農民芸術学校ブログ

剣を犂に! 武器を楽器に! 鍬で大地を耕し、ヴァイオリンで心を耕す、世界平和のための学校を創りたい

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収穫感謝の集い

9月23日(水・秋分の日)日本キリスト教団北海教区主催の収穫感謝の集いが当園にて開催され、道内各地10数教会から50名ほどが集まりました。農場見学、農作業(ジャガイモ畑の草取り、イモ拾い)、ブドウ狩り、農園で収穫された野菜を使った料理(豚汁、ふかし芋)での昼食、野外礼拝(ぶどう果汁での愛餐も)、ドームでのコンサート(ロブさんのギターで歌、いのちの園の村上夫妻のギター弾き語りコーラス、安河内さんの伴奏で私のヴァイオリン独奏)、最後に農園の産物も販売、とても楽しく充実した一日でした。豊かな恵みの産物を与えて下さる神様、人々をぶどうの枝としてつなぐ、ぶどうの樹であるイエス様(ヨハネによる福音書第15章)に感謝です。
シルバーウィークを利用して東京から帰省中の息子と、一緒に道内旅行に来た職場の先輩たちも参加させてもらいました。
イメージ 1農村伝道の拠点である道北クリスチャンセンター(名寄市)の皆さんがスタッフとして前日から当農園の食材を収穫(ダイコン、ニンジン、ジャガイモ、ゴボウ、玉ネギ、長ネギ、カボチャ)。朝9時から納屋でカセットコンロを使って豚汁を作りました。イメージ 2

朝10時前には全道各地の教会から参加者が続々到着。余市教会、小樽公園通教会、小樽聖十字教会、札幌からは、手稲はこぶね教会、手稲富岡伝道所、北光教会、十二使徒教会、月寒教会、真駒内教会、北部教会、(他にもあったかも?)、名寄から名寄教会と道北センター、千歳教会
イメージ 12皆さん、道南から七飯教会の三浦牧師と友人のカトリックの女性も駆けつけて下さいました。当日飛び入りもあって50名を超える参加者。ちなみに私は教団ではなく聖公会ですが、余市に来た当初から教団野幌教会で毎年行われている超教派の農民キリスト者の会に参加して教団の皆様と親しくさせてもらっています。

10時から簡単に畑の説明をした後、農園ツアーをぶどうハウスから開始

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農園ツアーに引き続き11時か
ら12時まで農作業。ジャガイモ畑で背丈ほどに伸びた草(オオイヌビユ、アカザなど)を抜いてもらいました。7畝10数mほど一人でやれば何日もかかるところでしたが、さすがに50名近い人がいれば速いものです。この後私が機械でイモ掘りをし、10人くらいに掘り出したイモを収穫コンテナに拾い集めてもらい、残りの人には別区画のイモ畑の草抜きをしてもらいました。

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とても天気がよく(汗ばむくらいの陽気)、お昼も畑でい
ただきました。
えこふぁーむの野菜だけで作った(味噌と豚肉は購入)豚汁です。おにぎりは各自持参でした。
カボチャも入って黄色い豚汁でした。先月道北三愛塾(道北センターで開催)でもお会いした台湾原住民(台湾では先住民といわず、政府認定の16原住民族がいます)宣教師のディヴァン・スルクマン先生も来て下さいました。
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礼拝は昼食後おなじ場所で、富岡教会Sさんの司会、道北
センター藤吉牧師の説教、名寄教会ロブ・ウィットマー牧師のギター奏楽で行いました。こどもさんびかの収穫感謝の歌を皆で歌いました。
  

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藤吉求理子牧師が聖書のヨハネ第15章の「わたしはブド
ウの樹、あな
た方はその枝である」を読まれた後、ブドウの樹にイエスとおおぜいの人たちがつながっている絵を見せて、同じようにみんなで1本のぶどうの樹につながってみました。
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感謝礼拝の最後に、えこふぁーむの無農薬ぶどう果汁を木のお椀についで、聖餐式もどきの愛餐式。
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聖餐式はブドウ酒とたねなしパン(キリストの血と肉の象徴)をいただきますが、今回はぶどうジュースと福島のベクレルフリーのお米でつくったウエハース風の米せんべいで、カトリック風にせんべいをジュースに浸して、全員が一つのお椀から、平和を祈りながらいただきました。


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礼拝の後はドームハウスに移
動して、コンサートです。50人くらい入りました。まずはロブさんのギターで、「イエスさまといっしょ」という讃美歌をうたいましたが、収穫感謝の日にふさわしく、また先月まで30年ぶりに1年間カナダに帰っていたロブさんと今日の日にふさわしく、歌詞を変えて歌いました
1番「あそぶときも、働くときも」イエスさまと一緒
2番「食べるときも、片付ける時も」イエスさまと一緒
3番「カナダにいる時も、余市にいる時も」イエスさまと一緒


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町内「いのちの園」で羊も飼う村上浩康・由紀夫妻が、自分の農場のイモ掘りを中断してコンサートに間に合うように駆けつけてくれました。20年作りためた歌の中から、余市への想いと、様々な困難を乗り越えるために自分の支えになった歌を歌ってくれました。とても澄んだ声とギターの音色がドームに響き渡りました。


イメージ 15安河内真樹さん(小樽聖十字教会)の伴奏で、1曲目はマスネーの「タイスの瞑想曲」。オペラ「タイス」の中で、主人公の女性タイスが、今までの自分を悔いて、全てを神に捧げる決心をしたところで、ヴァイオリンとオーケストラで演奏される間奏曲です。アンダンテ・レリジオーソ、宗教的・敬虔な気持ちで演奏するようにと楽譜に書かれています。
2曲目は、非宗教的な世俗音楽のアルゼンチン・タンゴの代表作「ラ・クンパルシータ」
。最後にちょっと大曲のヴィターリ「シャコンヌ」、東京から来ていた息子に譜めくりをたのみました。アンコールに、「ユーモレスク」。

イメージ 16皆さんが帰ったあと、掘り集めたイモの収穫コンテナを軽トラックに積み納屋に運びました。まだ当日掘り終えたのは5分の1ほど、この他に2か所にイモを植えています。
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「愛農」誌(1998年)巻頭言の第6弾(最終回)は、江戸時代中期の医者(八戸にて開業)であり思想家である安藤昌益。差別のない原始農村社会を理想とし、そのような暮らしにより心身ともに健康になると説いた。東大図書館に保存されていた彼の膨大な著作は関東大震災で失なわれてしまったが、かろうじて焼失を免れた著作(漢文)は読み下し文・現代語訳と共に農文協(農村文化協会)により「安藤昌益全集」(全21巻)として出版されている。ちなみに農文協による「日本農書全集」(全72巻)は、江戸時代に全国津々浦々の民間による農業技術書を復刻出版したすばらしい出版事業であり、やはり日本は本来、世界に誇る農業国なのだということを再認識させてくれる。
 明治以降の工業化、貿易立国という歩みを全否定するつもりはないし、身分に自由がない封建社会で、度々飢饉などにも見舞われた江戸時代を理想化するつもりもないが、鎖国政策をとり300年間にわたり海外と争うこともなかった江戸時代は、ある意味では非常に優れた社会であったとも言えるだろう。当時世界で最も人口の多い都市であった江戸は、食糧を近隣の田畑で賄い、悪臭ただよっていたヨーロッパの都市と異なり人糞も肥料としてリサイクルし、炭薪の灰に至るまでリサイクルが商売として成立していたエコロジカルな大都市であり、その中で様々なすばらしい文化も育んだ。近代化が行き詰まり、少子化により人口も減少に転じた日本において、再び江戸時代に学ぶべきことも多いのではないかと思われる。
 
「自給農と差別のない世界」

自分の非を知っている者は、
直に耕し飾らずに語り、
天地と一体となって語り行動する。
だから上下の身分や
恣意的な制度は無用なのである。

  安藤昌益「統道真伝」糾聖失の巻、第十八章より
   (農文協刊、安藤昌益全集、現代語訳による)

 農業後継者のいないことが全国的に大きな問題となっているが、特にこの北海道は、本州のように兼業化して農地を守るということがまれで、農業従事者が減った分、一戸あたりの経営規模が拡大するという、国の基本法農政が唯一実現してきた土地柄である。しかし、生き残りを賭け規模拡大した農家が豊かになったかといえば、そんなことはない。大きな負債を抱えて四苦八苦している。ひとたび農産物価格が下落すると、規模の大きい農家ほど打撃も大きく、昨年などコメ農家は散々だった。

 一方、農家から放出された安い労働力は、工業の発展に大きく寄与してきたわけだが、不況の今となっては余剰な労働者人口が、行き場のない失業者を膨れ上がらせている。去るも地獄、残るも地獄という、このような状況を変えるにはどうしたらよいのか。農業人口を減らすことによって豊かになれるのだという経済原理の幻想を捨て、時代に翻弄されない自給農を基本とした生き方をすべての人がとった時に初めて、搾取のない平等で自由な社会が生まれるのだと思う。

 安藤昌益は、江戸時代中期という封建社会のまっただ中にあって、農こそ人間の生きるべき道とし、士・工・商という生き方を搾取により成り立つ誤った道として否定した世界にも類のない革命的思想家である。彼は、厳然とした固定的身分制度の時代にあって、あらゆる差別に反対している。女性の権利を主張するフェミニストであり、アイヌの先住権を擁護し、経済的理由からの朝鮮や沖縄への侵略行為を誤りとして、非武装を主張する絶対平和主義者でもあった。権力による賞罰を批判し、自治コミューンを提唱したアナーキストであり、乱開発に反対して森林保護を訴えるエコロジストであり、穀菜食を推奨するベジタリアンでもあった。まさに、現代にこそ必要な思想家である。彼の指摘した様々な問題が現代においてなお解決されず、それどころかいっそう混迷を深めていることに愕然とすると共に、彼の先見の明には驚嘆させられる。

 自らの非を知るということは、キリスト教でいうところの原罪を知るということと等しく思えるが、そのことが土を耕す行為を伴い、天地と一体化するという言い回しには、聖書的に考えても、妙に納得させられるものがある。 

(「愛農」1998年12月号)

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「百姓としての誇り」

「愛農」誌(1998年)巻頭言の第5弾は、クリスチャン詩人の八木重吉。私は小学校高学年から教会の日曜学校に通うようになり、小学6年の時のクリスマスに洗礼を受けてクリスチャンになった。中高生の頃までは、キリスト教ほどすばらしいものはないと信じていたし、遠藤周作や三浦綾子の小説に共感し、八木重吉の詩にも共鳴した。多くの人にキリストを知ってもらいたいという、福音的信仰を持っていた。しかし、大学に入ってからキリスト教に対する見方はだいぶ変わり、今の自分は、あの頃のような信仰を持っていない。というよりも、そういう福音的信仰というものを嫌うようにさえなった。あの頃の純粋だった自分を、少々恥ずかしく思ったりもするのだ。クリスチャンにも色々な人がいることを知ってしまったからかもしれない。というより、クリスチャンにありがちな選民意識というものに、嫌気がさしてしまったと言った方がよいかもしれない。自分はイエスという人物に惚れてしまったし、今でも彼のような信仰を持ちたいと強く願っているが、キリスト教を他人に薦めようという気は全くなくなってしまった。
 イエスという男も、権力をふりかざす連中のことが大嫌いで、政治家や宗教家などまっぴらごめん、さげすまれた人たちと一緒に飲み食いするのが生きがいだった、百姓のせがれに過ぎないのだ。イエスの父ヨセフは大工ということになっているが、まあ百姓と考えて間違いがない。イエスは本当にキリストなのか? ただの正直者で、不正が大嫌いな男に過ぎないのではないか。彼をキリストと信じることが、本当に救いになるのかどうか、今では全く確信が持てないでいる。そんなことより、百姓として生きることこそが、神の望まれていることであるということには、ますます確信が持てるようになってきた、この頃の自分なのである。もっとも、神が存在するかどうかには、全く確信がもてない。というより信じたい人は信じればよいし、信じたくない人は信じない方がよいと思う。私は、信じているけれど、その方が自分が幸せに生きられると思うからであって、そう思わない人には信じる必要がないだろう。

「百姓としての誇り」

なぜわたしは 民衆をうたわないか
わたしのおやじは百姓である
わたしは百姓のせがれである
白い手をしてかるがるしく
民衆をうたうことの冒涜(ぼうとく)をつよくかんずる
神をうたうがごとく
民衆をうたいうる日がきたなら
その日こそ
ひざまずいてれいかんにみちびかれてものを書こう
  (八木重吉詩稿より)


百姓という言葉は、水呑百姓とか、三反百姓、どん百姓にいたるまで、あまりよい使われ方をしない。というよりも、さげすみを含んだ、差別的な呼称として用いられてきたといってもよい。でも、愛農会は誇りをもって宣言している。

百姓は自立する
  百姓は生命を守り育む
    百姓は金にしばられない
     百姓は大地の恵みに生きる
      百姓は世界をつなぐ心となる

 なんとすばらしい言葉であろう。現代日本の暗い世相をもたらした原因は、多くの人が百姓=民衆としての生き方を失ったことにあることを思い知らされる。歴史上において常に百姓=民衆は、汗と血をにじませて大地を耕しながら、搾取され窮乏を強いられてきた。しかし、神は常にそのような民衆の側に立ち、彼らこそ幸いな者であると祝福する。それは、搾取や窮乏の現実を肯定しているのではない。彼らの生き方こそが、神の前に正しいものであると肯定しているのである。逆に、富んでいる者、つまり搾取する側の人間を、神の国にふさわしくない者として断罪する。豊かになるためといって、心や生命を犠牲にしては、何にもならないではないか。

 だから、我々は百姓であることをもっと誇るべきである。私の住む北海道の余市は、後志(しりべし)という地域にあり、数年前に有機農業をおこなう仲間で「しりべしなんでも百姓くらぶ」というグループをつくり、無農薬野菜市や、ファーマーズ・チャリティー・コンサートといったイベント活動をおこなってきた。新規就農者が中心の、ごくごく小さい集まりであるけれども、これからも百姓であることにこだわり、地の塩でありたいものだ。

 
(「愛農」1998年10月号)

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聖書の神とエコロジー

「愛農」誌(1998年)巻頭言の第4弾は、旧訳聖書の中の「コヘレトの言葉」の一節。コヘレトとは伝道者を意味するが、この書では著者自身が古代イスラエルの第3代の王であるソロモン(紀元前1000年頃)であることをほのめかしている。しかし、著者がソロモンであるという歴史学的な裏付けは全くない。「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。 」(口語訳)「コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、 すべては空しい。 」(新共同訳)で始まる、仏教にも相通じる書物。いずれにしても、選民思想が強い旧約聖書において、このような書物が存在していることは、重要である。農業というものは、ある意味で自然を支配しなければできないところがあるが、かといって自然に逆らってはいけない。そういう意味で、聖書は農業にとっても重要なことを色々教えてくれる。


「聖書の神とエコロジー」

神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ。
人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。
同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさることはない。
すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。
すべては塵から成った。
すべては塵に返る。
   (旧約聖書 コヘレトの言葉3章18〜20節/新共同訳)

 以前の翻訳で伝道の書と呼ばれていたこの書は、聖書の中では異質とも思える内容をもつ。東洋的というか、仏教的な感じさえ受ける。しかし、創世記において人間に「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と語った神と、異なる神について述べているわけではない。一見、矛盾するようであるが、神が矛盾しているのではなく、人間の理解が矛盾しているだけである。

 現代では、生物学や生態学の進展により、人間が他の生物とまったく同じ遺伝子による生物にすぎないことや、物質的には土から生まれ土に返る循環のひとつの部分にすぎないということが容易に理解され得るようになった。そして人類がその遺伝子を作り替える技術を手に入れ、その循環を断ち切る化学物質を次々に生み出している現在、我々はこのコヘレトの言葉を重く受けとめ、創世記を正しく読み直さなければならないのである。 地を従わせ、生き物すべてを支配するということは、人間が自然に逆らい自由に振る舞ってよいということでないのはもちろんだ。人類が地球環境の未来を大きく左右していることが明らかとなってきた現在、その自然環境を守り、生物を絶滅から救うのは、人類に課せられた義務と考えるべきではないだろうか。

 私も、農業の現場でその義務を果たそうと努力している。生命に貴賤はないのだから、作物に害虫がついたくらいで殺虫剤をまくようなことはできない。虫にもいくらかの分け前を与えなければならないし、殺虫剤をまかなくても天敵がいれば、ちゃんとバランスをとってくれるのに、殺虫剤は天敵をいなくしてしまう。もし殺虫剤をまかないで害虫が増えすぎたときには、栽培方法自体が自然に逆らっていたと反省するだけである。そんなわけで、今日もわが菜園にはモンシロチョウが乱舞し、ブドウ棚にはクモの巣がいっぱい、ヒヨドリの巣まである始末。でも、この農園ではたくさんの生命が輝いている。

(「愛農」1998年8月号)

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「耕すことの意味」

「愛農」誌(1998年)巻頭言の第3弾はトルストイ。20世紀初頭にクリスチャンならぬトルストイアンという信奉者を世界中に産んだラジカルな作家・思想家。彼自身はアナキストと呼ばれることを嫌ったが、平和主義的・個人主義的・宗教的アナーキズムとも言える思想、国家権力を否定し個人の自由に最高の価値を置く、現在では左派リバタリアニズムとも呼ばれるような思想である。彼の信奉者たちは、文字通り野に生き、自給自足生活を目指した。農に最高の価値を見出しつつも、日本における戦前の国体論的農本主義や、ソヴィエトのコルホーズやソホーズ、毛沢東の人民公社、ポルポトの徴農制などとは正反対に、それは個人の自由・芸術を実現するための手段としてのものであった。1960年代のベトナム反戦運動やカウンターカルチャーが産んだ自給的コミューンなども、その流れを汲むものだろう。日本でもその頃多くのコミューンが生まれ、いくつかは形を変えて現存している(島根県の弥栄之郷共同体=現やさか共同農場、北海道標津町の興農塾=現興農ファームなど)。

「耕すことの意味」

いちばんよりよい地上の勤労は、
土地を耕したり種をまいたりすることである・・・・
耕作は万人にとって本質的な仕事である。
この労苦は人々に、何よりも多くの自由と、
何よりも多くの幸福とを与える。
   トルストイ『人生の道』岩波文庫より

トルストイ思想の集大成である『人生の道』は、現代の人々にとっては、時代遅れの思想と映ることかもしれない。しかし当時、彼の思想は世界中で多くの人々に影響を与えた。例えば、日本では新しき村を創った武者小路実篤や、小作人に農場を解放した有島武郎などがそうであったし、南アフリカで共同農場を実践したインド解放の父ガンジーなども、その影響を受けている。
 しかし、このような思想は何もトルストイに始まったことではない。暴力や権力を嫌い、自由を追求する者は、いつの時代にも必然的に農に帰る道を選択した。アメリカでもトルストイ以前に、『森の生活』を記したソローがまさにそうであったし、さらに古くは江戸時代中期の安藤昌益が、人間直耕という言葉によって、その卓抜した思想を残している。大正時代には、キリスト教社会主義者であった石川三四郎が、土民生活という言葉によってその主張を行なったし、宮澤賢治が羅須地人協会を設立して農耕生活に入った動機も、同様のものであったといえるのではないか。
 「労働が区分されているのではなく、われわれ自身が幾十種類もの人間に区分されているのである」というラスキンの言葉をトルストイは引用し、「労働の分担と言われることは、無為徒食の弁護に過ぎない」とも述べている。つまり、農耕を中心とした自給生活こそが、搾取のない平等な社会を実現するということである。当時よりさらに分業化が進行している現代は、ますます人間疎外の甚だしい時代である。産業としての農に未来の見えない今こそ、自給的な農について見直すべきではないだろうか。
 自然卵養鶏を広めている中島正氏も、『みの虫革命』、『都市を滅ぼせ』などの著書で、より多く生産することの愚を主張している。搾取のない平和で自由な社会を築き、自然と調和した健康で幸福な生き方をもたらす自給農こそ、愛農精神の真髄ではなかろうか。
(「愛農」1998年6月号)

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