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西郷隆盛の歴史観

西郷さんについて、いささか触れてみたい。歴史上の人物に敬称をつけるのもおかしなものだが、筆者にとっては特別思い入れのある人だけにこの稿においてだけはお許し願いたい。

テレビ東京系列の番組に「開運!なんでも鑑定団」というものがある。島田紳助と石坂浩二が司会をやっているのだが、この中で静岡県熱海市在住のある方が父の入院費の足しにしたいということで、西郷隆盛の書を持ってきた。

巨目(うどめ)さぁの書っ!?(鹿児島では、西郷の特徴的だった黒ダイヤのような大きな目から親しみをこめてこう呼ぶ)。それが本物なら、筆者なら一千万円を出してでも欲しいくらいだ。残念ながらそんな大金はないが(笑)

結果は二百万円と出て、本物だと太鼓判を押された。南洲(西郷の号)の書というのは贋物が多く、南洲の書が発見されたらまず疑えというくらい美術界では常識とのことだそうだ。

で、肝心の書の内容はというと七言絶句で楠木正成を賞賛したものだった。詳細は確か、武辺知略に優れた天下無類の人だった大楠公(息子の正行<まさつら>と区別するため、こう呼ばれもする)は帝への忠孝のためあえて死地に赴き(湊川の合戦のことであろう)七生生まれ変わっても朝敵(足利尊氏のこと)を討つと誓った(実際に言ったのは弟の正季だが)。これほどの人が、今の世に果たしているだろうか。という意味のことだ。

現在から見ると、正成のことを忠孝の人と讃えている西郷をとんでもないアナグロニズムな存在と捉えがちになろう。しかし、明治維新後間もない当時の日本にとっては、天皇を頂点とした国家造りは急務であった。ましてや西郷は当時の日本唯一の陸軍大将としてあるいは側近といってもいい立場として明治天皇に天皇という存在はどうあるべきかと帝王学らしきものを身をもっておしえていた。

西郷の没後、皇居が火事になり明治天皇はあわてて側近に命じてあるものを火中から運び出させた。それは古ぼけた小箪笥だった。天皇は、

「これは昔、西郷が私にくれたものだよ」

と、懐かしそうにつぶやいたという。彼にとって西郷とは、父親のようなものだったのだろう。余談が過ぎた。

明治新政府云々という大仰なことを書いてしまったが、西郷の歴史観は故郷の薩摩で培われた国(この時代の感覚ではむしろ藩といったほうが適切か)への絶対的な忠誠心、水戸藩きっての国学者藤田東湖への傾倒も大きかった。水戸藩といえば、黄門さまの愛称でも知られる光圀が編纂し始めた「大日本史」があまりにも有名だ。かいつまんで話せば、要は武家(幕府)はあくまでも朝家(天皇家)に仕えている身に過ぎず、いざ世が乱れた時は幕府を倒してでも朝廷のために武家は働かねばならないというのが骨子となっている。

天下の副将軍といわれた光圀の水戸藩だからこそ行いえたイデオロギー史観の確立といえなくもない。これが他の外様大名などであれば(たとえば仙台伊達藩)、その一事だけをもって藩取りつぶしの口実とされよう。

いずれにしろ、光圀を源流とする水戸史学は幕末における倒幕運動の一端となった。その水戸史学の権威であった東湖を生涯の師と仰いだ西郷にしてみれば、楠木正成=大忠臣、足利尊氏=朝敵という図式が基礎となっている水戸史学が血となり骨となったのは疑いない。

ちなみにTVで公開された書は晩年のものであろうとのことである。

晩年といえば、明治十(1877)年に暴発した弟子たちに担がれる形で西郷は西南戦争を起こした。ただし桐野利秋や村田新八など、大久保利通を中心とした新政府を倒して西郷を日本国の首相にしようとまで夢の虹を描いていた弟子たちに反し、西郷本人はまるで死地を求めて戦へ赴く観があった。

それを証左するのが、鹿児島を発つ前に東京へ発した、

“セイフニジンモンノスジ、コレアリ(政府に尋問の筋、是あり)”

という電報であろう。本当に西郷本人でさえも大久保に取って代わろうという野心があったなら、このような回りくどいことをするはずがない。あくまでも西郷は、かつての盟友であった大久保と膝を詰めて話し合い、それでも駄目なら刺し違える覚悟でいたのだろう。さもなければ、難攻不落の熊本城に固執せず、兵の半分を北上させてまず九州制圧を考えたはずだ(事実、西郷の末弟小兵衛はこの作戦を主張したが、西郷は受け入れなかった)。

晩年の西郷はまともな判断力ができなかったという説もあるが(司馬遼太郎が「翔ぶが如く」でそれを裏付けるエピソードを紹介している)、そんな人間に何万もの軍勢を率いることができるだろうか?なにより、西郷とこの戦争を通じて初めて接した旧豊後(現在の福岡県東北部と大分県北部)中津藩の増田栄太郎をして、

「自分は、西郷という人の人格に接してしまった。そうなってしまっては、もはや先生と生死を共にするしかない」

と、泣きながら仲間に語らせるだろうか?

暴論かもしれないが、かつて東湖を通じて学んだ水戸史学の精神、戦局がまったく見えていなかった後醍醐天皇に一切反論せず、黙って死地へと赴いた楠木正成と自身を重ね合わせたのではないか。

政府を倒そうとすることは、明治天皇に対する不忠となる。そう思えばこそ、西郷は何万もの兵を道連れに死を選び取ったのではないか。前々から思っていたことが、ふとあの書の由来を聞いた時に真実であるようにさえ感じた。

以上、やや妄想めいた内容でご容赦。

閉じる コメント(10)

久々の更新ですね。西郷さんは「さん(どん?)付けが似合う歴史上の人物ランキング」を作ったら絶対ベスト3に入るでしょう(笑)。楠木正成公は、忠臣という側面よりも日本史上最高の兵法家の一人として私は尊敬致しておりますが、政治的背景から前者で評価(或いは利用)される機会が多いようですね。西郷さんもそういった事情があるんでしょうかね

2007/3/19(月) 午後 5:58 MONSUKE 返信する

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西郷さんとは話がそれますが、正成の場合由比正雪や幕末の吉田松陰など、彼らは自分こそ正成の生まれ変わり、あるいは彼の意志を継いで世直し(いうなれば倒幕)せんと考えていたらしいですね。そう考えると、西郷さんに浸透した水戸史学というのもある種危険な思想であったといえますね。

2007/3/27(火) 午後 9:48 [ edo*g*ngu ] 返信する

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西郷さんはえらく人気がありますが、彼と幕末の江戸周辺を犯罪行為で荒らした薩摩御用盗をいかにおもわれますか?

2007/4/7(土) 午前 2:49 tatsuya11147 返信する

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現代の価値観、倫理観だけですべてを断罪するのは容易です。無論西郷が指示したとされるくだんの江戸騒乱(赤報隊処刑もそうですが)も、少なくとも西郷自身はそうしなければ徳川慶喜以下旧幕府側を賊軍として征伐できないという焦りもあったのでしょう。

だからこそ西郷は、時には汚い手を使ってでも行った倒幕の結果他の者たちが立身出世にばかり目の色を変えたさまに、

「これでは、維新の際に死んでいった多くの志士たちに申し訳が立たない」

と嘆いたといいます。そう考えると西郷は己の背負った矛盾を清算するために、西南戦争を起こさざるを得なかったのだと思います。彼自身が信じていたはずの大義が敗れたがゆえに。

2007/8/2(木) 午後 0:59 [ edo*g*ngu ] 返信する

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薩摩御用盗は、
当時でも現在でも、
犯罪行為です。

西郷は、その首魁です。

2007/8/25(土) 午前 3:20 tatsuya11147 返信する

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もう少し、歴史というものを客観的に見ることをお勧めします。あれは悪い、これも悪いという暗黒史観で断じていては、本当の歴史はわからないと思います。

2007/8/28(火) 午後 8:10 [ edo*g*ngu ] 返信する

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ご無沙汰してます。<たつや>さんはそういう人なんです。あまりまともに受けないで下さい。

南州さんは私の大好きな人物です。
竜馬が薩長連合を成したという定説も、私は西郷が竜馬を使って連合に漕ぎ着けたと見ています。

歴史は多面的です。彼が嫌いな人も居ます。
竜馬の暗殺を指示したのは西郷だ、公武合体を避けたのだとか。

歴史の真実とは何か?

歴史の再現を幾ら正確に且つ、新技術を利用しようが、人の心は再現できないのです。出来たとしてもやはり、評価解釈は人によって異なるでしょう。
「真実」は歴史から学ぶ者の人格の中にあると思います。

2007/11/6(火) 午後 9:35 sw5491 返信する

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SWさん、ありがとうございます。どうしても後世の後知恵で歴史を断罪する人がいるものですから。作家の早乙女貢もそういう面が見受けられます。

2008/1/9(水) 午後 9:27 [ edo*g*ngu ] 返信する

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会津を愛する心も判ります。
西郷頼母の妻娘の悲話も涙を誘うと共に、今の女性には理解できない女の命を考えさせます。

戦争の悲惨、憎しみが憎しみを生む狂気は恐ろしいものがあります。

未だに会津の方たちには薩摩を嫌う気風があるらしい。

2008/1/9(水) 午後 10:50 sw5491 返信する

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元を糺せば、徳川慶喜が戦をしないで大坂から江戸へ逃げ帰ったのが原因なんですよね。スケープゴートにされた会津や松平容保も気の毒ですが、慶喜さえしっかりしていればという感じは否めません。とはいえ、将軍家を最後まで守り抜けと藩祖(保科正之)から厳命されていた会津藩が、それを非難するのは無理なのかもしれません。

やはり、会津と薩摩はまだまだ和解することはできないのかもしれませんね。

2008/2/9(土) 午後 8:42 [ edo*g*ngu ] 返信する

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