 正確で粒の揃った音で一気に弾き切る演奏が多い。曲がそうさせるのでしょう。 わかりやすく言えば、曲を表現するために演奏者がいるということです。 辻井伸行さんの演奏がそれです。見事な演奏です。 「ラ・カンパネラ」らしく実に華やかに曲を演奏してます。 この演奏は本当に感動モノです。 辻井伸行 Liszt Paganini Etude No.3, ラ・カンパネラ 2009 Van Cliburn International http://www.youtube.com/watch?v=v9fo3FoHDBc ところがフジコの演奏はまったく違ったアプローチです。 「ラ・カンパネラ」を「ラ・カンパネラ」らしく演奏しないのです。 つまり、とりつかれた演奏ではないのです。 フジコにとっての演奏は自分を表現する手段なのでしょう。 自分を表現するために曲がある。そんな演奏です。 演奏の特徴は曲中の「間」のとり方です。フッと音が消えた瞬間、次の音が出るまでの「間」が何とも不思議な感覚を感じます。 言い換えれば「間」を聞かせる演奏です。 かつて生演奏を聞いたことがありますが、ショパンを弾いてもベートーベンを弾いてもそうでした。 きっちりした演奏ではなく、例えれば演歌風、お酒を一杯ひっかけての演奏、そんな風に聴こえました。全ての演奏がフジコ流になるのです。 フジコ流の中にあるものはかつての自分の苦労した姿や悲しみが込められているのでしょう。 曲を演奏するのではなく、曲を通してフジコ自身を演奏している。 こういう演奏家は世界を見ても少ないと思います。 フジコによる「ラ・カンパネラ」を聴いてください。
「ラ・カンパネラ」ではなく、見事にフジコを演奏し切っています。 Ingrid Fujiko Hemming - La Campanella http://www.youtube.com/watch?v=xNzzF0M5hB0 |

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