大人になっても、母から心無いことを言われたり、母の気遣いの無さを痛感するたび、私はひどく傷ついた。何度も何度も同じ目に遭っては母に関わるまいと決意するのに、”良い子”をやめられない。つぃ母の喜ぶことをしようとしたり、自分から関わってしまう。母が期待に応えられる人間ではないと知っているのに。どうして?
”母に、と言うよりより、そうしている自分に腹が立っている”
と、気づいたのは随分後になってから。自分が傷つくことを熟知しているに関わらず止められない。そんな自分に失望し苛立っている、と言うことに長い間気が付けなかったのは、問題が母にあるとずっと思い込んでいたからだ。幼い頃から母とは合わない、と身に沁みていたのに、頼る人も支えてくれる人もいなかった私は母に期待をしていたのだと思う。そしてその期待を捨てられなかった。
子どもだったから親に依存するのが始めからあって、成長と共に期待に変わった。私にも理想の母親像があった。よその母親と比べて、自分の母がどんなに冷たいか、何もしてくれてないか、知っていた。でも自分が働きかければ母は変わるんじゃないかって思ってた。その工夫、挑戦、試練は何十年やっても、報われなかった。母はますます自分本位でどうしようもなく、自分の力の無さを悲観したり。
けれど、その考え自体が間違いだった。母を変えることは出来ない。自分を変えなきゃ。でも当時の私は自分がどう変わればいいか解らなくて、報われない努力を続けてしまった。傷の上に傷をつけて、癒えない傷がどんどん深くなっても止められなかったのは、やっぱ救われたかったのだと思う。何もしなくても状況は変わらない。ならば、頑張って変えたい、変えねば。。。。誰でもが陥る落とし穴。
夢の中で『だからあんたが嫌いなんだ』と初めて母に叫んで飛び起きたあの日。いまでも覚えている。私自身が私に向けて初めて発信した心の声だったと思う。自分は母親が嫌い。このことに長い間蓋をしていた。「一人っ子だから・・・」と長い間周りの人から言い聞かされていた。親は何も言わないのに、一生親を見るのが自分の使命だと思っていた。PTSDと言う言葉を知った時、親を捨てる、と言う言葉をネットで見た時、衝撃が走った。
心の声を叫んだ別の自分がいる。ずっとそこに居た。本当はそこに居ることを知っていた。その環境で生き延びるため、自分を守るため、封をしていたのだと思う。理由なんてそれしか見つからない。蓋をしたことすら忘れていた。でも、気づいてから、血の涙を流していた自分を徐々に思い出す。心が痛かった。忘れていたことを猛省した。そこから、本当の自分の思いを果たそうと考え始めた。大人になったいまなら出来る。
自分の思いに気づいた私は衝撃と共に、気づけたことに安堵した。まだ間に合う、いまからでも遅くない。親を切り離して精神的に自由になる。それがどんなことか想像も出来なかった。でも、やると決めた幼い頃の自分は間違ってないと思った。自分はいつもいつの時も正しかった。それは気づくまでの数十年があったから、だからこそ信じられたし踏み出せた。
思い込んだまま数十年生きてきた自分の信念を変えるのは大変だ。自分が変わらなきゃ、の本意は自分自身は変わらなくていい。歪められ隠された自分の本心に従って考え方を戻す、と言うこと。深層心理はなかなか騙されてくれないから、本音を聴くのは難しい。自分は本当はどうしたいのか、は大事なこと。自分を大事に思えるように、日々考えてみるといいと思う。自分から自分を危険にさらさないためにもおススメしたい。
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