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明日で母が旅立って49日を迎えようとしています。 最後の一日の事を残したいとずっと思っていましたが、 なかなか書けずにいましたが、49日をメドに実家生活も 終わるという自分の中での区切りをつけようと、今日記そうと思います。 ただ、生生しい表現があると思いますので・・・・後了承ください。 前日(H18.12/26)私が夕方帰ってから姉が病院に。 メールで「安定しています」という報告だった。 朝9時半、義母さんから電話があって、 「12時にricoを預かる約束していたけど、13時でもいいね?」と 母も安定しているんで13時でいいですよ、と電話を切った。 掃除も終わって、最近は病院にずっといるのでちょっと横にでも なろうかなと、枕を取りにいった。 10時10分頃 横になろうかなぁ〜と思っていたら電話が! 病院からだ! 「毎日10時頃見えられるのでお待ちしていたけど、見えられないので電話しました。 脈が振れなくて、呼吸数も減っています、すぐ来てください!」 すぐに枕を直した。義母さんはもう買い物に出かけていて連絡が取れない。 とりあえず、ricoを連れて病院に向かった。 病室に着いたら、担当看護師のFさんがずっとそばにいてくれていた。 私 「おはよう! きつかけど頑張ろうね!!、おはよう!」 母 「お、、、、はよ、、、う」 朝一番のラウンドの時に返事をしていらい意識がなかったらしいが、 私が声をかけたらおはようといってくれた。 私 「ricoも連れてきたよ!!おはようて! rico 「ばぁば、おはよう!」 母 「お、、、、はよ、、、う」 これが最後の会話だった、、、、 すぐに姉が来た。でももう意識もうろう。 呼吸がきつそうだ。 Fさん 「元気ならば、今日はお風呂の日やったとよ」 私、姉 「お風呂大好きなのにねぇ。入浴させるのは無理ですよね」 Fさん 「多分、呼吸が止まるんでは、、、、」 お昼ごはんも母のが運ばれてきたけど、もちろん無理。 水分も呼吸がきついので、綿花で唇をぬらす程度でと言われた。 13時になったのでとりあえず、ricoを義母さんにお預けに行った。 その後、姉とお風呂の件について話し合った。 入院してからというもの母の楽しみはお風呂 認知症で訳のわからない事をいっていたけど、入浴日の日は 「今日はお風呂にはいった!!!気持ちよかった」と かなりご機嫌だった。 最後にお風呂にいれてあげたい!!! 師長さんに相談してみた。 「そういう人もいらっしゃるよ。家族がそうしてあげたいなら、こちらも協力するよ」 二人で出した結論は お風呂にいれないで看取った場合は「お風呂にいれてあげたかったね」と後悔するかも お風呂にいれてあげた場合は、そこで母の一生に終止符がうたれるかもしれないけど 私達は後悔しない!このままいつ停止するかもしれない呼吸を部屋でずーっと待っている 状態は、死ぬをの待っている状態と同じ気がする。 呼吸が停止するかもしれないけど、お風呂にいれてあげよう!! その結論を担当のFさんに伝えた。 Fさんはあまり乗る気ではなかった。でも家族の意向ということで許可がでた。 15時過ぎ。 リフト式浴槽の準備が整って、いざお風呂へ! 家族のかたも一緒にということだったので 医師と看護師3人、と私たち姉妹でお風呂場に。 部屋からお風呂場にいくときに呼吸器を外した。 その後、服を脱がせたりしていたら、もう呼吸が・・・・ 医師 「このまま、安らかにいかれるのを待って、看取ってからお風呂にいれてあげられたらいかがですか?」 そうよね、今無理にいれないで、看取ってからゆっくりでもいいよね。 15時53分、母は息を引き取った。 その後、看護師と一緒に、体を洗ってあげて、体を拭いてあげて、化粧をして 着物の着付けをしてお風呂をでた。 お風呂場にいったとき母は生きていたけど・・・・ 夕方仮通夜をということだったのでバタバタ病院を後にした。 今思っても、お風呂にいれてよかったと思う。 残酷よね、と思う人もいるとは思う。 これは緩和ケア病棟だったから出来た事であるし、 私たち姉妹だから出来た選択かもしれない。 そいぎっ!! |
緩和ケア
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皆さんに暖かいコメントを沢山頂いて、なんとか初七日を無事終えることができました。 本当にありがとうございます。 追々、この一週間のことなどをUPしていきたいと思っています。 snowサン お母さんは元気に新年を迎えられたでしょうか?家の母は無理でしたが 紅白が放送されているときは家に帰ってきてるかなァと思って位牌と一緒に見ていました。 白組が勝ったみたいで森進一ファンの母は喜んでいると思います。 おととサン 頭ナデナデ、おととさんのかわりにricoからしてもらいました。 実の母にはもう甘えることが出来ないので義母に今度から甘えちゃおうと 前向きに思っています。 ダナエサン 闘病生活9ヶ月の中でもっとしてあげられることはなかったかなと、今でも思います。 しかし衰えている母を見ていると安らかに・・・と考えるのが精一杯の気持ちでした。 かなりボケてはいましたがricoの事は気にかけてくれていたのだけは私のこれからの 支えになると思います。 ターボママサン 今まで相談ごとやアドバイスには大変助けていただきました。 ターボママさんに出会えていなかったら、緩和ケアについてここまで理解できていない と思います。「ありがとう」って言葉、最後にいえませんでした。 でも後悔はありません。お互いに心で伝わっていたと思っています。 SHINAサン 毎日忙しい日も必ずコメント入れていてくれて、ありがとう。 パソコンを開くのは私の楽しみでもありました。 これからもお母さんといっぱい楽しんでくださいね。 ひよこサン 今思えば、「年を越す」というのになんでこだわっていたのかと。 私自身の都合だったのかと反省しています。 しかし母はクリスマスと大晦日の間に旅立ちました。 これは母の最後の子孝行だったのかなぁと思っています。 ひろひろサン お母さんのこともまだ落ち着いていないのにコメントありがとう。 最後に母の言葉を聞くことができ、そして立ち会うことができた私は 母を笑顔で見送る事ができました。 haruちゃん なるべく後悔したくなかったので熊本を離れてこちらに帰ってきました。 今思えば無謀だったかもしれないけど、いいきっかけだったかもなとも思っています。 結婚式が終わったら早く孫の顔をご両親に見せてあげてね。 ゆきママサン ricoがいたので母の病気も、看病もなんとか成し遂げたと思っています。 落ち着いたらricoにも兄弟をと考えています。 nobulbサン 母は亡くなってしまいましたが、まだ朝でも「おはよう」って言うんではないかと 錯覚しています。しかしこの家ももう出て行かなくてはいけません。 母の思い出が消えいくのは残念ですがこれも現実ですよね。 azukiサン 自分なりに納得できたと思っていますが、落ち着いたら「緩和ケア」の書庫を 読み直したいなぁと思っています。 kenjiサン 早くにお父様を亡くされていたんですね。ricoにはおばあちゃんが、私には母が いなくなってしまいましたが、その分義母に甘えたり私が手助けしたりこれからは 今まで以上にやっていけたらと思っています。 masaサン コメントありがとう。 ここ一週間、音楽を聴くことさえ忘れていましたが、久々に耳にしたら やっぱり音楽って生活に必要なものですね。 MARIKOサン 緩和ケアに出会えていなければここまで母の病気、病状を受け入れることが出来なかったと 思います。これからも少しでも緩和ケアのよさを伝えていけたらいいなと思っています。 maikoingサン 少しでもお役に立てたと言われて私も「緩和ケア」の記事を書いていてよかったと思います。 「緩和ケア」にお世話になることがないに越したことはないのですが、 もし必要になったら思い出してあげてください。母も喜ぶと思います。 おとぼけ女医サン 私と姉二人での看護できたけど、お互い倒れることもなく看取ることができました。 まだまだやる事はいっぱいですがなんとは乗り切れそうです。 YUNママサン お気持ち、察します。でもコメントを残して頂いて感謝です。 今年もいろいろ大変だと思うけど後悔しない看護で頑張ってね! 母は逝ってしまいましたがまだまだ緩和ケアについて伝えきれてないこともあると 思います。 皆さんの近くで「緩和ケア」って言葉を耳にされたら 「緩和ケア」って治療で疲れた心と体を癒しにいくところだよ! って伝えていただけたら幸いです。 私の母は緩和ケア病棟で亡くなりました。 しかし、緩和ケア病棟は決して死に場所ではありません。 このことが少しでも理解してもらえたら母も天国で喜んでくれると思います。 支離滅裂で文章のつじつまが合わない点があるとは思いますがあしからず・・・ そいぎっ!!
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午後3時53分、旅立ちました。 |
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電話がかかってきた。脈がふれない… |
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今日もricoが早く寝た。 |




