農民芸術学校ブログ

剣を犂に! 武器を楽器に! 鍬で大地を耕し、ヴァイオリンで心を耕す、世界平和のための学校を創りたい

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6月4日(土)、小樽市都通りアーケードにて毎週土曜開催の「しりべしなんでも百姓くらぶ」の無農薬野菜市に参加後、余市町中央公民館にて、脱原発講演会第2弾。まず福島の学校における状況を取材したTV録画を少し見ていただいた後、福島の学校における年間被曝20mSv許容基準を撤回させようと、文科省の役人に対して2度にわたり度迫力の追及を行った佐藤幸子さんによる講演。http://www.ustream.tv/recorded/14169488  
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幸子さんは、5人のお子さんを育てた農家のおかあさん。福島県川俣町で「やまなみ農場」を営み、チェルノブイリ事故をきっかけに有機農業に転換、さらに自然農に深化させて稲作、野菜栽培、養鶏を行い、全国の「自然農」実践者の間では知らぬ者のないほどの有名人。
詳しくは、共著「自然農への道」(創森社 2005)をご覧ください。http://www.soshinsha-pub.com/s-191.html
 この余市にも、自然卵養鶏会の招きで1度来ており、北海道は今回が3度目。妹が札幌に住んでおり、山形に疎開しなかなか会えない下の二人の子どもと共に来道し2泊3日で岩内・余市・札幌での3講演をこなすハードスケジュール。余市では前回の講演会参加者にも案内を出し、約80名出席。当日直前に開催された原発反対の声を上げにくい泊原発お膝元の岩内でも、約70名ほど参加とのこと。

幸子さんは、全国から自然農を目指す研修生を受け入れ、最近は「自然農自給生活学校」を立ち上げ、衣食住の自給はもとより、医療、教育、エネルギーの自給も目指し、バイオガス・プラントも自作。6年前からNPO「青い空」という福祉法人を作り、自らヘルパーとして働き、共働福祉農園も営んできた。
そこに今回の原発事故が起こった。苦労して安全な作物を消費者に届け、豊かな自給生活を実現していたところに放射能災害が襲い、今までの苦労が水の泡となり農業を続けることが不可能になった。一般の市場流通でも風評被害があるが、出荷できない場合は補償される。しかし、安全・安心を売りにしてきた有機の流通では、福島県産のものは真っ先に切られ、補償も皆無。市場では風評被害をはねのけようと放射能測定で基準をクリアしたものを流通させているが、国は今回の事故で基準を上げるなど、とんでもないことをやっている。学校における被爆線量も、未成年の就労を禁じた放射線管理区域より高い数値で許容し、およそ国民の生命を守ろうという考えはない。子どもたちが10年後にガンになるリスクを減らすより、避難による混乱を避け責任を逃れようとしている。しかし、逆に一層の混乱を招き、離婚してでも子どもを連れて県外に脱出するなど、家庭崩壊という直ちに出る被害を招いているのが現実。

幸子さんは、13歳と17歳の下の2人の子どもを3月13日に山形の自然農の仲間のところに避難させた。1か月以上たって14日には極めて高濃度の放射能が降り注いでいたことが分かり、間一髪で子ども達を助けた。自らは福島市に避難し、「原発震災復興・福島会議」、「福島子どものいのちを守る会」を立ち上げ、どちらも代表を務め、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」世話人にもなり、2度にわたり文科省や原子力安全保安院の職員と直接交渉に臨み、彼らの無責任で曖昧な言動を追及し、矛盾を突いた。その間にも、自らの農場には何度か鶏のエサをやるため戻った。放射性セシウムはカルシウムと似た働きをするので卵の殻だけに取り込まれ、卵の中身の放射能のレベルは低いことがわかったが、鶏たちを飼い続けることはできず、泣く泣く処分せざるを得なかった。

今まで反原発運動をやってきた人たちは、主に県外から環境のよい福島へと移住してきた人たちで、真っ先に県外に避難し、残った福島県民には何の情報も与えられなかった。停電でテレビも見られないし、ラジオだけが情報源だったが、「車で避難しないように」という放送しか流されなかった。そのような状況の中で福島県は、放射能は年間100mSv浴びても妊婦も幼児も全然問題ないという長崎大学の山下俊一教授などを招き、県内各地で安全キャンペーンを大々的に行い、広報も山下教授の安全宣言を掲載した。残った県民には、逃げた反原発派の人たちは故郷への愛着がなかったのであり、県も国も大丈夫と言っているのに放射能のことを危ないと言うのはおかしいというような風潮を作り上げた。
山下教授は「安全ではなく安心と言っている」と暴言を放ち、それでも心配ならば、勝手にお逃げなさいということらしい。放射能のデータを取ることが仕事で、自分の言葉に責任をとるつもりはないらしい。

 そんな状況下で放射能の危険を訴えるのは大変なことであるが、少しずつであるが段々と理解されるようになってきた。しかし、原発推進派の人たちはお金もらって大々的にキャンペーンをやっているが、こちらは他の仕事もやりながら時間と体を削って危険を訴えているので、とても疲れてしまう。国内のメディアは、やっと少しまともにとりあげてくれるようになったが、海外のメディアからは最初から取材攻勢を受けて、それはそれで大変。

放射能の影響でガンになるのは何年も何十年も先のことだが、健康被害はもう出ており、鼻血、下痢、だるさ、ひりひりする感じ、そして幸子さん自身も最近は発疹が出るとのこと。「直ちに健康に影響はない」などとよく言ったもの。いずれガンのような病気になった場合、その原因をはっきりさせなければならないので、市民の手で「生活手帳」(「被爆者手帳」という名前では受けいれられにくいのでその名に決定)を作成し、3.11以降にどこで何をしていたか、体調がどうかなどを記録するようにしたいと計画。

福島県には、学校の放射能をちゃんと測定するように要請したが、驚くことに県はガイガーカウンター1つさえ持っていなかった。佐藤幸子さんは、α、β、γ線のほかシーベルトとcpmまで測定できる優れたガイガーカウンターを入手し、校庭の地表1cmでの測定(政府による発表値は地上1m)を試みた。自分の子どもの学校で毎時67μSv、近くの2つの学校はもっとずっと高かった。校庭の表土3cmを削り取ると、4.1μSvが1.9μSvまで低下。しかし高い放射能を持った表土を持っていく場所がなく、校庭の片隅にうず高く積まれたまま。この原発事故で、放射能被害を防ぐためにヨウ素剤を飲ませたのは三春町のみ。他の市町村では何の対策もとられなかった。どれだけ県民が被曝しているのか全く分からない。今後40万人の県民が放射能によりガンになると推定する学者もいる。内部被曝を測定するホールボディカウンターも、福島医大の1台が使えるのみだったが一般市民の測定は拒否された。原発のある双葉町にあった従業員用のホールボディカウンター2台を何とか持ち出して使えるようにしたが、測定データを本人に公表することを拒否されたまま。

農地は、どのようにしたら、また使えるのか。微生物による浄化も、EM菌より何倍か強力な菌があり、アジア学院で試験中。微生物によって放射性元素がなくなるわけではないが、それを包み込んで不活性化するのではないかと言われる。菜の花、ひまわりなどがセシウムを効果的に吸収すると言われるが、それほど多く吸収せず、ヒユ科植物が一番吸収するので雑穀のアマランサスがいいという話もあり、それらを収穫して質量を減らし廃棄物として処分することで放射能を減らせる。それにしても低レベルになるまでには何年もかかり、栽培する人は被曝してしまう。ガンになるより先に寿命が来るような年配者が仕事を請け負う「楢山節考」の世界になる。しかし、福島県では農地より山の方が多く、そこは何十年も立ち入ることができない「風の谷のナウシカ」の世界。木を全部切ればいいという人もいるが、そんなことをしたら放射能より大変で山崩れや洪水で大災害になる。何十年か百年以上もそのままにして自然に放射能が減るのを待つしかない。

日本の他の原発の名称には大体市町村名がつくが、福島だけ県名がついている。福島には福という言葉がついているが、どこに福があったのか。フクシマは原発事故で世界に知れ渡った。フクシマのようなことを二度と起こしてはならない。この事故を教訓にして原発が世界から無くなることで、やっとフクシマは自らを犠牲にし世界に福をもたらしたことになる。
原子力がなければ電気が足りないというのはウソ。原子力がなければ、もっと自然エネルギーなどに力が注げたはず。しかし幸子さんは原子力をなくして今まで通りの生活を維持するのではなく、もっと生活をダウンさせた方がいいと考えているとのこと。

(私の記憶違いのところもあるかもしれないし、多少私の考えも加味してしまっているが、以上講演の要旨。)

講演後は、質疑応答。前回の講演会にも来てくれた大谷元町長からは、現職時代に原発問題を30km圏内の後志19町村の首長会でとり上げた時、原発で交付金をもらっている地元4町村から「交付金でも欲しいのか」と言って取りあってもらえなったという話があった。
周辺市町村の市民から反対の声を上げて行かねばならない。地元で反対の声を上げたくても上げられない人たちも、それを強く望んでいるようだ。私も余市に拠点を置く「泊原発を止める会」の代表として、そのような運動に取り組みたいという話をさせていただいた。

講演会終了後、「泊原発を止める会」の会合場所となっているコミュニティ・レストラン「余市テラス」で、佐藤幸子さんを囲む交流会が行われた。「Shut泊」を一人で立ち上げ、デモや署名も一人で始めて何千人もの声を道庁や北電に届け、海外生活数十年のネットワークを生かし世界と情報のやりとりもしている泉かおりさん、そして今回佐藤幸子さんを招いた「原発出前授業」請負人の現役高校社会科教師の川原茂雄さん、そして東北で自然農を研修中に震災に合って現在実家のある北海道で農地を探している若夫婦など、多くの人が参加。
出された料理は、今回余市に招くため企画の中心になり、この「余市テラス」で週2回働いている、2人の小さな子どもをかかえる余市の農家のおかあさん、安斎由希子さんの調理によるもの。食材は全部地元の有機農産物や山菜。卵は安斎さんの「スルジェ農園」のもの。ジャガイモは当農園「えこふぁーむ」の雪下貯蔵のメイクイーン(5月の女王)。
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この後、安斎由希子さん、後志平和運動フォーラム事務局の渡辺たけしさん、自然卵養鶏の村上さんと4人で「和香菜」というお店でさらに話をした。
平和運動フォーラムは労働組合の連合系つまり民主党系ということになるが、私は連合系(旧総評系=反原発、旧同盟系=原発推進)と共産党系が決して共闘しないことに不満をもっていることをぶつけた。とにかく反核運動(原水禁、原水協)や教職員組合(日教組、全教)においても、彼らはことごとく分裂している。学生運動(これは民主党系はなく
民青系=共産党と、新左翼系=革マル派vs中核派がそれぞれ全学連を標榜)においても、同じ目的を持ちながら、イデオロギーの違いなのか、絶対に一緒に運動をしない。共通する大きな敵と戦わなくてはならないのに、弱いもの同士がお互いを非難中傷しているようでは、目的を達することなどできるはずがない。ここは、我々市民が中心にならなければならないが、何しろ組織力がないので、どうやってネットワークを作るかが問題。
あさって、市民のネットワーク作りを始めるために、札幌に出かけることになった。
原発が動いている限り、平和な日々はやって来ない。

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