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  交響曲「新世界より」などで有名なチェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークが音楽学校の教師をしていた頃の話。ある日授業中に生徒たちに向かい、

 「モーツァルトとはどんな存在であるか?」

 と問うた。偉大な先達をどう形容するか。誰もが戸惑う中、ドヴォルザークは生徒の一人に窓の外を見るように言った。どうか、と問われても澄み渡った青空が見えるだけで首を傾げるばかりだった。ドヴォルザークは教室中を見渡すようにこう告げた。

 「覚えておきなさい。モーツァルトとは太陽そのものなのです」

 今振り返ってみると、私にはZARDの坂井泉水という人はまさに太陽そのものだったのではないかと思えてならない。さもなければ、テレビのCMで初めて聴いた「揺れる想い」の脳天を打ち砕かれたような衝撃を説明することができない。

彼女がデビューして十数年も経った頃、ある週刊誌で評論家がOL好みの毒にも薬にもならない歌ばかり歌っていると評したことがあった。片腹痛いとしかいいようがない。

私個人の見方で恐縮だが、太陽という周りを照らし続ける大きな存在に対して、一個人が何やかやと文句をつけること自体滑稽にしか映らないのだ。もっとも山口百惠を菩薩と評した文芸評論家もいたことだし、私の欲目も容赦していただくとしよう。

 坂井泉水という人がメロディーに、自分の仕事にストイックだったという話は生前彼女と親しかった大黒摩季の談話で読んだことがある。が、先日ある週刊誌で彼女と仕事をしていた方の話にまさに息を呑む思いだった。

何十回となくレコーディングを繰り返すのはざらで、特に「息もできない」(これも私のお気に入りの一曲だが)では三十数回も納得するまでこなしたという。

無論プロだから努力するのは当然だし、なおかつ結果も出さなければいけない。彼女は当たり前ともいうべき基本を忠実にかつ愚直なまでに守り通して王道を歩んだ。人見知りするほどの繊細な面を持つ一方、仕事に対しては一切の妥協を排した芯の強さ。モーツァルトのようなまばゆいばかりの明るさと、ベートヴェンのように一度決めたら初志貫徹する力強さ、それらがすべてZARDの坂井泉水の人柄と歌に集約されているのだ。

 だからこそ思う。そんな彼女が自ら命を絶つはずがない、と。私の中ではこれは確信といっていい。切なさの中にも生きていくことの喜びを朗々と歌い上げてきた人が、癌にかかったからといって自ら死を選ぶのか。デビューしてからの数年を除いて、テレビを筆頭にすべてのメディアからの露出を極力控えてきたこと、そして不可解にも見える最期が憶測を生んだのだろう。

 恐らくこの先も、多くの人がその死の原因について言及するかもしれないが、私はそんなものには一切興味がない。すべては坂井泉水という、稀有な才能を持ったアーティストが遺した数多くの楽曲にすべて刻印されているだろうから。享年40歳。
 

 手塚が亡くなった際、マスコミの大半はヒューマニズムな作風という点と常に第一線で活躍していたということを強調して賛美の拍手を惜しまなかった。しかしこれは、あまりにも表面的な見方でしかない。まずはヒューマニズムというのは、手塚にとっては表現のための一つの手段でしかなかったということだ。

手塚ヒューマニズムの代名詞の如く語られる『鉄腕アトム』にしても、本人は後に最大の駄作と断じたし(手塚特有の照れ隠しもあっただろうが)、その最期は壊れて野ざらしにされるという無惨なものだ。

少なくとも彼の作品でヒューマニズムが絡む時、決してストレートではなくどこか屈折した光芒を放つ。誤解を恐れずに言えば、手塚作品の底辺に流れているヒューマニズムというものはガストン・ルルーの名作である戯曲『オペラ座の怪人』でファントムが口にするあの有名な言葉に象徴されているような気がする。

 「私はオペラ座の怪人、思いの外醜いだろう。だが、この化け物は地獄の業火に焼かれてもなお天国に憧れる」

 少なくとも十代の後半という極めて多感な時期に戦争という非日常的なこの世の地獄を見た手塚には、アメリカに押しつけられた民主主義やヒューマニズムは絶対的なものとして捉えられなかったのではないか。その点では、手塚が常に意識し自分と共通点が多いと振り返ったとされる作家の三島由紀夫と似通う点があったのかもしれない。

 第二に、常に漫画界の第一線をリードしていたという指摘は、手塚が聞いたら調子のいい事を言うなと声を荒げたかもしれない。少なくとも1960年代から台頭してきた劇画の出現によって、漫画家としての彼のテリトリーは大いに脅かされた。1966年から71年にかけて週刊少年マガジンに連載されていた『巨人の星』に対して、

 「これのどこが面白いのか、(僕に)教えてください!」

 と泣かんばかりにアシスタントたちに尋ねたというのはあまりにも有名なエピソードだ(その手塚が後年、西武ライオンズのマスコットキャラクターを手がけたというのは皮肉ですらある)。『忍者武芸帖』や『カムイ伝・第一部』で当時の大学生や左翼系の知識人の心を鷲掴みにした白土三平が後に第一線から退くと、

 “あれほどの男でさえ、今では釣り三昧の無聊(ぶりょう)をかこっている”などと言わないでいいことまで言ってしまっている。裏を返せば、それだけ手塚は劇画出身の漫画家たちに苦しめられたということだ。事実、劇画全盛期の頃の手塚は作品はもちろん年収的にもトップクラスとはいえぬところまで落ち込んでいた。しかしそれにもめげず、『どろろ』などに劇画的要素を取り入れることで、彼は状況を打破しようとした。

 つまずきはその直後に起きた。1973年3月に手塚が社長をしていたアニメーション会社虫プロが倒産し、多額の負債を抱えた手塚は名実共に過去の人として消え去ろうとしていた。同年の11月、週刊少年チャンピオンにおいて一つの作品が連載された。作品の名は『ブラック・ジャック』。当時の編集長だった壁村耐三によると、手塚から企画を持ち込まれた際これを彼の漫画家人生における花道にしてやろうと決意したという。ところが案に相違して『ブラック・ジャック』が休載された直後、何故掲載されていないのかというファンからの投書が多数あったため、壁村はその意外な人気に驚き継続させることにした。

 “当時は、水島新司の『ドカベン』、山上たつひこの『がきデカ』、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』といった大ヒット作がきら星の如く同誌で連載していたため、必ずしもこれらに伍するほどの人気はなかったものの、この作品と週刊少年マガジンに連載した『三つ目が通る』によって手塚はどん底から這い上がり、再び人気漫画家の仲間入りを果たすこととなる。”(“”内の文章は、ウィキペディアの記事に編集を加えたもの)

それはまさしく、手塚本人が理解できないと嘆いていた『巨人の星』の主人公・星飛雄馬のように、己が身を焼いて復活する不死鳥の如く遥かなる高みを目指して飛翔した瞬間だった。


 ※この続きは、来年2009年の同日に完結篇を配信します。

 第九回:天下布武

 一体、何様のつもりだ。 光秀の進言を聞かされる度、義景はうっとおしく感じていた。先代孝景の頃ならいざ知らず、この時点での朝倉家はもはや世襲制が当たり前の家柄となっていた。安定の行き着く先には、身内や勝手知った家臣団で固め尽くした政権となっていく。少なくとも、越前一国を守るためだけならそれ以上のものを求める必要はない。

それでも光秀が浪人の身から家臣に加えられたのは、その血筋も影響していよう。梟雄斎藤道三に滅ぼされた美濃の守護土岐氏。明智は、その土岐氏と血縁関係にあった。名族である。土岐氏滅亡後、明智は他の旧土岐氏家臣団同様道三に忠誠を誓った。が、道三が嫡男義龍との戦で敗れて死ぬと、光秀は美濃を出て浪々の身となった。

名族の血筋を引く者であればこそ、家臣に加えてやったのだ。義景にしてみれば、それで恩を与えてやったつもりでいるから始末が悪い。光秀にしてみれば、家臣として当然の進言をしたつもりでいる。そのしたり顔が、義景にはますます気に入らない。加えて他の家臣たちが、あの者はでしゃばり過ぎますとしばしば告げ口をする。こうなってしまえば、両者の溝は深まりこそすれ縮まることはない。光秀は次第に遠ざけられた。

義景のあいまいな態度、光秀からの思わしくない報告を聞き義秋は苦悩で頭をかきむしった。あの者は動いてくれない。何故、この義秋を助けてくれようとはしない。越後の上杉氏、甲斐の武田氏に比べれば、越前は京からグッと近い。ましてや隣国北近江の浅井(あざい)氏は父祖以来の友好関係がある。義景さえ望めば、京への道は半ば開けたも同然だった。だが、動かない。

頼るべき相手を間違えた。さすがに口にこそ出さないが、義秋と光秀は同じ思いを抱いた。空しく時を過ごすうちに、中央の覇権はほぼ松永久秀によって掌握されていった。最悪である。兄義輝を殺したあの者が睨みをきかせている限り、義秋が将軍になる日は永久に来ない。いや、命すら危うくなる。上杉も武田も容易に動いてくれない。打つ手はない、か。

「いや、一つだけ……ございます」

畏れながら、と平伏したまま光秀は進言した。朝倉が駄目なら、他の大名を頼ればよいのでございます。そう口にした瞬間、光秀は主君義景を見限った。誰が、誰がおるのじゃ。勢い込んで尋ねる義秋に、

「されば、尾張の織田信長殿に白羽の矢をたててみてはと……」

思えば紙一重であった。従兄弟の義栄が将軍になった半年前の永禄十(1567)年八月、信長は念願の美濃攻略を成功させていた。間もなくこの野心家は、“天下布武”の印を作らせてその気概を示した。義景が持たない大望を、この男ははっきりと意思表示している。利用せぬ手はない。数日後、密命を帯びた光秀は美濃へと向かった。



   次回、「その男、大野心家につき」に続く。

皆様お久しぶりです。遅ればせながら明けましておめでとうございます。去年の後半、公私共に忙しかったためブログの更新ができなかったことをお詫びします。これからは極力更新を怠るまいとは思いますが、歴史小説の文学賞に挑戦するなどまた忙しくなるのは必定となっていきます。一応このブログは長いスパンで継続していこうと思っていますので、どうかこれからもよろしくお願いします。

最後に、私が発行している携帯用メルマガを紹介しますので良ければ覗いてみてください。なお、登録はPCからも可能です。

 『歴史の言霊』

 http://merumo.ne.jp/i/00034472.html

こちらでは現在、歴史小説『尊氏謀叛―江戸版太平記−』を連載中です。

 『日本史三十六景』


http://merumo.ne.jp/i/00504174.html

こちらは去年の八月に始めたばかりのマガで、戦国時代に活躍した人物を取り上げています。今月十五日に“上杉謙信篇”をスタートさせますのでよろしかったら読んでみてください。

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久秀と三好三人衆が中央の覇権を巡って争っていた頃、足利義秋は越前の地で無聊をかこっていた。彼を迎え入れた越前の国主朝倉義景は、たしかに下にも置かぬ待遇で接してはくれた。しかし、大いに不満である。

 左馬頭従五位下の官位を朝廷から得たのをきっかけに、将軍になるという決意表明をしている。だからこそ、義秋はよく動いた。無論実際の行動には限りがあるので、全国の有力な大名に書簡を送りまくった。

 武田信玄、上杉輝虎(後の謙信)、果ては中国地方を制圧した毛利元就など、強大な軍事力を背景とした大名を、義秋は必死にかき口説いた。特に輝虎に対しての想いは並々ならぬものがあった。兄・義輝の要請に応えて何度となく上洛したほど忠誠心の厚い人物。北国の名将をそう信頼し切っていた彼としては、武田・北条両氏と和睦して彼らと共に上洛を目指してほしい。実力、幕府への忠誠心共に絶大といえる輝虎をなんとしても味方につけたい義秋ではあった。

 とはいえ、越後はやはり遠い。北条氏とは同盟を結んだものの、武田信玄との確執は輝虎としては一歩も譲れなかった。誇り高い輝虎から頭を下げてまで手を結ぶということはまず考えられない。信玄にしても、何故こちらからという気持ちは同じだ。両氏が和解をするのは、実に信玄が没してからのこととなる。

 義秋とて、身を寄せた朝倉義景が頼りになる相手であったならこんな苦労もしなかった。何度となく上洛を促したが、この越前の国主は容易に腰を上げようとはしない。義景は義景で、彼なりの言い分はあった。隣国加賀(現在の石川県南部)の一向宗徒の動向が気がかりだった。

 加賀の一向宗徒。天正十(1582)年に信長に全滅させられるまで一国を支配していたこの宗教集団の勢いは越前の地さえもおびやかしていた。仏のために死ねば極楽浄土へ行けるという思想を背景にした彼らは、戦国大名との戦いにおいてもひるむことなく立ち向かった。信長でさえ、彼らを滅ぼし尽くすのに十年の歳月を費やした。義景が手を焼くのも道理であった。

 義秋は、義景と一向宗徒を和睦させた。それでもなお、義景は動こうとしない。名将の誉れが高かった父・孝景と違い、この武将には上洛をして天下に号令をかけるだけの気概も野心もまるでない。あるのは自分の国だけを守り、平穏無事に暮らしたいという戦国武将らしくない思いだけだ。義秋の不満は募るばかりである。

 同じように、義景の優柔不断に苛立ちを感じていた男がいた。彼の名は明智光秀。浪人の身から朝倉氏の家臣に登用されたものの、世襲制でガッチリ固められた家臣団の中では充分に力を振るえず不遇をかこっていた。この光秀が義秋に忠誠を誓い、何度となく義景に上洛を進言した。



       次回、「天下布武」に続く。

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