撮りある記

やっと涼しくなりました。 これからはもっと出かけます。

山陰本線

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あさしおは82系時代のほうがよく撮影しています。 181系になってからは、1度きりです。 ただ、最後に乗車した181系特急はこの「あさしお」でした。 たしか、京都から城之崎まで、ゆっくりとのんびりとした旅をしたものでした。 そのころは、写真は休鉄でしたのでありません。

保津峡をゆく「あさしお」です。

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画像としては「おき」のほうが多いです。 行ったのは丁度、伯備電化の頃で、「やくも」が381系化されその余剰で「おき」が生まれました。 思えば、中央西線で381系に伯備を追われ、再び伯備でも381系におわれるというなんとも皮肉な運命だと思います。ただ、「おき」は6両の短編成でキサシもないという寂しい編成でした。

出雲市出発。

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ここは、有名なお立ち台です。

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田儀の海岸にて。

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保津峡1983

大学を卒業してからは、東京へ赴任したため山陰は遠くなってしまいました。 しばらくして名古屋勤務になったので久しぶりに保津峡へ出かけましたが顔ぶれはガラッと変わっていました。

当然のことながら、DF50やDD54の姿はなくDD51の天下となっており幸いなことに旧客が残っていました。

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保津峡1976

ここ最近は、休みの日は雨とかいろいろで撮影に行ってません。 10月に入って更新すらしていないですね。


DD54G山陰線で活躍していた頃は、まだまだDD51は少ないほうでしたが、DF50のスジにはDD51がかなり入っていたみたいです。特急はまだ82系が頑張っていたりしていましたね。 DD54を撮りに行った日のほかの画像をまたまたUPしちゃいます。


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「まつかぜ」か「あさしお」だと思います。


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このころの急行は多層立てでいろいろなものが併結されていた様に思いますが詳しいことはしりません。

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保津峡口のDD54

某ダイヤ情報で山陰の特集があり、それを見て保津峡に行きたくなり朝一の列車で京都に向かいました。当時は、DF50、DD54、DD51と3Lの競演があり旧客が残っておりとても楽しい線でした。 

京都から山陰線で嵯峨まで行きそこから保津峡を目指して歩き始めました。最初の狙いはDF50の客レでしたが、このスジは残念ながらDD51が入っておりギャフン。そのあと、DD54の貨物がありましたが、開けた場所がうまく見つからずにまともに撮れず撃沈となってしまいました。 そのうち、道がわからなくなり、さつえいどころではなくなってしまったのでした。 とりあえず、川沿いをあるけば馬堀に行けると思いひたすら歩きなんとか馬堀の開けた場所に夕方たどりつきました。

夕方は、客車、客車、貨物とDD54の3連発がありました。 当時から故障がちのDD54でしたから、果たして無事にやってくるかと心配でしたが、無事にDD54がやってきて無事に帰路に着くことができました。

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余部鉄橋

NEWSで余部鉄橋が架け替えられるのを見ました。ここへ写真を撮りに行ったのはたったの2回で随分前のことになります。 やはり行くのにすごく不便だったためでしょうね。

一回目は、撮影旅行ではなく友達が山陰旅行に行こうと誘われたのでした。ただどこに行くというわけでもなく、適当に友達の車に揺られてで、そこで鉄道写真も合間に撮ったわけです。 ちょうど、香住に友達の知り合いがいて、たしかそこに泊まり、丁度その前が山陰線が走っておりました。朝に、DD54の貨物列車がありそれを撮ってからどこかで追い抜いてまた撮りました。

11号機は最後まで残ったうちの最若番でした。 播但でもよく見ました。
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その後、余部に行きました。客車はDF50も残り.特急はキハ82のみの時代でした。

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