手をつないで歩こう

人生諦めちゃっちゃーいけないよ〜(~▽~)

メンタル本

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゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜ いろんな本を読んできました。機能不全家族やPTSD,虐待に関して私がお話しする元になっています。本のお陰で自分の意見や考えに自信を持てたり、また違った視点で物を見られるようになりました。それらを紹介していきます。まだまだ知りたいことが沢山あるので現在進行形です。あと、お役立ち図書や情報をリンク集(ヤフー以外)にも紹介しています。 参考にして下さいね。゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜
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活字が苦手な人はコミック版がいいのでは?と試しに購入〜〜。
うん、解りやすい!と言うのが第1印象(どちらも)。当事者なら
解るって、感じなので、メンタル本は何でもそうだけどイマイチと
思う方は読まなくていいと思う、本って合う人の為のだからね

色んな人の体験談があるので、とっても参考になりそうです


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こちらは、PTSDが起きて親が原因と悟り、親を切り離すまでの私に必要だった
な〜〜って本だった。ブちぎれる原因が親だと解って以来、すっとしちゃって、
切れることもなくなった。ただ、ウチの人たちは切れる私を知ってるから、その印
象が抜けずいまでもキレる人と思ってるみたいだけど、煮えたぎるような怒りは
ほんと不思議にさーっぱり無くなって、と同時に嫌いな自分がいなくなったって
感じなんですよ。その感じが解りやすく書いてあったって思った。おススメ〜


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本が読めない人でも読めるかどうか、長女に試してもらうのに購入したところで、
タイミングよく来たんで、勧めてみた。活字よりは読めそうだけど、そもそも本を
読まない人は本を手にすることが難しいみたいですが、なんとか読めそうです

モラ本

色んなことがあって、再度確認の為に取り寄せ。
必要な人に譲ってしまって手元になくって。
モラハラを知る決定本

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こちらは初。
こう言う人の心理が解らん過ぎてお勉強の為に。

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活字から離れて数年。読めないと思ってたけど
一気に読めた。必要と思うと出来るものやな
5/11 書庫を変更しました

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自分の小さな「箱」から脱出する方法(アマゾンのページに飛びます)


大人になっても、母から心無いことを言われたり、母の気遣いの無さを痛感するたび、私はひどく傷ついた。何度も何度も同じ目に遭っては母に関わるまいと決意するのに、”良い子”をやめられない。つぃ母の喜ぶことをしようとしたり、自分から関わってしまう。母が期待に応えられる人間ではないと知っているのに。どうして?

”母に、と言うよりより、そうしている自分に腹が立っている”

と、気づいたのは随分後になってから。自分が傷つくことを熟知しているに関わらず止められない。そんな自分に失望し苛立っている、と言うことに長い間気が付けなかったのは、問題が母にあるとずっと思い込んでいたからだ。幼い頃から母とは合わない、と身に沁みていたのに、頼る人も支えてくれる人もいなかった私は母に期待をしていたのだと思う。そしてその期待を捨てられなかった。

子どもだったから親に依存するのが始めからあって、成長と共に期待に変わった。私にも理想の母親像があった。よその母親と比べて、自分の母がどんなに冷たいか、何もしてくれてないか、知っていた。でも自分が働きかければ母は変わるんじゃないかって思ってた。その工夫、挑戦、試練は何十年やっても、報われなかった。母はますます自分本位でどうしようもなく、自分の力の無さを悲観したり。

けれど、その考え自体が間違いだった。母を変えることは出来ない。自分を変えなきゃ。でも当時の私は自分がどう変わればいいか解らなくて、報われない努力を続けてしまった。傷の上に傷をつけて、癒えない傷がどんどん深くなっても止められなかったのは、やっぱ救われたかったのだと思う。何もしなくても状況は変わらない。ならば、頑張って変えたい、変えねば。。。。誰でもが陥る落とし穴。

夢の中で『だからあんたが嫌いなんだ』と初めて母に叫んで飛び起きたあの日。いまでも覚えている。私自身が私に向けて初めて発信した心の声だったと思う。自分は母親が嫌い。このことに長い間蓋をしていた。「一人っ子だから・・・」と長い間周りの人から言い聞かされていた。親は何も言わないのに、一生親を見るのが自分の使命だと思っていた。PTSDと言う言葉を知った時、親を捨てる、と言う言葉をネットで見た時、衝撃が走った。

心の声を叫んだ別の自分がいる。ずっとそこに居た。本当はそこに居ることを知っていた。その環境で生き延びるため、自分を守るため、封をしていたのだと思う。理由なんてそれしか見つからない。蓋をしたことすら忘れていた。でも、気づいてから、血の涙を流していた自分を徐々に思い出す。心が痛かった。忘れていたことを猛省した。そこから、本当の自分の思いを果たそうと考え始めた。大人になったいまなら出来る。

自分の思いに気づいた私は衝撃と共に、気づけたことに安堵した。まだ間に合う、いまからでも遅くない。親を切り離して精神的に自由になる。それがどんなことか想像も出来なかった。でも、やると決めた幼い頃の自分は間違ってないと思った。自分はいつもいつの時も正しかった。それは気づくまでの数十年があったから、だからこそ信じられたし踏み出せた。

思い込んだまま数十年生きてきた自分の信念を変えるのは大変だ。自分が変わらなきゃ、の本意は自分自身は変わらなくていい。歪められ隠された自分の本心に従って考え方を戻す、と言うこと。深層心理はなかなか騙されてくれないから、本音を聴くのは難しい。自分は本当はどうしたいのか、は大事なこと。自分を大事に思えるように、日々考えてみるといいと思う。自分から自分を危険にさらさないためにもおススメしたい。

母と娘、のテーマから

5/11追記。関連あると思う書籍を紹介することにしました。

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共依存 苦しいけど、離れられない(アマゾンのページに飛びます)



今朝の朝日新聞で、声(と言うコーナー)に寄せられた投稿から母と娘の関係が取り上げられていた。このテーマは母と娘に限らず、すべての人間関係に当てはまると思っている。母と娘と言っても、血縁があってこそ繋がっているけど、それがなかったら、と考えると他人よりも希薄だと思うのだ。私の考える私と私の母の関係は特に。

つまるところ私は、長い間”子どもは母親のことが好きで当然”と言う社会的通念に苦しんだのだと思う。子どもが親を悪く言うなんて今でも共通NGやん、娘が母親を嫌うなんてあってはならないってずっと思っていて、母のこと、好きになろう好きになろう、そして、母にも好きになってもらおうと頑張ったのだと思う。

母が私に優しくなかった理由は母自身にも解らないと思う。聞いても納得のいく言葉はなかった。考えたこともなかったんだろう。私は私であの両親の子どもとして生まれたのだから仕方がない、その両親のもとで自分はどう生きるか、ってこと、幼い頃から考えていた。こんな子どもってどうなん、っていまは思えるけど、必死やったもん、日々が苦しかったから。

そんな思いを子どもにさせている事実に気づくことなく、気づこうともしなかった両親、特に母には『母』と言う称号を与えられていること自体に失望した。社会的に認められていることを覆すのはとても難しい。子どもの意見ならなおさら。そういう現実と戦いながら、あの日々だったのかと思うと、我ながら胸が痛い。

私が驚くのは、そういう関係でありながら娘たちが母に寄ろうとしているってこと。いい関係を築こうと思う人が苦しむのは解るけど、そんなに苦しんでまで?と思ってしまう。何十年も頑張ったけど自分が傷つくのは止められなかったし、親は変わらなかった事実から、私は自分に「母を諦めることを許した」と思っているからだろうか。最近何度も「自分は母を好きではなかった」ってことを確認してて、やっぱそうやなって思い直してるん。

産んでもらった恩、育ててもらった恩、てのは、親になって子どもに思ったこともないし、自分で望んで産んで、産んだからには責任があってやっていることであって、『恩』と考えること自体おかしいと思う。産んだ時に死ぬ思いをした、とかも子どもには関係ない。子どもにとって親は、産み育てる人であるとともに、『応援団』であるべきで、子どもの足を引っ張る親ってどうよ?って思う。

私は足を引っ張られたり陥れられた記憶しか残ってないんで、余計に思うのかもしれない。やりたかったけどやれなかったこと、誰しもいくつかあると思う。それって、何十年経っても残ってませんか?私は未だに夢に見ます。いまでも出来ることはいまやるけど、いまでは出来ないことはやってみることも出来ないし、一生思うのかな。前だったら出来ないこともやってみているのは、それがあるからかもしれんな。
5/11追記。関係あると思う書籍を紹介することにしました。

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親業(アマゾンのページに飛びます)


親の視点での話し。『親』って何?とずっと思っていて、親になった今も考えながら親をやっているのだけど、経済力がない子どもにとって親はスポンサーでもあるわけで、と考えた時、いつも浮かぶのは自分の親のこと。私の親は生活レベルは普通だったと思う(裕福でもないけど貧しくもないって意味)。しかも子どもが私1人だったから、生活は苦しくなかったはず。

ここで、母親が生活費を管理しているとして、その母親が何に重きを置くかで、その家の生活スタイルが決まる(よね)。それが父親の場合も然り。私は母の狭い世界観にあらゆる意味で苦しめられたなーって思う。母は余裕があっても子どもにお金をかけない部類。と、同時に、自分にもお金をかけてなかったし、父にも。じゃぁ何に?と考えると、家を建てたってのが1番。けど家を建てる人っていっぱいいるし、苦しいなら建てるなって話しやん。

見た目には満足そうな家族に見えたと思う。でも、家族の誰一人満足はしてなかったと思う。私はまずそうだったし、父も満たされてなかったと思うし、母は自身が満たされてないから、父と私から削るし。そういう時、私だったら、なんで満たされないのか、ってことを考えると思うんやけど、母はそうじゃなかった。ひたすら削るって感じ。子どもだったから言えなかったし言わなかったけど(言っても反感を買うだけ)、家族の幸福について、ちゃんと考えた方が良かったと思う。

どんな理想があったのか知らないけど、母の世界は本当に狭くて、子どもだった私でも嫌気がさすくらい狭くて、少しも理解できなかった。でも口に出せば嫌われて自分が不利になるやん、母の機嫌の良し悪しで自分が苦しいかどうかやったから、いっつもどうしたらこの状況を抜け出せるかってことばっかり考えてた。子どもの応援団であるはずの家族が頼りにならないと、子どもは生きること自体苦しい。なんで生まれて来たのか、なんでここにいるのか、意義や価値ばかり考えてた。

親ってさ、大人なのだから、子どもと自分を同じに考えては駄目やん。それが出来ん人たちやった。人として精神的に自立出来てないから、昔は子どもだって一人の人格って言っても、いまとは別の意味で「守るべき対象」と言う認識は薄かったと思う。いまでも子どもを巻き込んで当然と思う人もいるだろうけど、巻き込んでいいことと、悪いことの違いが解らないって言えばいいのかな、大人と子どもの違いを、少なくとも大人は解らないといけないと思う。

全く自分は思ってもないことでも、子どもは読み込んで悩んだり苦しんだりする。”誤解”と呼ばれるそれは、最も無駄なことと私は思っていて、なるべく解くように心掛けているけど、見えないモノやからなかなかに厄介だ。親子関係に限ったことではない、人間関係の上で最も無駄なものの一つと言っていいと思う。自分が勝手に理想とするソレを子どもに当てはめて、子どもの人生を乗っ取る親は多く居ると思う。

そのことに自分で気づけなくて、子どもに疎ましがられ、それだけならまだしも、子どもの人生を台無しにしても自分は無実の罪と認めずのうのうと親を続けている人に、私はなりたくない。子どもの為になりたいし、子どもを支える親でありたい。それと同時に自分の人生は自分で選んで歩きたいし、そのことで子どもの重荷にはなりたくない。それぞれが精神的に独立し、お互いが認め合える関係って言うんかな、そう言う家族になれるよう、いまは親を頑張っている。

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